ビー・ジーズ1972

「マイ・ワールド」(1972.1)

1 「マイ・ワールド」(My World, B. & R. Gibb)

 ビー・ジーズのシングル・レコードは、「トゥ・ラヴ・サムバディ」が典型のように、メロディアスなイントロが特徴であることが多いが、「マイ・ワールド」はまるでリハーサルの音合わせのようなイントロで始まる。

 前作の「傷心の日々」同様、バリーとロビンの共作で、二人が交互にリード・ヴォーカルを取る。しかし前作と異なるのは、コーラスとコーラスの間のブリッジの部分を2度ともロビンがソロを取っていることで、つまりロビンのヴォーカル・パートが多くなっている。曲調もロビンの曲に特徴的なメロディ・ラインなので、彼の作曲担当部分が多いのだろう。

 「傷心の日々」のバカラック調から60年代に戻ったかのようなブリティッシュ・ポップで、そのかいあってか、イギリスでも16位まで上がった。「傷心の日々」がランク・インしなかったことを考えると大きな違いだった。日本では、1972年の初来日に合わせて「来日記念盤」と銘打って発売され、レコード・ジャケットには「マサチューセッツ以来のヒット絶対」などと煽り文句が印刷されていたが、もちろんそうは問屋がおろさなかった。しかしアメリカでも16位まで上昇し、前年ほどではないにせよ、好調を保った。英米ともにナンバー・ワンというのも大変な記録だが、英米とも16位というのも、これはこれで珍記録だろう。

 もう一つ特徴的なのは歌詞で、コーラスの”My world is our world and this world is your world and your world is my world and my world is your world is mine.”。まるで小学生が書いたような、あるいは一周回って味わい深いような[i]、あれだけ曲を書いていれば、ときにはこういう歌詞も書いてみたくなるよな、と思わせる。

 曲も歌詞も新しさはなく、前述のように昔に戻ったかのごとき曲調だが、当時はルーベッツの「シュガー・ベイビー・ラヴ」のような懐古調ポップスが流行っていたという事情もあった。しかしそれはそれとして、これこそがビー・ジーズの真骨頂でもある。バロック・ポップの香りを残しながら、あくまで親しみやすく、わかりやすいメロディ。とくにバリーが歌う2番のヴァースの背後に浮き上がってくる繊細なコーラスは美しい。

 

2 「オン・タイム」(On Time, M. Gibb)

 「傷心の日々」同様、A面がバリーとロビンの共作だったので、B面はモーリスの出番ということで、再び彼の独壇場となる作品。

 「レイ・イット・オン・ミー」などと同じく、スワンプ・ロックだが、カントリー色が抑えられ都会的な色合いが強くなっている。インストルメンタル・パートもシャープで、モーリスならではのヴォーカルと演奏が楽しめる。

 

「ラン・トゥ・ミー」(1972.7)

1 「ラン・トゥ・ミー」(Run to Me, B, R. & M. Gibb)

 久々に三人の共作になるナンバー。B面も同じで、タイトルも両曲とも”to”を挟んだ三文字からなるのは意識してのことなのだろうか。

 1972年は、彼らが大量のレコーディングを行い、未発表を含めて3枚ものアルバムを制作したことで記憶されているが、最初のレコードが7月発売のこのシングルだった。アメリカで前作同様の最高位16位、イギリスでは1969年の「想い出を胸に」以来のトップ・テン入りで9位。表面上は、快調にヒットを飛ばしていたように見えるが、ファンなら承知のとおり、この後とんでもない人気の低落にあえぐことになる。後から思えば、この年の膨大なレコーディングも、そうした不安感の無意識の現れだったのだろうか。

 しかし「ラン・トゥ・ミー」は、そうした不安を吹き飛ばすに充分な、まさに「これぞシングル・レコード」といった作品だ。ピアノの短いイントロからすぐにバリーのハスキーなヴァースが始まるが、通常より短い6小節の繰り返しでロビン主体のコーラスに移る。すべてはこのコーラスにつなげるためと思わせるような、なんともキャッチ―なキラー・メロディが鉄壁のハーモニーに乗って迫ってくる。このあたりは見事としかいいようがない。

