Bee Gees 1969(1)

10 「若葉のころ」(1969.2)

1 「若葉のころ」(First of May)①

 このシングルの日本盤ジャケットは、ヨーロッパ中世の宮廷画のようなイラストに、バックは空の青。一見したところでは、ポップ・ロック・グループのレコードとは思えないような優雅なデザインだった。B面の「ランプの明かり」もバロック・ポップだったから、クラシカルな本作とのカプリングによるレコードには合っていたが。

 「若葉のころ」/「ランプの明かり」は、アルバム『オデッサ』からの先行シングルだが、ジョゼフ・ブレナンによると、イギリスでの本作の発売は69年1月、アルバムは3月。しかし、アメリカではアルバム(ステレオ)が1月、シングルが3月リリースだという[i]。これが正しければ、アメリカではアルバムからのシングル・カットということになる。

 また本作は「獄中の手紙」以後の初のシングルだった(アメリカでは「ジョーク」が『アイディア』からシングル・カットされた)。1967-68年の英米での最初の1年がシングル6枚という大量リリースだったのとは、非常に対照的だ。1年目はシングル中心、1968-69年はアルバム中心に移ったといってもよいかもしれない。実際、『オデッサ』は初の二枚組だった。

 壮麗なオーケストラの演奏から始まるバラードで、ピアノをバックにバリーが落ち着いた声で「僕が小さかった頃、クリスマス・ツリーは大きく見えた」、と歌い始める。この曲もまたワン・フレーズを発展させただけのシンプルな作品だが、サビの高音部分のバリーの切なげな声が叙情を深める。2番に入ると、オーケストラが一気にかぶさって、ドラムとベースが加わり、「二人とともに育ったリンゴの木から、リンゴの実がひとつ、またひとつと落ちていく」という歌詞が、さらに感傷を誘う。最後は再び冒頭の歌詞に戻り、楽器の音が消えた後、バリーの声だけが遠ざかり、かすかに聞こえて終わる。けれん味のない、しかし詩情にあふれた作品となっている。

 ところで、「ぼくらは恋していた。みなは遊んでいたけれど」のメロディ進行は、ビートルズの「レット・イット・ビー」にどことなく似ている。「レット・イット・ビー」は1970年1月の発売だが、周知のとおり、すでに1969年1月の『ゲット・バック』セッションでレコーディングされている。わずかな相似とはいえ、ちょうど同じ頃というのが面白い。

 もう一つ付け加えると、最後の「でも、五月一日がやってきて、涙を流すのはどちらなのだろう」の展開は不自然ではないだろうか。初めて聞いた時から思っていたことだが、トップから一気に音を下げて、強引に締めくくったかのように聞こえる。悪く言えば、素人が曲のまとめ方がわからず、無理やり終わらせたかのように感じられないでもない。そもそも曲全体が、やたらと音が激しく上下して、歌いづらそうだ。既に述べたことだが、この辺のアマチュアっぽさもまた彼ららしいとはいえる。きちんと音楽的修練を経て、作曲技法を学んだ人たちからすれば、彼らのような譜面も読めない素人の集まりが書いた曲が世界中で何千万枚も売れたのは納得いかないことかもしれないが。

 

2 「ランプの明かり」(Lamplight)②

 「若葉のころ」/「ランプの明かり」のシングルは、古参のファンにとっては、もっとも複雑な思いのあるレコードだろう。このレコードがグループの崩壊を導く原因となったことは、ファンなら誰もが知る話だからだ。

 そもそもは『オデッサ』からのシングル候補は表題曲だった、という。ロバート・スティグウッドは、「オデッサ」を史上最高のポップ・ソングだと激賞し、ロビンにそれを伝えた。「オデッサ」はビー・ジーズの楽曲中、最長の7分30秒の大作だったので、AB面に分割してシングル盤に収録する案も出たが、演奏時間の長いシングルは、すでにリチャード・ハリスの「マッカーサー・パーク(McArthur Park)」(1968年、後にドナ・サマーのヴァージョンが全米1位となった[ii]ジミー・ウェッブの作品)、そして何よりビートルズの「ヘイ・ジュード」が発表されていたので、結局シングル・カットは見送られた。

 次に候補となったのが、バリー主体の「若葉のころ」とロビンのヴォーカルの「ランプの明かり」だったが、最終的にスティグウッドが前者をAサイドとすることを決めた、という[iii]

