横溝正史『真珠郎』

(本書のトリックのほか、エラリイ・クイーンの『エジプト十字架の謎』、さらにE・フィルポッツ『赤毛のレドメイン家』、S・A・ステーマン『六死人』、江戸川乱歩「石榴」、アガサ・クリスティアクロイド殺し』、ついでに「黒猫亭事件」のトリック、アイディア等を明かしていますので、これら諸作を未読の方はご注意願います。)

 

 真珠郎はどこにいる[i]

 

 あまりにも有名な呼びかけで始まる本書は、1936年10月号から翌年2月号まで『新青年』に連載され、4月には六人社から単行本が出版されたという[ii]江戸川乱歩の序と作者の序文およびエッセイ「私の探偵小説論」が収録され、それ以外にも題字が谷崎潤一郎、口絵は松野一夫、さらに装丁は水谷準(エッセイ付き)と、そうそうたる顔ぶれが関わっている。これには圧倒を通り越して圧倒される(自分でも何を言っているのか、わからなくなった)。もちろん現物は見たことさえないが、恐らく横溝正史の著作中でも、もっとも貴重なマニア垂涎の書であろう。

 作品自体も、決して横溝の最高作とまでは言われないが、「鬼火」、「蔵の中」(いずれも1935年作)の耽美主義の流れを汲みつつ、そこにパズル的興味を織り込んだ謎解き小説として、この時代にしか読めない横溝正史の世界が描かれている。この時代にしか読めないというのは、このあと生活の問題もあって、由利麟太郎シリーズを中心に、乱作といっては語弊があるが、通俗探偵小説の量産が始まるので、本書ほど丹念にきめ細かく書かれた小説は、戦前には、もはや見られないように思うからである。

 前半の信州の高原の風景-作者の病気療養中の観察に基づいているのだろう-や、後半の吉祥寺における惨劇の夜の描写など、怪奇のなかに情緒をたたえた横溝らしい文章が、かなりの完成度をもって綴られている。まとわりつくような文体が奇怪な謎を耽美的に表現して、冒頭の真珠郎の出現を描いた「序詞」などは、その典型である。

 横溝らしい謎の魅力は、他にも、そこここに見出すことができて、例えば真珠郎が立っていた柳の木の下に人骨が埋められていたことを告げる由利の言葉、バスのなかや洞窟内で出会った奇怪な老婆の行方が知れて主人公の前に引き出されたとき、以前会ったいずれの老婆とも違っているとわかる瞬間の戦慄など、読んでいて、ぞくぞくしてくる。

 もっとも、そうした謎かけの素晴らしさに比べると、謎解きのほうは、いささか平凡で独創性に欠けるかもしれない。耽美主義的であることが、逆にパズル・ミステリの緊密な論理性を犠牲にしているようにも感じられる。乱歩が『本陣殺人事件』の書評で、著者には戦前にも『真珠郎』のような謎解きミステリの成果があると一応認めながらも、本書に関して「この人はこういう風にしか書けない作家かも知れぬと考えていた」[iii]と記しているのは示唆的である。あまりにも謎の提示の仕方が幻想的(あるいは扇情的)であるということだろうか。そして、それはまた乱歩自身の持ち味でもあった(「陰獣」における「道化師の謎」など)。

 しかし、作者序文を読むと「私はこれでも、この小説を本当の探偵小説を書くつもりで書いた」[iv]と並々ならぬ抱負を述べている(もっとも、その後の回想で、怪奇趣味ばかりが浮き上がってしまったと反省の弁を語っているのは、先の乱歩の指摘とも符合している[v])。同時に「探偵小説の中でも最もポピュラーなテーマのひとつである⦅顔のない死体⦆と、真向から取り組んでみようと試みた」[vi]とも言っていて、「顔のない死体」が、その後の横溝のお家芸ともなることを思えば、彼にとっての「本当の探偵小説」がどのようなものであったのかが推測できる。