 ヴァースのパートがコーラスに重なり、コーラスのパートが次のヴァースに重なる曲構成で、性急に先へ先へとメロディが重層的にかぶさり、最後は”Run to me.”のリフレインがフェイド・アウトするまでの3分で完璧にまとめられたお手本のようなシングル・レコード。完全にコマーシャルなポップ・ソングだが、これだけうまくまとめられるのは長年の経験と実績の賜物だろう。

 

2 「アラスカへの道」(Road to Alaska, B, R. & M. Gibb)

 A面とは対照的な、ビー・ジーズらしからぬというか、ロビンらしからぬブギ・ロック。とはいえ、コミカルな曲調も持ち味のロビンであれば、それほど違和感もない。ロック調のバックにロビンのへなへなのヴォーカルは、合っているのかいないのか、味があるのかないのか、よくわからないが、妙なノリのよさで、まるでロック・バンドのお遊びのような雰囲気だ。久々に両面とも三人の演奏とコーラスでまとめられている。

 

『トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン』(To Whom It May Concern, 1972.10)

 『トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン』は、ビー・ジーズのキャリアのなかの大きな節目に位置するアルバムとされている[ii]。イギリスでのレコーディングをやめ、ビル・シェパードとの共同作業も終わった。RSOレコードの設立とともに、マーケットをアメリカに移し、イギリスでの人気の回復を半ばあきらめたようにも見える[iii]

 『トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン』はそうした1967年から続いた時代の終わりを告げる作品でもある。「関係各位」というタイトルは、要するに「ビー・ジーズに関心を持ってくれる人たち」、「このレコードを買ってくれた人たち」に向けたものだろうか[iv]。無論手紙文の慣用句を借りているわけだが、ひねったようでいて、さして面白くもない。前作、前々作とも収録曲の題名をアルバム・タイトルとしていたが、今回は同じタイトルの曲は収録されていない。さすがに「関係各位」というタイトルで曲を書くことは、彼らにもできなかったのだろう。どのようなファンが自分たちのレコードを買ってくれているのかわからない、そんな迷いを示しているようにも見える。ジャケットは、日本でのコンサートの写真が使用されて、日本のファンにとっては嬉しいだろうが、前作のそれなりに凝ったジャケットに比べると、安易に見えなくもない。ジャケットの内側には、メンバーやスタッフ、家族の写真がコラージュされていて、三人の立体写真が飛び出すというおまけつき。これまでの関係者の献身への感謝でもあるのだろうが、配慮なのか、投げやりになっているのか。

 アルバムの中身は、前作とはうって変わって、冒険的あるいは実験的な作品がいくつか含まれている。『トラファルガー』はメロディアスな作品ばかりをそろえた楽曲集だったが、今回は、大作風から小品まで、オーソドックスなポップ・チューンから「前衛的」作品まで、ヴァラエティに富んだ、アソーテッド・アルバムと呼ぶのが適切なアルバムになっている。

 久々にビートルズの色が感じられるアルバムでもある。とくに『サージェント・ペパーズ』の時期のビートルズ。サイキデリックとの親近性を窺わせる変てこなナンバーがあることも、そう感じさせる要因かもしれない。そう考えると、思わせぶりともいえるタイトルや13曲収録というところも『ペパーズ』を意識したものだろうか。『サージェント・ペパーズ』も13曲収録だった(タイトル曲が2曲入っているが)。1972年当時のアルバムで13曲入りというのが、そもそもめずらしい。「ラン・トゥ・ミー」以前のシングルB面曲の「カントリー・ウーマン」や「オン・タイム」はアルバムに収録されていない。同じように「ラン・トゥ・ミー」のB面の「アラスカへの道」は、入れなくともアルバムとして十分な演奏時間を確保しているのに、収録されている。どうしても13曲入りにしたかったようだ。

 全米35位。『トゥー・イヤーズ・オン』が32位、『トラファルガー』が34位だったことを思うと、健闘しているといってよいだろう。(収録されていないが)「マイ・ワールド」と「ラン・トゥ・ミー」のヒットのおかげだろう。しかしそれは、シングル・ヒットが出なくなればアルバムも売れなくなるだろうことを暗示していた。実にまったくそのとおりとなった。

 

A1 「ラン・トゥ・ミー」

A2 「ウィ・ロスト・ザ・ロード」(We Lost the Road, B. & R. Gibb)