 この結果に不満だったロビンは、ついに1969年3月19日にソロ活動を宣言[iv]ビー・ジーズとしての5年間の活動の契約破棄が問題となり、訴訟に至る。その後、1970年までにグループは事実上、消滅という結末を迎える。

 バリーとロビンの確執と対立は、ビー・ジーズの歴史を彩る(ありがたくない)縦糸のようなものだが、振り返ってみると、すでに「恋するシンガー」と「ジャンボ」のAB面入れ替え事件の頃から、ロビンの不満はくすぶり始めていたのだろう。バリーは、ビー・ジーズというグループを解き明かすキーワードは「エゴ」だといったそうだが[v]、この言葉には当事者の実感があふれている。

 とはいえ、「若葉のころ」と「ランプの明かり」のカプリングは、ビー・ジーズの全シングル中のベストというのが筆者の意見である。デビュー・シングルの「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」/「誰も見えない」のカプリングも捨てがたいが、「若葉のころ」/「ランプの明かり」はそれ以上だと思う。「若葉のころ」は全米では37位に終わったが、イギリスでは6位にランクされた。またドイツでは3位まで上昇したが、「ランプの明かり」のほうがAサイドだったらしい[vi]。だとすれば、どちらの曲も国は異なれど、人気を博したということだろう。

 チャート成績を別にしても、「若葉のころ」と「ランプの明かり」はどちらもこの時期のビー・ジーズを代表する楽曲である。冒頭、モーリスの12弦ギターが切迫した感情を表わし、この後の劇的な展開を予感させる。まるで聖歌隊のようなコーラスが「ああ、戻ってきておくれ、愛しい君」とフランス語の歌詞を歌うと、ロビンがそれを受けて「もうおしまいかもしれない。彼女は買いたいものがあるという。僕は眼を閉じる。なぜだかわからないけれど」、と失いかけた恋を歌う。それに続くコーラス、「ランプの灯は燃え続ける。僕の心が求め続けるかぎり」のハーモニーも切ない。エンディングでは、冒頭のパートを、今度は英語で「カム・ホーム・アゲイン・ディア」と歌うと、4小節の短いメロディを挟んで、最後はスキャットによるコーラスがギターとともに次第に遠ざかり、曲は終わる。

「ランプの明かり」を構成するメロディの数々はどれも甘美で芳醇だが、とりわけ最後に繰り返される「アイ・ハヴ・ウェイテッド・イヤー・アフター・イヤー」の旋律は聴き手を陶酔へと誘い込む力をもっている。

 あまりに大げさな、という批評もあるだろうが、ビー・ジーズバロック・ポップの決定版といえる。

 

〔4〕『オデッサ』(Odessa, 1969.3)

 真っ赤なビロードを張った真ん中に金文字でBEE GEES、そしてODESSAとだけ印されたジャケット。メンバーの写真も、その他のイラストも一切なく、裏面も赤一色。『オデッサ』は、どこからどこまでも『ザ・ビートルズ』、通称『ホワイト・アルバム』を意識した仕様になっている。

 『ホワイト・アルバム』の発売は1968年11月。『オデッサ』は1969年3月、いやアメリカでは先行して1月にリリースされたというから、普通なら、「影響を受けて」つくる時間的余裕はないはずだが、そこはそれ、スティグウッドがもともとNEMSで働いていたことから、情報は伝わっていたらしい。スティグウッドの指示で、ビー・ジーズもダブル・アルバムを制作することになった(もっともバリーの証言によると、二枚組になったのは経済的な理由、すなわち利益が見込めるからだったという)[vii]

 しかし自発的な意志によるものではなかったとしても、『オデッサ』はビー・ジーズにとって、極めて実験的かつ挑戦的な作品となった。端的にいえば、シングル・アルバムだったらやらなかったような曲が入っているということで、それが例えば7分を超える表題作であり、3曲のインストルメンタル・ナンバーである。

 とはいっても、全17曲で60数分というのは、確かに前作の『アイディア』の倍近い収録時間ではあるが、現在なら1枚のCDに収まる程度に過ぎない(実際そうなっている)。全30曲で90分を越えるモンスター級ヴォリュームの『ホワイト・アルバム』に比べると、無理して二枚組にしました感がありありと見える。もっとも、『ホワイト・アルバム』以後、大流行となるダブル・アルバムのうちでも傑作とされるエルトン・ジョンの『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』(1973年)や、エレクトリック・ライト・オーケストラの『アウト・オヴ・ザ・ブルー』(1977年)なども全17曲で、この全17曲という構成は二枚組の標準的な曲数なのかもしれない。