 その「顔のない死体」については、同時収録の「私の探偵小説論」が詳しく論じていて、最近読んだミステリ四冊すべてで「顔のない死体」が扱われていた、と書いている。E・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』(1922年)、エラリイ・クイーンの『エジプト十字架の謎』(1932年)、S・A・ステーマンの『殺人環』(『六死人』、1931年)、江戸川乱歩「石榴」(「柘榴」、1934年)の四冊なのだが、これらのうち一編(「石榴」のこと)を除いて解決方法が一緒で、要するに「被害者と犯人の入れ替わり」であると指摘、結末が同じと読者がわかっているトリックを、どうアレンジして裏をかくかが、このテーマの眼目なのだ、と結論している[vii]

 では本書はどのようなアレンジを施しているのか、ということになるが、実は『真珠郎』のアイディアは『エジプト十字架の謎』と同一である。そのことは後年のエッセイで作者自身が認めているし、その後の小林信彦との対談でも同様のことを語っている[viii]。「探偵小説論」では、しかし、そこには触れずに『エジプト十字架』の新機軸をばらしている。殺されたと思われた人物が途中で生きていたと判明し、しかし、その後改めて殺されたかにみえたが、結局、最後に犯人とわかる(ややこしいなあ)、この二重のトウィストに『エジプト十字架』の工夫があると述べている。これを、わたしは「顔のない死体の重層化」と定義した[ix]が、ところが、横溝が論じている、この『エジプト十字架』のアイディアは『真珠郎』には取り入れられていないのである。実は『エジプト十字架』には、もうひとつ工夫があって、それは「顔のない死体の複数化」とでも呼べるものである。被害者の首が持ち去られる殺人が複数起きるが、そのうちの何件かで被害者と犯人が入れ替わっているというアイディア(数年後にアガサ・クリスティが、このアイディアで長編を書いている。ただし「顔のない死体」ではない)で、『真珠郎』で採用しているのは、こちらのほうなのである。そのことは上記の小林との対談で、横溝自身が(書いてから四十年近くたっているのに、はっきり覚えていて)回想している[x]

 小林との対談で『真珠郎』が『エジプト十字架』に触発されて書かれたことを知って、その後「私の探偵小説論」[xi]を読んだとき不思議に思ったのは、『エジプト十字架』の「複数化」のアイディアのほうについては、なにも言及していないことだった。反対に『真珠郎』で借用していない「重層化」のアイディアのほうを詳細に論じている。なぜだろう?と、ずっと疑問に感じていたのだが、よく考えたら簡単な話だった。ミステリ読者には先に解説を読む不埒者が多い(わたしも、よくやる)。解説で真相を明かしている場合「本文読了後にお読みください」と断り書きをつけるのが常識である。「私の探偵小説論」は作者自身の解説のようなものだから、自作で借用したアイディアについて述べていないのは当たり前のことだった。都合のよいことに(?)『エジプト十字架』には、二つの新工夫が盛り込まれている。そこで一方についてのみ詳述して、もう一方の自作に取り入れたアイディアについては口をつぐんでおいたのだろう。さすがは横溝、この周到さには恐れ入る。

 しかし、と、さらに考える。ここまで用意周到な横溝のことだから、「私の探偵小説論」を『真珠郎』に収録したのには、もっと積極的な意味が含まれているのかもしれない。

 すなわち、『真珠郎』は『エジプト十字架』を元にしているのだから、黙っているのはよくない。『赤毛』などとともに『エジプト十字架』も取り上げて詳しく分析するが、しかし、『真珠郎』との相似には気づかれないように、わざと真似していない発想のほうに論点を限定する。こうしておけば、(元ネタにした『エジプト十字架』に言及しているのだから)フェアであるし、『エジプト十字架』を読んでいない読者は、もちろん『真珠郎』を純粋に楽しめる。すでに読んでいる読者も「死んだと思っていたら生き返って、また死んだと思ったら犯人だった」トリック(「帰ってきたヨッパライ」か)のほうに気を取られて、「複数のうち、ひとりのみ入れ替わっていた」トリックのほうは見落としてくれるかもしれない。

