ニコラス・ブレイク『闇のささやき』

(本書のアイディア、真相等に触れています。)

 

 『闇のささやき』(1954年)[i]のタイトルは、例によって、ライオネル・ジョンソンという19世紀のイギリス詩人の引用のようだが、作品ジャンルとしては、『短刀を忍ばせ微笑む者』以来のスパイ・スリラーである。

 ロンドンのケンジントン公園の池で船の模型を走らせようとしていたバート・ヘール少年(12歳、年齢を覚えていてください)の傍らに、うらぶれた小男が近づいてくる。男はぶつぶつ何事かをつぶやくと、ボートのなかに紙切れを投げ入れて勝手に船を走らせてしまった。慌てて追いかけるバートを見送った男は、そのまま水際に突っ伏したきり動かなくなる。集まった人々は彼がすでに死んでいるのを発見するが、その頃船を回収したバートに怪しげな二人組が近づいてくる。少年から高額でボートを買い取ろうというのだ。

 そこからバートとその友人の「キツネ」と「オマワリ」(父親が警察官)の三人の少年たちが国際的な陰謀に巻き込まれる冒険ミステリが始まるという具合である。つまり、スパイ・スリラーといっても、『短刀を忍ばせ微笑む者』がそうであったように、シリアスなスパイ小説というより、少年を主人公とした冒険小説といったほうがよさそうなのだ(女性や子どもが主人公ではシリアスなスパイ小説にならないという意味ではない)。

 しかし、ブレイクのことだから、無論、空想的な冒険活劇というわけではなく、当時の国際情勢を踏まえた現実味のある冒険ミステリである。書名の「ささやき」とは、殺された男デイ・ウィリアムズ-元すりで、今は警察の手先-がある場所で耳にした重要な秘密を指している。当時の国際情勢というのは、ソ連と西欧との間の冷戦のことで、本書が執筆されたのも、いわゆる「雪どけ」の時代である[ii]。イギリスを訪れたソ連外務大臣に対する暗殺計画が本編の主題となっている。

 プロットは、『短刀を・・・』と同様、悪役は最初からそれとわかる仕組みで、作者が意外性を狙っているのではないことは明らかである。少年探偵たちが敵の三下を罠にかけて、あとを「キツネ」が追跡すると、男は丸顔の青年紳士と落ちあう。今度はそちらを尾行していくと、仮装パーティを開いている立派なお屋敷にたどり着く。「キツネ」はうまく立ち回って、青年紳士と深い関係にあるらしい当主の妻に気に入られるという少年小説にありがちの展開となる。見るからに怪しい青年紳士のアレック・グレイ、当主の大資本家ルドルフ・ダーバー、その妻のヘスが疑惑の中心で、アレックは盗品故買と関わりがあるとわかってくる。ダーバーはさらに大きな陰謀であるソ連外務相暗殺に関与している疑いが大きくなる。しかも、ダーバー家の裏手に住むクレア・マッシンジャーという女流芸術家がナイジェル・ストレンジウェイズの恋人でした(!)、という、あっけにとられる偶然から、逃げ込んだ「キツネ」を助けて、ナイジェルも事件に直接関与することになり、後半では、頭を殴られて人事不省となる。

 クライマックスでは、バート少年と「キツネ」が囚われたサフォークの一軒家に、ダーバーとグレイに雇われた犯罪者たちが立てこもり、軍隊まで出動して派手な銃撃戦となる。この辺は、地味な脱出劇が中心だった『短刀を・・・』に比べると、びっくりするような映画的展開で、ブレイクもこうしたスペクタクル描写に自信をもつようになったらしい。

 少年探偵団的なミステリは、正直あまり好みではないのだが、子どもゆえに、警官の聞き取りにもなかなか本当のことを言えず、警察が救助に駆けつけても、かえって逃げ出そうとしてナイジェルたちを慌てさせるなど、少年らしい予測できない行動が、なかなかうまく書けている。ブレイクといえば、本名で出版した『オタバリの少年探偵たち』(1948年)[iii]も有名だが、ダニエル・デイ・ルイスを含めて四人の子持ちであったことも、こうした少年探偵ものの執筆に影響しているのだろうか(もっとも、本書の発表時には、まだダニエル・デイ・ルイスは生まれていない)。