 このように、『オデッサ』は『ホワイト・アルバム』後のダブル・アルバム・ブームの先陣を切った作品である。周知のとおり、『ホワイト・アルバム』以前にも、ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』(1966年)やフランク・ザッパの『フリーク・アウト』(1966年)などがあるが、ダブル・アルバムの流行を招来するには至らなかった。『ホワイト・アルバム』のフォロワーズでは『オデッサ』が最短記録だろう(近いところで、シカゴの『シカゴ・トランジット・オーソリティ』が1969年4月に出ている)。フライング気味ではあるが。

 その後、ピンク・フロイドの『ウマグマ』(1969年)、ローリング・ストーンズの『メイン・ストリートのならず者』(1972年)、前述のエルトン・ジョン、そしてスティーヴィー・ワンダーの『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』(1976年)などの名盤が生まれ、さらにはイエスの『海洋地形学の物語』(1973年)のようなトリプル・アルバムまで出現した。

 話を戻すと、『オデッサ』のレコーディングは、1968年8月のアメリカ・ツァー中に始まり、数曲を録音した後、イギリスに戻って、10月から12月にかけて、いつものIBCスタジオを中心に作業が進められた。

 しかし、11月にヴィンス・メローニィが脱退したことから、メローニィのギターを削除するなどの措置が取られたらしい。といっても、メローニィの脱退は、新作のレコーディングに支障をきたすものではなく、コリン・ピーターセンを含む4人によって録音が続けられ、アルバムは完成した。

 この事実は、ビー・ジーズがロック・バンドではないことを、はからずも実証することになった。リード・ギタリストが抜けた後、その後釜を補充せずに活動を続けるロック・バンドがあるだろうか。結局、ギブ兄弟こそがビー・ジーズにほかならないので、その後ピーターセンが切られたように、『オデッサ』はその事実を改めて確認させるものだった。

 

A1 「オデッサ」(Odessa)③

 嵐をイメージしたサウンド・エフェクトで始まり、風が吹きすさぶなかでモーリスのギターが哀愁を帯びたメロディを弾くと、バリーの語りのような、呪文のような声が「1899年2月14日、イギリス船ヴェロニカ号は何の痕跡も残さず、消息を絶った」、と告げる。続けてロビンが「バー・バー・ブラック・シープ、ユー・ハヴント・エニ・ウル」とマザー・グースをもじったあと、「リチャードソン船長は、ハル港に一人妻を残し、消えた」、と物語るように歌い継いでいく。

 「オデッサ」は、「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」同様、架空の海難事故と船長の運命をテーマとした叙事詩で、なぜかバルティック海の海難事故と黒海の海港都市オデッサが結びつけられる。最初のヴァースはゆったりしたテンポでロビンがトラディショナル・フォーク風のメロディを歌うが、一転、サビでは教会音楽を思わせる「オデッサ、私の強さはどれほどのものか。オデッサ、かくも時は早く過ぎ去るものか」の壮大なコーラスが響き渡る。2番のヴァースはテンポが速まり、ロビンのヴォーカルの背後からわき上がるオーケストラが広々とした大洋を思わせ、どこか明るく、不思議な高揚感を漂わせる。そして再び轟き渡るコーラスをバックに、ロビンがオペラのような歌唱[viii]でサビを繰り返す。エンディングはモーリスのギターが冒頭と同じフレーズを繰り返し、重々しい沈鬱なスキャット・コーラスを挟んで、再び「1899年・・・」のメロディが楽器の音が途絶えた静寂のなかに響くと、「オデッサ」は終わる。

 サウンドの中心は、モーリスのギターとビル・シェパードのオーケストラ、そしてポール・バックマスターのチェロ[ix]である。弾き語りのような印象を与えるのは、ドラムスが使われていないせいだろうか。2009年に出された、オリジナル・アナログ盤を忠実に再現した『オデッサ[x]には、ボーナス・トラックとして、収録曲の多くの別ヴァージョンが収められているが、そのなかの「オデッサ」のファースト・テイクを聞くと、未完成という以前のひどい出来で、よくまあ、ここからファイナル・ヴァージョンにもっていけた、と感心する。完成形の「オデッサ」も完璧とはいえないが、曲自体の素晴らしさと、そして何よりデビューから2年でこれだけの作品を作り上げたことに素直に感動する。