 少々うがち過ぎかもしれないが、わざわざ「探偵小説論」を『真珠郎』に併録したのは、意図的に読者の眼を逸らし、思考を誘導するためだったように思えてきた。

 本書と同じ頃に書かれたジョン・ディクスン・カーの『三つの棺』(1935年)では、有名な「密室講義」がミスディレクションとして用いられている(「密室講義」を「真面目に」読んだ読者ほど、『三つの棺』のトリックを見破ることは難しくなる)。やっぱりカーと横溝は似た者同士だったのだな、とも思うが、『三つの棺』の「密室講義」は、あくまで作品の一部であって作品外にはみ出してはいない。横溝を過度に持ち上げる気はないが、本書の場合は、作品外のエッセイをミスディレクションに用いる過激さで、ある意味空前絶後のメタ・ミステリ的トリックともいえる。どうも驚き入った話だ。

 そりゃあ、深読みしすぎだろう、と思われるかもしれないので、では、もう一点取り上げよう。「私の探偵小説論」には「探偵小説と稚気」という項目もあって、これを読むと戦後の横溝ミステリのエッセンス-ミステリの「稚気」-を先取りしたような議論[xii]が展開されており、興味深い。ミステリのフェア・アンフェア問題と関連して、クリスティの『アクロイド殺し』(1926年)にも触れていて、例の有名なS・S・ヴァン・ダインによる『アクロイド』批判についてなのだが、そのなかで次のような鋭い指摘をしている。

 

  しかし、この小説(筆者注-『アクロイド殺し』のこと)の意図した謎は、「誰が 

 犯人か?」という点にあるのではなくて、あの一人称で書かれたスタイルにあるので

 ある[xiii]

 

 つまり、犯人のアイディアがフェアかアンフェアかではなく、一人称手記の書き方の工夫にこそ『アクロイド』の独創性がある、ということなのだろう。『アクロイド』については、そもそも手記を書く心理がおかしいという批判もあるが、すでにして一人称の語りをミステリの技巧として捉えている点に、ミステリ作家横溝の真面目が現れている。これと比較すると、ヴァン・ダインは所詮ミステリ作家としては素人にすぎなかったようだ(外国作家をよいことに、言いたい放題言っていると思われそうだ)。

 しかし、ここで問題にしたいのはヴァン・ダインをくさすことではなく、『真珠郎』が、まさに一人称手記のミステリとして書かれているということである。

 「探偵小説論」に眼を通してから『真珠郎』に取り掛かった読者は、むむっ、と思うのではないだろうか(ここ、岡本綺堂風)。

 そもそも、本書の場合、一人称手記が一体いつから書き始められたものなのか、非常に曖昧である。前記のとおり、美少年殺人鬼の真珠郎が登場する冒頭場面は、はなはだ印象的だが、「真珠郎はどこにいる」という最初の呼びかけからして、まるで小説のようである(いや、小説だろう、と突っ込んではいけない)。

 つまり手記というより創作のような書き方なのだ。しかも、書き手の主人公、椎名耕助は私立大学の「英文科」の講師である。

 改めて(今さら)あらすじを述べると、「わたし」こと椎名耕助は、ある日、出勤途中の九段の坂上から、まるで皿に載せられたヨカナーンの首のような雲を目撃する。そのとき偶然言葉を交わした同僚の乙骨三四郎と親しくなった椎名は、信州旅行に誘われ、湖のほとりの奇妙な屋敷に逗留することになる。娼家を移築した不思議な建築で、鵜藤という世捨て人のような男が姪とともに二人で暮らしている。その姪の由美の美しさに次第に惹かれていく椎名であったが、鵜藤家には妙な雰囲気が漂っていて、離れの蔵には誰かが閉じ込められているらしい。そのことに気づいた日の深夜、乙骨と椎名は、柳の木の下に佇む怪しい美少年-すなわち真珠郎-を目撃したのだった。