 『トラファルガー』のアウトテイクとされている[v]が、それが意外と思わせる秀作だ。

 例によってモーリスのピアノを基調にした静かな立ち上がりから、バリーとロビンが交代にリード・ヴォーカルを取る。三拍子の曲だが、ワルツというよりロック・バラードの雰囲気。何といっても聞きどころは、力強いゴスペル風とも聞こえるコーラスだろう。とくにラストのリフレインで、コーラスにバリーのシャウトが重なる流れは、これまでにもお馴染みの演出だが、やはりビー・ジーズはこれだ、と思わせる。

 

A3 「ひとりじゃない」(Never Been Alone, R. Gibb)

 このアルバムでは、3人が1曲ずつ単独の作品を寄せているが、ロビンのソロ作はちょっとめずらしいフォーク風で、ギターとオーケストラのみをバックに、抑えた歌唱で淡々と歌っている。

 曲自体も、いつもの歌い上げるようなドラマティックなメロディではなく、かなり地味な印象。しかし、最後の最後に出てくる高音にエコーがかかるところは効果的だ。

 

A4 「紙のチサとキャベツと王様」(Paper Mache, Cabbages and Kings, B, R. & M. Gibb)

 タイトルからして、マザー・グースか何かをイメージしたようだが、妙な呪文のようなイントロから、”Na na na na na na na”のコーラスが聞こえると、子ども番組の主題歌か、はたまたバブルガム・ミュージックかと思ってしまう。しかしヴァースからの展開部で、ピアノのインストルメンタル・パートに続く”Don’t be scared.”の厚いコーラスは、それまでの曲調に不似合いな迫力がある。

 さらに中間部でテンポが落ちて、オルガンが鳴り響くと、まるでピンク・フロイドの『狂気』のなかの“The Great Gig in the Sky”のようだ。『狂気』の女性ヴォーカルほどではないが、ロビンが前作の「ボクはライオン」を引きずったような声を振り絞ったヴォーカルを聞かせた後、再び最初のヴァースに戻ってエンディングとなる。

 この間4分を越える。大作といえばそうだが、むしろ支離滅裂。最後のリフレインの歌詞。「ジミーは爆弾を持っていた。爆弾が破裂して、ジミーはいたるところに散らばった。」“Jimmy was everywhere.”という表現は、こういう場合に使われるものなのだろうか。怖すぎる。

 60年代風ともとれるメロディといい、作り物めいたサウンドと歌詞は『サージェント・ペパーズ』を思わせる。

 

A5 「恋するボク」(I Can Bring Love, B. Gibb)

 バリーの単独作は、以前ファン・クラブのEP用に作ったという短い作品[vi]。バリーなら、いくらでも新しい曲を作れそうなものだが、意外に共作でないとインスピレーションがわかないタイプなのだろうか。オーストラリア時代、ビー・ジーズの楽曲はほとんど彼がひとりで書いていたが、1966年頃からモーリスとロビンも曲を書き始めて、イギリスに戻る直前ぐらいから3人の共作も増えてきた。メロディはいくらでも浮かぶが、それを曲にまとめるにはロビンの言葉のセンスやモーリスのコードの知識などを必要としたのだろう。

 そうはいっても、この短い曲でもバリーらしい耳を引きつけるスウィートなメロディは健在で、やはり彼なら、何かのついでにでもこのくらいのメロディは造作もなく浮かんでくるのだろう、と実感する。

 

A6 「アイ・ヘルド・ア・パーティ」(I Held A Party, B, R. & M. Gibb)

 この曲も『サージェント・ペパーズ』か『アビー・ロード』あたりのポール・マッカートニー作品を思わせる。曲もアレンジもシンプルこの上ないが、ラストのパワフルなコーラスは、「パーティを開いたが、誰も来なかった。・・・バックワ―スは、一晩中でも付き合うよ、と言ってくれたが、僕は彼のことをよく知らない」、という何だか薄気味悪い歌詞と相まって、感銘させるより、首をひねりたくなる。

 この曲も60年代ポップスを連想させるメロディとは裏腹の意味深な歌詞がいかにもビートルズ的ともいえる。

 

A7 「光を消さないで」(Please Don’t Turn Out the Lights, B, R. & M. Gibb)