 

A2 「私を見ないで」(You’ll Never See My Face Again)④

 大作の「オデッサ」に続く、バリーのヴォーカルによる「私を見ないで」はずっとリラックスした雰囲気のシンプルなフォーク・バラードだが、それでも4分を越える。これまで4分越えの曲はビー・ジーズにはなかったが、『オデッサ』は二枚組ということもあって、6曲もの大盤振る舞いだ。無理やりコーラス・パートを増やして引き伸ばしたような作品も目立ち、苦心のほどが忍ばれる。「私を見ないで」もトゥー・コーラスでよさそうな曲だが、スリー・コーラスまである。しかし、それほど長すぎるという感じはしない。メロディはあまり特徴がないように聞こえるが、繰り返し聞くうちに耳に馴染んでくるよさがある。とくにモーリスのハーモニーが加わるコーラスの「君は自分が一人でやっていけると思っている。笑っちゃうよ。君には友達の一人もいないじゃないか」、というあたりのメロディは耳馴染みがよい。歌詞は相当怖いが。「私を見ないで」ではなく、「君の顔は見たくない」ではないか。

 この曲もバリーとモーリスのギターにオーケストラがかぶさるアレンジで、ドラムは聞こえない。『ホワイト・アルバム』も最初の2曲(「バック・イン・ザ・USSR」と「ディア・プルーデンス」)は、リンゴ・スターがドラムを叩いていないが、一体何の暗合だろうか。果たして、ピーターセンはどう思っていたのだろうか。

 

A3 「黒いダイヤ」(Black Diamond)⑤

 黒いダイヤといっても石炭のことではなさそうだ。「オデッサ」、「ランプの明かり」とともに、本アルバムでのロビン・ギブ三部作とでも呼べる3曲目である。『オデッサ』の制作中は、バリーとロビンの不仲が頂点に達していたらしく、バリーはバリーで色々な不満があったことを回想のなかで述べているが、実際、ロビンはこの3作に創作力を集中させていたらしい[xi]

 ギターをバックに「きみはどこに。愛しているのに」とロビンがイントロ代わりの、しかし美しいメロディを歌うと、ピーターセンのドラムスが入ってくる。最初の2曲がドラム抜きだったので、満を持してというか、急にサウンドが締まった印象を与える。

 メインのパートは、4小節のヴァースを繰り返した後、4小節のセカンド・ヴァースを繰り返し、さらに4小節のブリッジを挟んでサビのコーラスへと続いていく。この時期の彼らの曲のなかではかなり複雑な構成だ。さらにメイン・パートが終わると、「ハ・ハ・ハ・ハ・ハ」の2小節の繋ぎから、最後の「セイ・グッドバイ・トゥ・オールド・ラング・ザイン」の力強いリフレインへと移る。クラシカルだが、これまでにない一風変わった旋律だ。

 このように、メインのパートの前後に追加のパートが付け加わっているのが、ロビン主導の3曲に共通する特徴で、彼の力の入れ具合もわかる。3曲とも『オデッサ』を代表する楽曲と言えるだろう。ロビンの3曲にインストルメンタルの3曲。これらが『オデッサ』のバロック・ポップ・アルバムとしての印象を決定づけている。

 

B1 「日曜日のドライブ」(Marley Purt Drive)⑥

 『オデッサ』のアメリカでのセッションは、リマスター盤解説によると、8月13日から20日までニュー・ヨークのアトランティック・レコーディング・スタジオで行われたらしい。アメリカ録音で、しかも現地ミュージシャンを起用したこともあってか、カントリー風の曲が目立つ。そのうちのひとつがこの曲で、外部ミュージシャンがバンジョーとスティール・ギターを弾いている[xii]。『オデッサ』は、ロビンのヴォーカル曲のようなバロック・ポップ・アルバムの性格と、アメリカでのセッションに見られるようなフォーク・カントリー・アルバムとしての特徴を併せ持っている。というより、アルバムとしてテーマが分裂している。よくいえば多彩であるともいえる。

 この曲について言えば、バンジョーやスティール・ギターが使われ、ドラムの音が強調されているなど、バンド志向が強まっているようにも感じられる。しゃれではないが、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(1968年)からの影響が指摘され、どっしりと粘りつくようなサウンドが特徴だ。