 少年の冒険ミステリなのでか、ブレイクの特色である推理愛好癖はあまり現れていない。そのなかで最もパズル・ミステリ的な趣向というと、最初にバートに手渡された新聞の切れ端で、そこに書かれていたのは、なんとバートの名前と年齢だった(!)。いわばダイイング・メッセージなのだが、見ず知らずの男から自分の名前と年齢を記した紙片を渡されるという素晴らしく意外で、魅力的な謎で、パズル・ミステリ好きならハアハア舌を出して食いつきそうな見事な餌である。

 ただ、その解決というのが、それほど意外ではないのはやむを得ないとして、少々曖昧な点がある。クレアにグレイを誘い出させて、彼の部屋に忍び込んだナイジェルが、吊るしてあった服のポケットから、くしゃくしゃに丸めた紙切れを探し当てる。そこには「3号バース(桟橋)オール12」と書かれていた[iv]。つまり、Bert Haleと思ったのは、実はBerth allだったということらしいのだ[v]。3号桟橋とは、ソ連外相が密かにイギリスを発つハリッジの港の桟橋を指していたと判明する。これで解決かと思いきや、案の定、グレイの仕掛けた罠だったのだが、それを明らかにするナイジェルの推理は彼らしい[vi]巧みなもので、ここらへんにブレイクらしさが表われている。結局、謎は解けないまま話は進み、最後、囚われていた屋敷から救出されたバートが名探偵振りを発揮する。実は、問題の文章はAlbert Hall 12と書かれていたのが、bのところで破り取られたためにBert Haleと読めたのだ[vii]。少年探偵物に相応しい頭脳明晰さだが、小文字のbを大文字と読み間違えるというのは少々苦しい気がする。現物の手書きのメモが印刷されていないのでわかりにくいし、ちょっとズルい。エラリイ・クイーンなら、ちゃんと読者に提示しただろう(例えば『ギリシア棺の謎』)。あるいは、大文字のブロック体で書かれていたということなのかとも思ったが、そうするとHALLの最後のLをEと見間違えるというのはありそうもない。小文字の筆記体のlをeと読み違えるというのなら、わかるが。

 それはさておき、最後の最後のクライマックスはロイヤル・アルバート・ホールにおける暗殺者対警察の攻防戦で、おなじみブラント捜査部長[viii]が間一髪のところで暗殺者に体当たりを喰わせ、未然に事件を防ぎ、ダーバーとグレイを逮捕して幕となる。

 ブレイクはやはりパズル・ミステリのほうがいいなあ、というのが正直な感想だが、こうした冒険スリラーも器用にこなすところは、それもまたブレイクらしいともいえるし、あるいはむしろイギリス作家らしいというべきかもしれない。

 

[i] 『闇のささやき』(村崎敏郎訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1960年)。

[ii] 1953年にスターリンが死んで、1956年にフルシチョフによる「スターリン批判」があった。まさに「雪どけ」直前の時代を取り上げたということのようだ。

[iii] セシル・デイ・ルイス『オタバリの少年探偵たち』(脇 明子訳、岩波少年文庫、2008年)。同書は、始めから少年ミステリとして書かれているので、むしろ面白かった。ジュニア・ミステリとはいえ、ブレイク名義の小説同様に、彼らしい理詰めの推理が見られるのも好ましい。

[iv] 『闇のささやき』、212頁。

[v] 原書をもっていないので、このとおりなのかは、わからない。

[vi] 『闇のささやき』、239-41頁。

[vii] 同、268頁。

[viii] ブラントは登場人物表では部長となっているが、課長と訳されているところもあって、何だかよくわからない。同、214頁。ところで、村崎敏郎訳は、ディクスン・カーの場合は、それほど気にならなかったのだが、本書はどうも読みづらい。意味の取りにくい文章も多いような気がする。