 A面最後は、三人のコーラスを全面に出した小味な作品。重なり合うハーモニーが聞きものだが、「灯りを消さないで」、と執拗に繰り返す歌詞は、A4やA6のような曲もあって、少々常軌を逸しているようにも感じてしまう。

 

B1 「ほほえみの海」(Sea of Smiling Faces, B, R. & M. Gibb)

 シングルを予定していたのではないか、と思われるほどとっつきやすいメロディとアレンジの曲。実際に、日本ではシングル・カットされた。どこがどうというわけではないが、和製ポップスのようにも聞こえる作品だ。日本に滞在している間に、日本のポップスを耳にしたのか。1973年に発売された南沙織の「早春の港」が似たような雰囲気を持っている。同曲は、洋楽にも造詣の深い筒美京平作・編曲である。

 また、『トラファルガー』収録の「グレーテスト・マン」に続く、バカラック・シリーズの第三弾でもある。段々とバカラックからは遠ざかりつつあるが。

 

B2 「悪い夢」(Bad Bad Dreams, B, R. & M. Gibb)

 前曲の余韻はどこへやら、こちらは『トラファルガー』には見当たらなかったギターが唸るロック・ナンバー。当時全盛のハード・ロックを意識したものだろうが、それにしてはもたもたしたサウンドで、あまり疾走感はない。やはり、やりなれないことに手を出すものではない。むしろ、息のあったコーラスが聞かせどころで、騒々しいロック調には合っていないのが悲しい。

 

B3 「キミのために」(You Know It’s For You, M. Gibb)

 モーリスの単独作は、彼らしい手慣れた作りのソフト・ロック。この頃熱中していたスワンプやカントリー色は消えて、線が太いとはいえないヴォーカルを含めてジョージ・ハリスンを思わせる。モーリスも、ハリスン同様、グループでは「第三の男」だった。リンゴ・スターのレコード制作にはかかわっていたというが、ハリスンにはどのような感情をいだいていたのだろうか。

 ここ最近の曲と比べて、意外なほどメロディアスなイントロや途中の口笛など、ゆとりのある演奏とヴォーカルが印象に残る。これまで以上にメロトロンが強調されているのは、ムーディ・ブルースあたりを意識してのことだろうか。モーリスの繊細な感性が生かされた作品といえる。

 

B4 「アライヴ」(Alive, B. & M. Gibb)

 アルバムからシングル・カットされ、全米34位。そこそこの成績だが、そろそろ70年代に入ってからの一時の勢いに陰りが見え始めたように思える。

 バリーのソロともいえる大作で、しかしその割にはもうひとつ盛り上がらない。バリーのヴォーカルのせいか、コーラスがないせいか。恐らく、アルバムの芯となるような作品を、ということで書いたのだろうが、シングルとしては大仰すぎたようにも思える。

 

B5 「アラスカへの道」

B6 「スウィート・ソング・オブ・サマー」(Sweet Song of Summer, B, R. & M. Gibb)

 アルバム中随一の、いやビー・ジーズの全作品中でも飛びきりの怪作。

 1972年の来日時のインタヴューで、日本の楽曲にも興味がある、楽器を買ってみたいなどと語っているが[vii]、最後のロビンによる怪しげな節回しのアドリブは日本の楽曲をイメージしたのだろうか。まるでいかさま行者の祈祷のようだ。モスラでも呼び出そうとしているのか。

 そしてモーリスの操るシンセサイザー。「シンセサイザーの無駄使い」と評されたらしいが[viii]、無理もない。ヴァースのメロディをなぞった後は、即興風にメロディを奏でているが、どことなく東洋風で、やはりオリエンタルかつエキゾティックな雰囲気を出そうと頑張ったらしい。

 その頑張りに対する評価が上述のとおりでは生憎なことだが、普通のポップスとげてものが交じり合ったような味わいは、本アルバムの最後を締めくくるのには適切だったかもしれない。

 

[i] 松宮英子「ロックの詩⑥ビー・ジーズ 若者、歯車、みにくいアヒルの子」『ミュージック・ライフ』1972年6月号、97頁参照。

[ii] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1972.

[iii] Cf. The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.318.

[iv] Ibid., p.317.

[v] Ibid., p.318.

[vi] Ibid., p.686.

[vii] 『ミュージック・ライフ』1972年5月号、99頁。

[viii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb., p.319.