ニコラス・ブレイク『雪だるまの殺人』

(本書のほかに『死の殻』の真相に触れています。)

 

 ニコラス・ブレイクの第七長編『雪だるまの殺人』(1941年)[i]は、一見すると、前作『ワンダーランドの悪意』、前々作『短刀を忍ばせ微笑む者』と比べて、オーソドックスなパズル・ミステリに戻った感がある。

 奇妙な猫の振る舞いを調査してほしい、ジョージアの従弟の老婦人クラリッサが寄こした手紙に誘われて、ナイジェル・ストレンジウェイズは、エセックスのある屋敷へとやってくる。屋敷の住人レストリック家の飼い猫が、クリスマス・イヴの晩に、ミルクを舐めたとたん、狂ったように周囲を飛び回り、壁に何度も頭を打ち付けたという不気味な事件である。当主のヒューワード、妻のシャーロット、ヒューワードの弟アンドルーらから事情を聴くナイジェルだったが、ひとりだけ、アンドルーの妹のエリザベスは体調が悪く、会えないという。翌日、再び同家を訪ねたナイジェルとジョージアは、驚くべき事態を知らされる。昨晩のうちに、エリザベスが自室で全裸のまま首をくくって死んだというのだ。

 遺体を検分したナイジェルは、ロープの結び目から、エリザベスの体が誰かの手で引き上げられた可能性に気づく。それを受けて、警察は、自殺を装った他殺と判断して、捜査を開始した。事件当夜、屋敷にはレストリック家の住人のほか、エリザベスの主治医のボーガン、エリザベスの恋人のダイクス、友人のミス・エインズレーといった面々が滞在しており、奔放な性格だったというエリザベスの不可解な死をめぐる隠された秘密が次第に暴かれていく。

 本書は構成に工夫があって、冒頭、レストリック家の二人の子どもたち、ジョンとプリシラがつくった雪だるまから死体が発見される、タイトルにあるとおりのセンセーショナルな場面で始まっている。しかし、実際は、この雪だるまに塗り込められた死体が出現するのは、小説の終盤も終盤、ナイジェルが事件の謎解きをするときなのだ。いわばクライマックスを最初に持ってくるという、フィリップ・マクドナルド[ii]やデイリー・キング[iii]が試みたのと同じような技巧的な構成である。いきなり読者の気を引くのだが、読み進めていってもなかなか「雪だるまの殺人」が出てこないので、肩透かしのようでもある。もっとも、この場面を最初にもってこなかったら、なんで『雪だるまの殺人』という題名[iv]なのだろうと首をひねることになりそうだ。

 なぜ、このような構成を取ったのか、実はよくわからない。雪だるまから死体が発見される劇的な場面を最初に書きたかっただけなのか。小説後半になって、殺人の痕跡が残されているのに死体が発見されないという展開になり、そして冒頭の死体発見場面になるのだが、死体の隠し場所のトリックというほどのものでもない。タイトルになっている割には、雪だるまに死体を隠す必然性も見当たらない(時間をかせぐためと説明されるが、雪だるまのなかでなければならない理由はなさそうだ)。

 この「雪だるま殺人」が冒頭のエリザベスの死と、どう関連するかというと、いがみ合っていたアンドルーとボーガン医師の二人の姿が見えなくなり、一方が他方を殺害して逃亡したものと判断される。どうやら、エリザベスを殺害したのは、この二人のどちらかと思われ、真相をナイジェルが解き明かそうとした、まさにそのとき、死体が発見され、殺されたのはボーガン医師だとわかる。つまり、ナイジェルが推理を披露する前に、真相が割れてくるというプロットで、その辺は、読者の予想を微妙にはずしてくる。しかし、こちらの意表を突くほどの大胆なはずし方でもない。冒頭に雪だるまからの死体発見シーンを置いた理由といい、作者の狙いがいまひとつ、わかりづらい。もっとも、そこがブレイクらしいスタイルといえば、いえるのかもしれないが[v]

 もちろん、アンドルーがボーガンを殺害したとわかっても、それですべての謎が解けたわけではない。一番大きな謎はエリザベスの死の真相であるのだが、それを解く重要な手がかりが、実は冒頭の死体発見場面に伏線として書かれている[vi]。それでこうした構成を取ったとも考えられるが、しかし、手がかりというのは、ジョン少年の回想のなかに出てくるので、雪だるまの死体発見場面でなければならないということもない。

 で、エリザベスの死の謎だが、江戸川乱歩ニコラス・ブレイクを紹介した有名なエッセイのなかで、『野獣死すべし』のほかに、二冊を読んだと記していて、その二冊が、第二長編の『死の殻』(1936年)と本書である。読後の感想は、というと-

 