 曲は、例によってバリーがさっと書いたと思しき10小節の繰り返しで、彼の、カントリーというより、むしろソウル・ミュージック風のヴォーカルで聞かせていく。

 曲本体とは対照的な、ラストの繊細なコーラスとストリングスも印象的。

 

B2 「エディソン」(Edison)⑦

 アメリカでのセッションが始まった時、次のアルバムは『マスターピース(Masterpeace)』または『アメリカン・オペラ(The American Opera)』というタイトルのコンセプト・アルバムとして構想されたというが、結局ロビンとバリーの対立などにより、当初の計画は立ち消えとなり、タイトルも『オデッサ』に変わった[xiii]。しかし、最初のコンセプトは、様々な立場や境遇の人々をテーマにした人間模様だった、ともいい、それを裏付けるように、「オデッサ」ではリチャードソン船長、「日曜日のドライブ」では孤児を引き取って養育する夫婦がテーマになっている。そしてこの曲では、「エディソン」すなわち発明王エジソンというわけである。

 そこで「彼は電気の光をつくって、本を読めるようにしてくれた。彼は明かりを与えてくれたんだ」、という歌詞が歌われる。3拍子と4拍子を組み合わせた「明るい」曲調は、歌詞の内容に合わせたのだろうか。電子ピアノの音色もそうした演出のうちらしい。

 もともとはBarbara Came to Stay (バーバラは兄弟の母親の名前)というタイトルだったらしく、初期ヴァージョンがリマスター盤[xiv]に収録されている。そちらはもう少しラフな歌い方でロックっぽさが目立ち、どことなく『サージェント・ペッパーズ』を思わせる。

 

B3 「メロディ・フェア」(Melody Fair)⑧

 日本ではおなじみの曲。1971年に映画『小さな恋のメロディ』のサウンド・トラック盤からシングル・カットされて、50万枚近いセールスを記録した。「マサチューセッツ」と同様、いやそれ以上にビー・ジーズの日本での人気を高めた。

 だからというのではないが、やはり本作は『オデッサ』のなかでも、「オデッサ」、「ランプの明かり」、「若葉のころ」と並ぶ代表作といえる。あるいはそれ以上かもしれない。くっきりとした、わかりやすい、流れるようなメロディは、クラシック、例えばグリーグの『朝』のような普遍性をもっているように思う。

 少女に「君はきれいになれるよ」、と語りかける歌詞は、フェミニズム的にどうなの、と物議を醸したようだが、ヒロインの名前を冠したタイトルを訳せば「美しいメロディ」、まさに、類まれなるメロディ・メイカーである彼らにふさわしい。バリーによれば、「エリノア・リグビー」に触発された[xv]、というが、ポール・マッカートニーほど文学的でも、シニカルでもないが、それでも、この曲の持つ愛らしさと無邪気さは他にはない独特の魅力を放っている。イントロのストリングス、コーラスでバリーに代わってリードを取るモーリスの屈託のない歌声、そしてこれもモーリスと思われる間奏とエンディングにおけるファルセットも、この曲の魅力をさらに高めている。

 多くの人の記憶に長く残る曲のひとつだろう。

 

B4 「サドンリィ」(Suddenly)⑨

 モーリスがドラムスを除くすべての楽器を演奏し、リード・ヴォーカルを取った最初の曲として知られる。考えてみると、意外な気がする。オーストラリア時代、モーリスはすでに自作の曲を何曲かレコーディングしていて、それらの曲では、当然、彼がリード・ヴォーカルを務めているが、英米デビュー後は、ここまでそのような曲はなかった。『オデッサ』でそれが実現したのも、ダブル・アルバムならではということだったのだろうか。ビートルズの『ホワイト・アルバム』も、リンゴ・スターの単独曲が初めて収録されたアルバムだったが、モーリスはスターと違って、作曲経験は豊富だった。

 作曲もモーリスの単独、あるいは少なくとも主導によるものだろうが、クレジットは3人の共作となっている。英米デビュー後のビー・ジーズの楽曲は、始めロビンとバリーの共作が中心で、何曲かにモーリスが加わるケースが多かったが、「マサチューセッツ」以降、すべて3人の共作とクレジットされるようになった。これはレノン=マッカートニーのように、ある時点からすべての楽曲を3人の共作と表記する取り決めでもしたのだろうか。それとも、実際にすべて3人の共作なのだろうか。とすると、注11で引用したバリーの証言-「ロビンが新作で書いたのは4曲だけ」-はどういうことになるのだろうか?

