ニコラス・ブレイク『悪の断面』

(本書の内容をほぼ明かしていますので、ご注意ください。)

 

 原題のThe Sad Varietyは、例によって文学作品からの引用かと思ったが、訳者解説でも何も説明がないので、違うようだ。「嘆かわしい見解の不一致」とは、要するに東西冷戦の西側と東側のイデオロギー対立を指しているのだろうか。献辞に「罪ある者すべてに」とあるのも、随分思わせぶりだ。ニコラス・ブレイクの第十八作『悪の断面』(1964年、この邦題もどういう意味なのだろう)[i]は、『短刀を忍ばせ微笑む者』(1939年)[ii]、『闇のささやき』(1954年)[iii]に次ぐスパイ・スリラーである。

 ブレイクは定期的に、このジャンルの小説を書いているが、今回はスパイ・スリラーといっても、実体は誘拐ものミステリといったほうがよさそうである。しかも、舞台はブレイクのミステリではお馴染みのイングランドの田園地方なので、つまり、ブレイクの過去作品のハイブリッドとも呼べそうな小説である。もっとも、以前の二作も、シリアスなスパイ・スリラーといえるかというと、どうも違っていたようだが。

 冒頭、東西両陣営を震撼させる発見をした科学者から情報を奪う使命を帯びた東側のスパイ三人組-ボスのペトロフ女性党員のアニー・ストット、弱みを握られて引き込まれたポール・カニンガム-が計画を練っている。ターゲットのアルフレッド・ラグビーには8歳になる娘のルーシーがいて、この少女を人質にして、ラグビーから秘密を奪い取ろうというのである。すなわち、悪役は最初から明らかになって、この誘拐計画がどのように進められ、どのような結末にいたるかが主たるテーマである。

 次の章では、ラグビーが後妻のエリーナとルーシーを連れて、雪に埋もれた宿に滞在している。ナイジェル・ストレンジウェイズも恋人のクレア・マッシンジャーとともに同行していて、教授一家の護衛に当たっている。ところが、クリスマスも過ぎた12月27日の晩、近くのポストまで手紙を出しに出かけたルーシーが、ポールとアニーの二人組に拉致されると、後を追っていたナイジェルは頭を殴られて人事不省となる。いつもながら、あまり頼りにならない探偵である。前々作では、結構腕っぷしの強いところも見せたのだが・・・[iv]。そのまま連れ去られたルーシーは、村はずれのコテージで髪を切られ男の子の服を着せられる。実は、二人組は数日前にエヴァンという名の少年を連れてコテージにやってきた。ルーシーをこの少年とすり替えるという計画なのだ。近隣一帯に捜査の手が及んでも、ルーシーをエヴァンに見せかけることで、疑いを逃れるという寸法である。ところが、エヴァンを密かにロンドンに送り返すはずが、ポールと少年を乗せた車が途中で故障してしまい、引き返せなくなると危惧したポールは、少年をひとり駅に向かわせる。案の定、エヴァンは、ひどい嵐のなか道に迷い、倒れて意識を失う。そのまま息を引き取るのだが、後々、彼の遺体が見つかることで、このからくりが暴露されるきっかけになるという段取りである。

 一方、宿では、ナイジェルと警察が見守るなか、ラグビーが誘拐犯からの指示を受け取る。それに従い、しかし偽のメモをラグビーが郵便局に持っていくのだが、犯人は現れない。どうやら、宿泊客のなかに敵方の内通者がいるらしいことがわかってくる。泊り客の顔ぶれは、年配の提督夫妻、胡散臭いカップル、さらに胡散臭い独り者の男性といった怪しい連中ばかりだが、さらにラグビーの妻のエリーナもハンガリー出身(つまり東側国家の人間)で、調査の結果スパイの疑いなしとされてはいるが、疑惑がゼロというわけではない。

 このように、少女誘拐事件の顛末はいかに、という興味のほかに、内通者が誰か、という謎でストーリーを引っ張っていく構成になっている。

 ナイジェルは、エリーナが内通者だとする推理を組み立てるが、いかにも彼らしい、人々の言動観察に基づく推理で、本書がナイジェル・シリーズである理由がわかる。しかし、エリーナが疑惑を強く否定し、彼女の部屋のクローゼットに盗聴目的と思われる穴が穿たれているのが見つかって、隣室の男客ジャスティン・リークの容疑が高まると、ナイジェルの推理もぐらつく。ランス・アターソンとチェリーのカップルにも、フレンチ=サリヴァンとミュリエルの提督夫妻にもおかしな動きがみられるので、このあたりの容疑者の散らばし方も、いつものブレイクという印象である。