 数日後、ボート遊びのさなかに浅間山の噴火に出くわした椎名たちは、屋敷に戻る途中で恐るべき光景を目撃する。湖水を見下ろす展望台に立つ鵜藤に、背後に迫った真珠郎が刃を振り降ろしたのだ。さらに由美を打ち倒した真珠郎は、鵜藤の体を引きずって湖水の洞窟に姿を消した。意識を取り戻した由美を連れて、乙骨と椎名は真珠郎を追う。途中で老婆と出会った一行が洞窟内に侵入すると、なんと老婆は真珠郎の変装で、乙骨を気絶させたうえに、切り離した鵜藤の首を、まるで毬のようにもてあそび、そのまま、いずこへともなく姿を消してしまった。

 以上の顛末で第一の事件が終わると、その後乙骨と由美の関係に気付いた椎名は、失意のうちに屋敷を後にする。数か月後、吉祥寺にある乙骨と由美の新居に招かれた椎名の前に、再び真珠郎が姿を現わす。雪に包まれたクリスマスの夜、乙骨家を襲った真珠郎は、応接室に閉じ込められた椎名の目前で乙骨を襲撃し、由美を連れ去ったのだ。やがて井之頭公園の池のほとりで、首を切り取られた女の死骸が発見された。

 上記のように、二つの首切り殺人のうち、第一の鵜藤殺しは偽装(ただし殺害動機はある)で、第二の殺人で入れ替わりが行われる、というのがトリックである。

 以後は解決編で、由利麟太郎が登場して事件を終結へと導く。

 改めて全体を見返すと、椎名の手記は、寺田辰弥が金田一耕助に勧められて書き始めた(『八つ墓村』)のとは異なり、由利に請われて取り組んだわけではないようだ。真珠郎を初めて目撃した場面が冒頭にあるということは、早くて信州に滞在中か、その後東京に戻ってから書き始めたように見える。この部分を読む限りでは、まだ事件は終わっておらず、椎名は真相を知らないかのようである。

 しかし、第5章の「逃げ水の淵」で鵜藤の遺体を持ち去った真珠郎を洞窟まで追う場面では、真相はすでに明らかになって事件を回想している風である[xiv]。さらに、第8章の「美しき二匹の野獣」で鵜藤が残した「真珠郎日記」なるものが問題となるが、椎名は、この箇所を書いている時点では、信州の警察に保管されている日記を入手することができなかった、と、わざわざ断っている[xv]。以上を勘案すると、どうやら手記を書き始めたのは事件が終結した後になってからのようだ。ということは、まるで真相がわかっていないかのような冒頭場面の書きぶりは、実は劇的効果を狙った小説的技巧だったことになる。

 怪しいではないか。

 こうなってくると、この手記全体が創作である可能性も考えなければならない。事件の経緯そのものは、警察や由利探偵が関与している以上、嘘ではないにしても、結末、とくに椎名と犯人が洞窟内で二人だけで相対するシーンは、椎名の証言しかない。最後に掲げられている犯人の遺書も、本人の筆跡であることは確認できるとしても、犯人が命を絶ったという証拠は、椎名の記述以外、存在しない。案外、犯人は生きていて、事件のほとぼりが冷めたころに椎名と手に手を取って行方をくらますつもりなのかもしれない。いやいや、それ以上に、乙骨を殺害したのも椎名と犯人の共謀だったのではなかろうか。この二人がデキているのは間違いないし、最初は乙骨と共犯関係だったにしても途中から椎名に乗り換えた可能性は否定できない。恐らく、それは吉祥寺における第二の事件の前だったのではないか。このとき椎名が殺人の目撃者となったのは、彼が鍵のかかる応接間で寝ると言い張ったからで、乙骨は座敷で寝るように勧めている(椎名も一緒に始末するつもりだったのかもしれない)[xvi]。つまり、予め犯人と打ち合わせて応接間に泊まるよう計らったのは椎名自身なのである。