  「第二作もよく考えてあるが、創意に乏しく、第七作はそれよりも更に平凡であ

 る。」[vii]

 

野獣死すべし』が群を抜いた傑作とはいえ、これでは形無しだが、よりによって、この二作を読んでしまったとは、たまたまだったのだろうが、乱歩も不運だったと言えなくもない。というのは、この二作、実は同じアイディアで書かれているからである。つまり「他殺を装った自殺」という解決なのだ。ただし、『死の殻』は、憎い相手に殺人の罪を着せるために、自分が殺されたように仕組んだうえで自殺するのだが、本書の場合は、エリザベスが自殺したのを発見したアンドルーが、彼女が殺されたように工作をするのである。その理由は、エリザベスを自殺に追い込んだボーガンを殺人犯人に仕立てるためで、違いはあるものの、結局、動機の点でも、この二冊は似かよった発想に基づいているといえる。

 これは興味深いというより、むしろ不思議である。「他殺を装った自殺」というアイディアは、無論、ミステリでは珍しくないが、それほど人気のある解決法とも思えない。殺人事件と思って読んでいた長編小説の結末が自殺でした、では、それまでのストーリーや登場人物の描写が(犯人はすでに退場しているので)無駄だったように感じられてしまうからだろうか。いずれにせよ、このアイディアのミステリは一人の作家がそう多く書くものでもないように思われる。ところが、ブレイクは七冊の長編のうち二冊でこのアイディアを使っているのである。しかも『死の殻』と本書は五年しか離れていない。同じ解決のミステリを、あまり間を置かずに書くというのは、普通、避けようと思うものではないだろうか。

 まさか、自分で書いておいて、『死の殻』の結末を忘れていたわけではないだろうから、ブレイクが同書の趣向を本書でも繰り返したのは、どうしてもこのアイディアで書きたかったからだろう。無論、プロ作家なのだから、『死の殻』とは異なる印象を与えようと工夫したはずである。『死の殻』も復讐が主題だが、形式はあくまでパズル・ミステリだった。本書でも復讐が動機だが、妹のかたきを兄がとる、という点で、犯人の狡知が際立つ『死の殻』に比べ、肉親間の情愛が目立っている。アンドルーが、エリザベスが死んだことを直感するというテレパシーめいた精神感応が描かれ、また、猫の事件があった晩に、アンドルーが、他者を陥れることのみを目的とする絶対的な悪意の持ち主について語る場面が出てくる[viii]。最後、ボーガン医師が、金銭的利益ではなく他人を破滅させる快感だけから麻薬を患者に与えていたことがわかり、まさにアンドルーの言う「悪を楽しむ人間」だったことが判明する。アンドルーの発言は、最初からボーガン医師を念頭に置いたものだったとわかるのだが、このように事件の裏で、アンドルーとボーガンが、互いに、相手に罪を着せようと、あるいは、それに反撃しようとして、死闘を繰り返していたことが示唆される。反面、パズル・ミステリとしては、エリザベスの自殺という真相の手がかりといえるのが、上記の暗示的な描写くらいで、ブレイクらしい理詰めの推理も本書ではあまり見られない。

 このように見てくると、作者が本書で描こうとしたのは、最愛の妹を死に追いやった男を兄が殺害する復讐のドラマであったらしい。

 ブレイクは、最初の三作品で折り目正しいイギリス流のパズル・ミステリを書き続けたが、第四作の『野獣死すべし』を契機に、より自由なスタイルでミステリを書き始めたように感じられる。前作の『ワンダーランドの悪意』は、殺人の出てこない、奇妙な味の、しかし、ブレイクらしいパズル・ミステリだったが、逆に、本書は、オーソドックスなパズル・ミステリの形式を取っているものの、内実は異なっていたようだ。

 乱歩が、同じプロットの『死の殻』と比べて、更に平凡だと低評価したのも当然である。ブレイクが書きたかったのは、パズルではなく、兄と妹の復讐の物語を、狂言回しの名探偵の眼を通して鳥瞰的に描いたクライム・ノヴェルだったのだろう。

 

[i] 『雪だるまの殺人』(斎藤数衛訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1961年)。

[ii] フィリップ・マクドナルド『ライノクス殺人事件』(1930年)。

[iii] デイリー・キング『空のオベリスト』(1935年)。

[iv] 原題は、The Case of the Abominable Snowman(『厭わしき雪だるまの事件』)。

[v] 小林信彦『地獄の読書録』(ちくま文庫、1989年)、202頁を参照。

[vi] 『雪だるまの殺人』、10頁。

[vii] 江戸川乱歩「イギリス新本格派の諸作」『幻影城』(講談社、1987年)、127頁。

[viii] 『雪だるまの殺人』、41-43頁。