 それはさておき、「サドンリィ」は、確かにバリーやロビンが書く曲とは一線を画する。分類すればフォーク・ロックだろうが、ソリッドなサウンドは別のアーティストのレコードを聴いているような気になる。モーリスの声はバリーやロビンほど特徴がないが、その分サウンドに溶け込んで、もっともロック的といえる。

 「突然、雨の中に少年が立っている」、という歌詞も暗示的だが、モーリスは当時「自分には歌詞は書けない」、と言っていた。これはロビンが書いたのだろうか。また共作の話題になるが、3人の分担は、主にバリーが曲を書き、ロビンが歌詞を書いて、モーリスがアレンジを担当する、という風に言われたことがある。もちろん、3人とも単独で作詞作曲できるのだが、この曲の場合はどうだったのだろうか?

 

B5 「ウィスパー・ウィスパー」(Whisper, Whisper)⑩

 オデッサ・セッションで最初にレコーディングされたのがこの曲だった、という。場所はアメリカのアトランティック・スタジオだが、この後、「日曜日のドライブ」(8月15日)、「恋のサウンド」「ギヴ・ユア・ベスト」(8月20日)、「エディソン」が録音され、他に「若葉のころ」(8月16日)と「七つの海の交響曲」のデモ・ヴァージョンが作られた[xvi]

 そこでこの曲だが、最初に録音したにしては、随分と奇妙な曲だ。左右でオーケストラが一方は上昇し、他方は下降するイントロからして妙といえばいえるが、フェイド・インしてくるテンポもとぼけていて、バリーのヴォーカルも変というか、少々気持ち悪い。左右で鳴るピアノもそろっているかと思えば、ときに弾いたり弾かなかったりする。すると突然間奏では美しいストリングスが聞こえてきて、どうにも真面目に聞けない。

 変に凝っているのも特徴で、後半、「ウィスパー、ウィスパー」のリフレインがフェイド・アウトしていくと、急に音が切られて、新しいパートが始まる[xvii]。ドラムスの連打でスタートするのは、ピーターセンの顔を立てたドラム・ソロのつもりだろうか。最後はバリーの早口言葉(「ジャンボ」のような?)の歌詞から、管楽器のコミカルな音でおしまいとなる。

 これはコミック・ソングなのだろうか。「私はあなたの欲しいものを持っている。呼び止めて買ってください」、という歌詞は、詐欺師がテーマなのか。面白いといえば面白い、・・・だろうか?多くのアーティストのダブル・アルバムについて、曲を選別してシングル・アルバムにしたほうがよかった、という評価が下されることがままあるが、『オデッサ』の場合も例外ではない。バリー自身がそれを認めているが[xviii]、この曲など、さしずめカットの第一候補になるのではないか。

 

C1 「ランプの明かり」

C2 「恋のサウンド」(Sound of Love)⑪

 この曲もモーリスのピアノをバックに、バリーがささやくように歌い始めるが、「若葉のころ」とは異なり、次第にソウル風にシャウトし始め、サビのところでは、ピアノともどもドラマティックに盛り上げる。バリーの歌声に合わせて、ときに静かに、ときに力強く鍵盤を叩くモーリス(とドラムのピーターセン)との息のあった掛け合いが聞きものになっている。

 曲は、『アイディア』の「つばめ飛ぶ頃」を思わせるが、もっとマイナー調のメロディで、ヴァースはともかく、コーラスのフレーズが単調な繰り返しで、やや面白みに欠ける。バリーの歌いっぷりのよさでもっている曲、という感じだろうか。

 

C3 「ギヴ・ユア・ベスト」(Give Your Best)⑫

 フィドルバンジョーに外部ミュージシャンを起用して、かなりタイトな演奏を聞かせる。「日曜日のドライブ」とともに、このアルバムではバンドっぽい作品である。

 最初にバリー、モーリス、ロビンの語りが入り、かぶさるように演奏が始まるが、ロビンの声は、終盤にYeahの掛け声が入るほかは、あまり目立たない。基本的にバリーのヴォーカルで進行する。