 ああ、恐ろしい。ひょっとするとわたしは、事件の最初から、このことを考えていたのかも知れません(『真珠郎』最終頁を参照)。

 

 妄想は大概にして、しかし、こんな推理が頭に浮かんできてしまうのも「私の探偵小説論」が『真珠郎』に収録されているからである。『真珠郎』とこのエッセイとは、続けて読んでこそ面白いことが、よくわかった。セットとなることで真価を発揮するというべきである。そう考えれば、初版本を忠実に再現した扶桑社文庫版は、まさに快挙というにふさわしく、天晴れ至極である。それに比べ、他の集成本[xvii]に掲載されているという理由から「探偵小説論」をカットしてしまった柏書房版(「由利・三津木探偵小説集成」)[xviii]は、全く駄目。画竜点睛を欠くと言わざるを得ない。

 とはいっても、どちらも日下三蔵編だし、それに後者には、初版本に加えて大谷崎による題字の写真まで再現されている[xix]。いやあ、さすがです(日和ってしまいました)。

 

 ちなみに、横溝は戦後に書かれた名作「黒猫亭事件」(1947年)でも、同様の「稚気」を爆発させている。同作も「顔のない死体」を扱っているが、傑作たるゆえんはトリックにあるのではない。「密室」、「一人二役」と併せて作品内でトリック論を展開し-その点は『三つの棺』に近い-、それが読者を欺くミスディレクションになっているからである。『真珠郎』(というか「私の探偵小説論」)は、例え無自覚だったとしても、横溝が戦前、すでに欧米ミステリの神髄をマスターしていたことを物語っている。

 もっとも「私の探偵小説論」を『真珠郎』に併録した意図について、横溝自身がなにかを語っているわけではない。その後『真珠郎』を再刊する際、「探偵小説論」が併録されなくとも、何も不平不満は述べていないようだ。やっぱり、お前の深読みだよ、と言われそうだが、いやいや、横溝はそんな思い付きを、いちいち覚えていないのだ。次々にアイディアが浮かんでくるから。

 いやはや、まったく、これだから天才は困る。先へ先へと突っ走って読者を置き去りにする。わたしごときが横溝正史を語るなど、おこがましいとよくわかった。修行して、出直してきます。

 

[i] 『真珠郎』(「昭和ミステリ秘宝」、扶桑社文庫、2000年)、8頁。

[ii] 同、「解説」(日下三蔵)、474頁。

[iii] 江戸川乱歩「本陣殺人事件」『随筆探偵小説』(光文社、2005年)、393頁。

[iv] 横溝正史「自序」『真珠郎』、450頁。

[v] 横溝正史「私の推理小説雑感」(1972年)『探偵小説五十年』(再版、講談社、1977年)、306頁。

[vi] 同。

[vii] 横溝正史「私の探偵小説論」『真珠郎』、463-68頁。

[viii] 「私の推理小説雑感」、306頁、『横溝正史読本』(小林信彦編、角川書店、1976年)、38頁。

[ix] 『エジプト十字架の謎』についての拙文。

[x]横溝正史読本』、38頁。

[xi] 最初にどこで読んだのか、覚えていないのだが、どうやら『トランプ台上の首』(角川文庫、2000年)に収録されたときだったらしい。『横溝正史探偵小説選Ⅰ』(論創社、2008年)、「解題」(横井 司)、555頁。

[xii] 『真珠郎』、452-55頁。

[xiii] 同、455頁。

[xiv] 同、54頁。

[xv] 同、98頁。

[xvi] 同、136、215頁。

[xvii]横溝正史探偵小説選1』(論創社、2008年)、495-508頁。

[xviii] 『真珠郎』(日下三蔵編「由利・三津木探偵小説集成」、柏書房、2018年)、317-458頁。

[xix] 同、「編者解説」、483頁。