『アラビアン・ナイトの殺人』

 『アラビアンナイトの殺人』(1936年)は、ジョン・ディクスン・カーの長編のなかでは、あまり語られることのない作品である。ただし、「日本では」と断りを入れる必要がある。よく知られていることだが、ハワード・ヘイクラフトは、有名な『娯楽としての殺人』の第14章「探偵小説の本棚」でミステリの里程標となる作品を著名作家から選んでいるが、そのなかでカー名義では『アラビアンナイトの殺人』を、カーター・ディクスン名義で『プレーグ・コートの殺人』を挙げている))[i]

 しかし、このヘイクラフトの評価を引用した中島河太郎は、『アラビアンナイトの殺人』(と『曲がった蝶番』)について、「カーの六十編中の代表作かというと、いろんな見方があるものだと思うほかはない」、と酷評している[ii]。『アラビアンナイトの殺人』の解説の文章なのだから、驚きである。このほかにも、「著者が本書で試みた叙述形式は冗漫に流れたといえないことはない」「先に本書の特徴としてファース的作風であると述べたが、関係者の遊戯的態度や、事柄の皮相な観察だけからすれば、こっけいな結果を招いたというにすぎない。全編どたばた騒ぎが演じられるでもなく、ユーモラスな雰囲気がただよっているわけでもない」、とさんざんである[iii]。これでは、書店でこの解説を立ち読みした人は、ぜったい本書を買わないだろう。

 とはいえ、日本における『アラビアンナイトの殺人』の受け取り方は、おおむね中島の解説と似たり寄ったりと思しい。この解説によって、こうした評価が定着したという側面もあるだろうが、多くの読者にとって、本書の特徴と言えば、「ユーモア」「エキゾチック」「大長編」といった言葉に尽きており、ミステリとしての特徴はあまり語られない。中島が言及している「本書で試みた叙述形式」とは、3人の警察関係者(アイルランド人のジョン・カラザーズ警部、イングランド人のハーバート・アームストロング副総監とスコットランド人のデイヴィッド・ハドリー警視)が順に事件の概要を語っていくという構成のことで、これがアラビアンナイト夜話をもじっているわけだ-『月長石』も意識しているのかもしれない-が、確かに冗長といえなくもない。初期のカーの長編のなかではとびぬけて長いということもあり、それが本作に手を伸ばしづらくしているとも考えられる。しかも肝心のトリックは、カーにしては平凡なもので、その点も日本のカーのファンに受けが良くない原因だろう。

 ちなみに江戸川乱歩の「カー問答」では、それまでに乱歩が読んだ29長編のうち、本作を第2位の7作のうちに含めているが、その評価は、「(やはりヘイクラフトに言及して)この『アラビアンナイト』を大いに期待して読んだのだが、それほどに感じなかった。私の好みでは第二位の一番最後に置く程度のものだった。しかし日本にもヘイクラフトと同じようにこの作に感心する人もあるだろうから、ちょっと断っておくわけだよ」[iv]、とヘイクラフトに気を使っただけのような文章を記している。あの熱のこもった「カー問答」とは思えない冷めた評価だ。松田道弘の、こちらも有名な「新カー問答」も同じようなもので、やはりヘイクラフトの評価に、横溝正史の孫引きの形で言及しているだけである[v]

 こうしてみると、『アラビアンナイトの殺人』はほとんどヘイクラフトしか評価していない作品、というよりも、むしろヘイクラフトの評価のみで、代表作らしい、と思われてきた長編という印象がある。

 

 以上の著名なミステリ評論家の評価をみてきた後では気が引けるが、『アラビアンナイトの殺人』はカーの最も面白い長編の一つである、と結論したい。「面白い」というのは、「ユーモラスで面白い」という意味ではない。ミステリとして面白い、ということである。

 その結論を説明するためには、ヘイクラフトとは別の評価を取り上げなければならない。それはエラリイ・クイーンである。

 クイーンに「黄金の二十」というエッセイがある。江戸川乱歩編『世界短編傑作集』の第5巻の巻末に収録されているので、よく知られているはずだ[vi]。このなかでクイーンはミステリの傑作を短編10編、長編10編選んでいる。いずれも歴史的価値を重視しているので、長編では、エミール・ガボリオ『ルルージュ事件』(1866年)からフランシス・アイルズ『レディに捧げる殺人物語』(1932年)までが年代順に選ばれている。カーはそのなかに入っていないのだが、「等外賞」として4長編が挙げられており、ザングウィル『ボウ町の怪事件』(1892年)、フリーマンの『赤い拇指紋』(1907年)、メースンの『矢の家』(1924年)とともに『アラビアンナイトの殺人』が採られているのである。1930年代の長編としては、9位にハメットの『マルタの鷹』(1930年)、10位に前記のアイルズが挙がっているが、カーが最も新しい長編である。このエッセイの発表年は1943年となっているので、ヘイクラフトの評価に影響された可能性もあるだろう。しかし、自分たちとほぼ同時期に作家としてデビューし、年齢も一歳違い、同じパズル・ミステリを得意とするカーを、クイーンが意識していたであろうことは疑いなく、その実力を間違いなく認めていたはずだ。その二人が、他人の評価にただ従ったとは思えない。しかも、等外賞の4作品のなかでは、もっとも新しい作品である。それだけ本作を評価していたのだろう。しかし、なぜ『アラビアンナイトの殺人』なのか。1943年といえば、カー名義の『帽子収集狂事件』『三つの棺』『火刑法廷』『曲がった蝶番』『皇帝のかぎ煙草入れ』、ディクスン名義の『プレーグ・コートの殺人』『赤後家の殺人』『ユダの窓』などはすでに発表されている。等外賞とはいえ、なぜ、カーの代表作として『アラビアンナイトの殺人』を選んだのだろう。