 曲はいかにもといったカントリー・アンド・ウェスタンだが、それほどあくは強くなく、ポップ・ソング色が目立っている。そこはイギリスのグループならではということだろうか、サビのメロディもビー・ジーズらしく感傷的な美しさがある。道化師をテーマにした歌詞にふさわしいペーソスを感じさせる作品。

 後に「メロディ・フェア」、「若葉のころ」同様、『小さな恋のメロディ』で使用された。

 

C4 「七つの海の交響曲」(Seven Seas Symphony)⑬

 「サドンリィ」に続いてモーリスが主役を務める曲が登場する。彼がオーケストラをバックに最初から最後までピアノ・ソロを聞かせる[xix]。他のメンバーはレコーディングに加わっていない。しかも、テイク数はわからないが、一発取りのライヴ・レコーディングだという[xx]。モーリスにとっては、インストルメンタル・パートを一手に引き受けているという自負もあり、腕の見せ所だったのだろう。

 それにしてもこの曲の作曲はどのように行われたのだろうか。当然、アレンジにはビル・シェパードの協力が大きかっただろうが、ピアノ・ソロはモーリスが自分で考えたのだろうか。主旋律は単純で、ギブ兄弟にも十分書けそうな曲ではあるが。

 曲自体は、クラシックというより、映画音楽ないしBGM風で、タイトルからくる「大海原を進む船」というイメージをうまく表現している。穏やかな凪の海を進む船、一転して嵐が吹き荒れて、その後また静かな海へ、という演出はベタではあるが(凪だけに)、4分を越えるだけあって、3曲のインストルメンタルのなかでは最も聞きごたえがある。

 3曲ものインストルメンタルは多すぎるとも言えるが、二枚組ならではの試みでもあり、またメンバーの負担を軽減する意味でも効率的な選択だったのだろう。ギブ兄弟にしても、(モーリス以外)演奏もなし、歌わなくても済むし。

 こう言ってしまっては、身もふたもないが。

 

C5 「ウィズ・オール・ネイションズ」(With All Nations)⑭

 2曲目のインストルメンタル曲はさらに省力で、メンバーの関与はなし。2分足らずの、アルバム中最も短い曲でもある。

 最初は歌詞が付いていた、というのはリマスター盤で初めて知らされた驚くべき事実だが、インストルメンタルのみでも十分に雰囲気は伝わってくる。「すべての国民とともに」、とはえらくスケールが大きいが、勇壮あるいは荘厳な曲調で、わずか8小節を3度繰り返すだけの単純な構成だが、前曲以上にバロック調のメロディが印象的だ。

 ロビンなら書きそうな曲想だが、これがバリーの言う「ロビンが書いた4曲」[xxi]のひとつなのだろうか。

 

D1 「アイ・ラフ・イン・ユア・フェイス」(I Laugh in Your Face)⑮

 1968年7月に録音された。本アルバムではもっとも早いが、実際は、前作『アイディア』のアウトテイクで、「獄中の手紙」のBサイドの予定だったのではないか、ともいう[xxii]

 4分を越える曲だが、もし『アイディア』に収録されていたとしたら、もっと短くカットされていたのだろうか。最後のコーラスの途中でフェイド・アウトするとか。

 曲はメランコリックなマイナー調だが、タイトにまとまっていて、あまり長さを感じさせない。彼らの最上のメロディとはいえないが、サビの3人のコーラスは厚みと広がりで聴き手を圧倒する。考えてみれば、『オデッサ』はコーラスがあまりなく、その意味では、アウトテイクであっても、『アイディア』の頃の息の合ったコーラスが聞けるのは、ファンにとってはうれしい。『アイディア』の頃、といっても、『オデッサ』とそれほどレコーディング時期が離れているわけではないのだが。

 しつこいようだが、『アイディア』のアウトテイクということは、これが「ロビンが書いた4曲」のひとつなのだろうか。

 

D2 「ネヴァー・セイ」(Never Say Never Again)⑯

 何の変哲もないポップ・ソング。69年の日本盤解説にも、「もう少し手を加えて欲しかった」、という評言が載っている[xxiii]が、それも無理はない。曲もアレンジもシンプルで単調なのだ。3分ちょっとの曲だが、3番まであるのは長すぎる気がしたものだ。二枚組だから、一曲一曲を引き伸ばしているな、とも感じた。

