横溝正史「探偵小説」

 (本作のアイディアおよびトリックのほかに、コナン・ドイル江戸川乱歩の短編小説に注で言及しています。)

 

 「探偵小説」は、横溝正史の敗戦後最初の小説である。『週刊河北』の注文に応じて書き始めたが、長くなったので、「神楽太夫」を代わりに書いて、「探偵小説」のほうは、それでも少し縮めて『新青年』に掲載された[i]。以上は、本作が再録されるたびに繰り返されてきた解説なので、横溝ファンなら耳にタコができているだろう。

 同時に、本作は、横溝戦後中短編のなかでも代表作の筆頭に挙げられる。間違いなく、ベスト・ファイヴに入るが、他は、「黒猫亭事件」・・・、あとは、適当に選んでください。

 探偵作家と画家と歌手が東北の温泉帰りの駅待合室で、列車を待つ間に、温泉町で起こった殺人事件をもとに作家が組み立てた短編ミステリのプロットを聞かされて、暇つぶしをする。室内には、怪しい二人組の先客がいるが、三人組は、お構いなしに話を続ける。すると、・・・というストーリーで、小説中に小説が出てくるメタ・ミステリの構造をもっている。

 それが第一の特色だが、作中作の小説もいたって手の込んだトリック小説で、死体移動のトリックのほかに、様々なアイディアが盛り込まれていて、そこにさらに、画家と歌手が茶々を入れて、実際に、作者が若い人たちとディスカッションしたという裏話[ii]をそのまま反映したような書きぶりになっている。「死体移動トリック」は、この時期、作者の関心を惹きつけていたジョン・ディクスン・カーの長編ではなく、コナン・ドイルの短編[iii]から採られたもので、新味はないが、最初から種を割って、江戸川乱歩の短編[iv]なども引きつつ、読み慣れた読者相手に手の内を見せながら、余裕たっぷりに話を進めていく。「トリック?使い方が上手けりゃ、オリジナルじゃなくてもいいんだよ」、と言わんばかりである。

 短編であることを充分に意識して、犯人を隠すよりも犯行を工夫することに比重を置いて、トリックのネタ晴らしを兼ねながら、いわば倒叙ミステリ風に展開していく。この辺りもメタ的趣向といえるだろう。

 そして、最大のメタ・ミステリ的な仕掛けが、最後に明らかになる謎の二人組の正体だろう。作家の種明かしが終わると、二人組のひとりが、突然、馴れ馴れしく話しかけてくる。高笑いとともに待合室を飛び出していく男、戸惑う三人組。残されたもう一人がピクッともしないのを怪しんだ画家が、男を突っつくと、絞殺されていることがわかる。女性歌手が派手な悲鳴を上げているところに、さきほどの男が、警官を連れて戻ってくる。なんと、探偵小説のプロットが、現実の犯行そのままだ、というのだ。殺されていた男は、作家が犯人に設定していた人物、三人に話しかけたのは、罪を着せられた被疑者の兄だった。この兄は、犯人を怪しんで、人けのない駅待合室で相手を責めているうちに、つい絞め殺してしまう(つい、絞め殺すなよ)。しかし、作家の推理が真相を言い当てていると気づいた彼は、待合室を飛び出すと警官を呼んできたのだった。その後、真相が小説のプロットどおりであることが確かめられ、弟は釈放され、死んだ犯人は自然死とわかり、兄も罪に問われずに済んだ。めでたし、めでたし、・・・って、何ていいかげんで、わざとらしい結末。いかにもつくりものの探偵小説みたい・・・いや、つくりものの探偵小説だった。ということで、作者の自虐的な感慨とも取れるタイトルどおり、本作は、なんともご都合主義の結末に至るまで、最初から最後まで、どこからどこまでも「探偵小説」でした、というオチ。

 作中小説の犯人が作中の現実の事件でも犯人でした、という都合のよすぎる小説なので、タイトルも「探偵小説」。メタにメタを重ねて、目が回るようだが、これぞまさに、戦後横溝ミステリの典型のようなスマートさで、機知の塊のような短編である。ヴェテラン作家ならではの軽妙で手慣れた語り口に、つい騙されてしまうが、ここまでウィットに富んでアヴァンギャルドな短編ミステリは、それまでの日本にはなかったろう。

 

[i] 横溝正史横溝正史ミステリ短編コレクション3 刺青された男』(柏書房、2018年)、「付録① 跋」、399頁。

[ii] 同。

[iii] アーサー・コナン・ドイル「ブルース・パーティントン設計書」『ホームズの最後の挨拶』(1917年)所収。

[iv] 江戸川乱歩「鬼」(1931年)。