 筆者の考えでは、同作がもっともクイーンの作品に近いからである。

 

 改めて、作品のプロットを見よう。ロンドン市中のある博物館で、展示されていた馬車の中から短剣で刺殺された死体が発見される。被害者と思われる人物はその少し前に博物館を訪れ、警備員が目撃したところでは、何者かに呼び止められて、馬車の中に導かれたらしい。しかも被害者の顔にははずれかけた付けひげがぶら下がり、靴底には石炭粉がびっしりついていることがわかる。同じ夜、牧師姿の奇矯な人物が巡回中の警察官に襲いかかるなど、不可思議な出来事が相次ぎ、事件は混沌とした様相を呈していく、というものである。

 事件の最後の語り手となるハドリー警視は、しかし、あっさりと犯人を指摘し、それまでのエキセントリックな事件の様相からは意外なほどの理詰めの推理を展開する。付けひげや石炭粉のほか、凶器の短剣や壁に投げつけられた石炭のかたまりなどの物的証拠を一つ一つ吟味して、見事な推論を組み立てていく。その推理は、共犯者の存在を論理的に否定するなど、まるでエラリイ・クイーンの初期長編さながらである。この作でのハドリー警視はほとんど名探偵のクイーンかドルリー・レーンのようだ。というよりも、むしろこれはクイーン長編のパロディである。つまり、『アラビアンナイトの殺人』はクイーン流の論理的推理を前面に押し出した作品なのである。従って、カーの狙いはトリックの独創性ではなく、いかにそのトリックを論理的に解明するかにある。トリックがありふれている、などというのはまったく見当違いの評価で、この作品の狙いはそこにはない。

 そのことは、その後を読むとわかる。無論、ハドリー警視の推理は完全ではない。最後は、フェル博士が真相を語って幕となる。ところが、その推理は、ハドリー警視のそれとは異なり、まったく理詰めではない。「不必要なアリバイの謎」と作中で表現されているように、かなり人を食った手掛かりであり、推理である。ハドリー警視が指摘した容疑者を守るために、博物館の持ち主でもある富豪が、十数人の証人を買収したことがわかるが、なぜそれほど多数の証人を買収したのか、が鍵となる。たった一人、真相の手掛かりとなる証人を隠すため、というのが解答だが、このアイディアはチェスタトンの有名短編のようだ[vii]。推理自体もチェスタトンを思わせる。つまり、本作は、クイーン流の論理的推理とチェスタトン風の直感的推理を並べて見せることでオリジナリティを出したものなのである。

 おそらくカーは、自分と同年代の新進作家クイーンの、論理を重視したスタイルに刺激を受け、自分も同様の長編を書いてみようと思ったのだろう。しかし、クイーンのスタイルをまねるだけでは興がない。そこで、お気に入りのチェスタトンのスタイルも取り入れて、ハドリー警視とフェル博士の対照的な推理比べをメインにして長編を書いたと思われる。

 本作では、フェル博士の直感的推理が最終的な勝利を収めるが、それは、クイーンよりもチェスタトンを上に、カーが見ていたというわけではなく、むしろクイーンの徹底した論理追及の作風に感心したからではないか。クイーンが本作をカーの代表作として選んだのも、そうしたカーの意図と稚気を読みとったからなのではないだろうか。

 

[i] ハワード・ヘイクラフト(林峻一郎訳)『娯楽としての殺人 探偵小説・成長とその時代』(1941年、国書刊行会、1992年)、342頁。ただし、後に『曲がった蝶番』(1938年)に替えられている。同、349頁訳注3。

[ii] ディクスン・カー(宇野利泰訳)『アラビアンナイトの殺人』(東京創元社、1960年)、518頁。

[iii] 同、517-18頁。

[iv] 『カー短編全集5/黒い塔の恐怖』(宇野利泰・永井淳訳、東京創元社、1983年)、315頁。

[v] 松田道弘『とりっくものがたり』(筑摩書房、1979年)、211頁。

[vi] 江戸川乱歩編『世界短編傑作集5』(東京創元社、1961年)、349-66頁。

[vii] G・K・チェスタトン(中村保男訳)『ブラウン神父の童心』(東京創元社、1982年)、298-326頁。