 2009年のリマスター盤を聞くと、メローニィのけたたましいファズ・ギターがフューチュアされていて驚かされる[xxiv]。サイキデリックの残り香というか、ミスマッチというより、いささかクレージーなアレンジだ。

 そうはいっても、近年の評判は意外によく、シングル候補になりえた、との意見もある[xxv]。確かにキャッチーなメロディで、バリーとモーリスのサビのハーモニーも耳に心地よい。

 もうひとつ取りざたされてきたのは歌詞の一節、「もう会わないなんて言わないで。君がさよならを告げるなら、僕はスペインに宣戦布告する」。バリーが「馬鹿げている。ロマンティックじゃない」、と言ったのに対し、ロビンが「何かと戦おうとすることくらい、恋する男にふさわしいものはないだろう」、と答えたという話[xxvi]。なるほど、ロビンの言うことはもっともだ。いや、そうでもないか。エリザベス1世時代のスペイン無敵艦隊との戦争に引っ掛けているのは明らかで、歴史好きだというロビンらしい発想といえる。

 (何度もいうが)以上の逸話を考慮すると、これが「ロビンが書いた4曲」のひとつだろうか。4曲どころか、ずいぶんたくさん書いているようだが。

 

D3 「若葉のころ」 

D4 「ブリティッシュ・オペラ」(The British Opera)⑰

 アルバムの最後を飾るのは、3曲目のインストルメンタル・ナンバー。前2曲と比べても、最もギブ兄弟の関与が薄い。ほとんどビル・シェパードの作品といってもよさそうである。メインとなる旋律は「ランプの明かり」などと共通するバロック風で、オルガンの弾くメロディもビー・ジーズっぽい、というより、プロっぽくないように聞こえるが、どこまでがギブ兄弟の作曲で、どこからがシェパードのアレンジなのだろうか。

 そう思わせるのは、「七つの海の交響曲」以上に、凝った音楽的演出がされているからでもある。角笛を模したホーンが鳴ったり、何かが忍び寄るような弦楽器の響き。タイトル通り、ロビン・フッドでも登場しそうなヴィジュアルなイメージを喚起する。

 その曲名、「ブリティッシュ・オペラ」は、『オデッサ』の仮タイトルだったThe American Opera と明らかに関連していると思えるが、どちらが先だったのだろう。最後の曲がインストルメンタルというのは、物足りないとも、手抜きとも映るが、1曲目の表題曲と同じクラシカル・ポップで締めくくったのは、アルバムの最初と最後を同系統の作品でまとめるという、これまでのやり方に倣ったものだ。そういう意味では、ラストはこの曲しかなかったのだろう。

 

[i] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1969.

[ii] 1978年11月11日~25日。

[iii] Melinda Bilyeu, Hector Cook and Andrew Môn Hughes, The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb (New edition, Omnibus Press, 2001), pp.208-209.

[iv] Ibid., p.216.

[v] Idea (2006), p.3.

[vi] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, Appendix III, p.689: Appendix VI, p.705.

[vii] Ibid., p.210; Bee Gees; Day-By-Day Story, 1945-1972, p.80. 後者で紹介されているバリーのインタヴュー記事では、ビートルズの真似であることをむきになって否定しているのが面白い。バリーによると、クリームと同じ時期に計画されたのだ、という。クリームの二枚組というと、『ホィールズ・オヴ・ファイア(クリームの素晴らしき世界)』(1968年)のことだろう。

[viii] Ibid., p.208.

[ix] Ibid.

[x] Odessa (2009). このリマスター盤には、オリジナル盤に封入されていたステッカーなども再現されているが、日本盤にはこのようなものは付いていなかった。

[xi] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.216. バリーは、『オデッサ』でロビンが書いた曲は4曲だけだと主張しているが、そうだとすると、残る1曲はどれだろうか。

[xii] Odessa (2009).

[xiii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.209.

[xiv] Odessa (2009).

[xv] Ibid., p.212.

[xvi] Odessa (2009). 1968年8月13日。『アイディア』のアウトテイクだった「アイ・ラフ・イン・ユア・フェイス」を除く。

[xvii] 2009年のリマスター盤には、後者のパートが独立して収められている。

[xviii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.210.

[xix] Ibid., p.212

[xx] Odessa (2009).

[xxi] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.216.

[xxii] Ibid.

[xxiii] 八木 誠氏による解説。

[xxiv] Ibid.

[xxv] Ibid.

[xxvi] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.212.