 しかし、本作で面白いのは、誘拐された少女ルーシーが一番利発なところで、さらわれて見知らぬ部屋に閉じ込められても、自分が置かれた状況を冷静に分析して、どうすれば脱出できるかを順序だてて推考する。通いの村人に助けを求める計画が露見しそうになると、とっさにアニーの注意を引いて危険を免れる[v]。この娘、本当に8歳か、と思うような頭の回りの速さである。ナイジェルも見習えよ・・・。

 それはともかく、再びラグビーペトロフに呼び出されて、ルーシーと引き換えに極秘メモを渡すよう要求される。約束のパブまでやってきたラグビーだったが、ところが、思わぬ偶然から両者がともに誤解しあって、事態が思わぬ方向に逸れていくプロットは、これもブレイクらしいといえるだろう。一方、ルーシーの助けを求める手紙がついにナイジェルのもとに届き、彼女が監禁されているコテージが特定されると、最後に雪に埋もれたコテージをめぐる攻囲戦となる。もちろんルーシーは無事救出され、悪玉のペトロフは彼に相応しい死を遂げる。エリーナはルーシーをかばって死ぬが、ペトロフと戦って重体となったラグビーはなんとか命を取り留める。クレアに抱かれたルーシーが父親のもとに送り届けられるラストは、本書がブレイクらしい「健全な」冒険ミステリであることを証明している。

 本書がスパイ・スリラーかといわれると、やはり少し違うように感じられる。『短刀を忍ばせ微笑む者』も『闇のささやき』もナイジェルものでありながら、彼の存在感は薄い。前者の主役は、「今は亡き」ジョージア・キャヴェンディッシュ、後者ではバート・ヘール少年と二人の仲間達、そして本書の主人公は、ナイジェルよりも、むしろルーシーといったほうがよさそうだ。つまり、本書を含めたブレイクのスパイ・スリラーは、外見はそうでも、実質は、女性や子どもたちのような弱い者たちが知恵を働かせて危機を乗り切っていく冒険ミステリだといったほうがよいだろう。

 また、上述のような、ある種の犯人探し(内通者探し)の興味もあり、それと関連して登場人物の意外な正体がわかるという面白さもあって、なかなか楽しい読み物となっている。エンターテインメント性という点では、三冊のなかでもっとも優れているように思う[vi]

 こうして見てくると、原題のVarietyはヴァラエティ・ショウの意味で、色々なミステリ要素をちりばめた小説を指しているのだろうか。それとも、本書に登場する人々の間の様々な人間関係を象徴したタイトルなのか。それらがいずれも「悲しむべき」ものだったという作者の意図が、ラスト・シーンに込められているのかもしれない。

 

[i] 『悪の断面』(小倉多加志訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1981年)。

[ii] 『短刀を忍ばせ微笑む者』(井伊順彦訳、論創社、2013年)。

[iii] 『闇のささやき』(村崎敏郎訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1960年)。

[iv] 『死のとがめ』(加島祥造訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1963年)を参照。

[v] 『悪の断面』、57、152-55頁。

[vi] 石川喬司『極楽の鬼 マイ・ミステリ採点表(ジャッジペーパー)』(講談社、1981年)、76-77頁、を読むと、本書は「スパイものと誘拐もの――当世流行のこの二つのテーマを組合せ、それに本格ものの味つけをした欲ばりな趣向だが、そのわりには一向に面白くない」、「子どもっぽいイデオロギー論争のまねごとみたいなのが出てきたりして、いかにも志が低く」、「推理小説をエンターテインメントとして割切りすぎている」とあって、おっしゃるとおりで、いちいち同感します(面白くないとまでは、思わないのですが)。散々な評価であるが、「エンターテインメント」への言及をみると、筆者の見方もまんざら間違っていなかったようだ。ところで、かつて共産党員だったが、そこから離れたブレイクには、ソヴィエト連邦共産主義をコケにしたいという願望があるのだろうか。