ビー・ジーズ1966(2)

.

 この項目で取り上げているアルバムは、どちらも1966年に発売されたものではない。それなのに、なぜ、ここに置くかといえば、他に入れるところがないからである。

 

ビー・ジーズ『ターン・アラウンド・・・ルック・アット・アス』(Turn Around …Look at Us, 1967)

A1 Turn Around Look at Me/2 The Battle of the Blue and the Grey/3 Three Kisses of Love/4 Theme From Jamie McPheeters/5 Every Day I Have to Cry/6 I Want Home

B1 Cherry Red/2 All of My Life/3 I Am the World/4 I Was A Lover, A Leader of Men/5 Wine and Women/6 Peace of Mind

 1967年になってフェスティバル・レコードが出したアルバム。もちろん、ビー・ジーズがイギリスとアメリカ(その他)でヒット・レコードを出すようになったので、そのお相伴にあずかるためである。

 タイトルは、「オーストラリア時代のぼくらのレコードも買ってくれ」というギブ兄弟(とフェスティヴァル・レコード)の気持ちを表現しているのだろうか。それとも、「ビー・ジーズよ、ぼくたちのことも忘れないでくれ」というオーストラリアの(少数の)ファンの心境を代弁しているのか?

 曲目をみると、あからさまに前の二枚のアルバムに入れそびれた残り物を詰め込んだとわかる。デビュー・シングル両面に、他のライターのカヴァー曲、それにアルバムに収録漏れのシングルAB面。それでもまだ曲が足りないので、既に以前のアルバムに入っている3曲を最後に付け足して、ようやく12曲にこぎつけたという、涙ぐましい努力のあとがうかがえる。

 とはいえ、これがビー・ジーズがオーストラリアに残した3枚目のオリジナル・アルバムということになる。そして、この時代に発表した楽曲がすべてアルバムで聞けるようになった(オーストラリアのみ。トレヴァー・ゴードンとのレコードを除く)。全35曲で、そのうちギブ兄弟のオリジナル曲は32曲。このあと、『ビー・ジーズ、バリー・ギブの14曲を歌う』、『スピックス・アンド・スペックス』、『ターン・アラウンド、ルック・アット・アス』の三枚[i]は再度編集されて、Rare, Precious and Beautifulの通しタイトルでヴォリューム1から3までが1968年から翌年にかけて世界的に発売されている。日本でも、『スピックス・アンド・スペックス』[ii]、『若き日の想い出』、『オーストラリアの想い出』というタイトルでリリースされた[iii]

 

ビー・ジーズノスタルジア』(Inception/Nostalgia, 1970)

 1970年になって突如登場した(日本は1972年)レア・コレクション。

 『スピックス・アンド・スペックス』アルバムの制作前後に録音されたとみられる[iv]正体不明の怪しいアルバム。本人達からの詳しい説明もない模様で、当人らもよく覚えていないらしい。しかも二枚組と無駄に長く(いや、そんなこともないが)、何だか変な曲がいっぱい入っているなあ、と初めて聞いときに、そう思った。ビートルズのカヴァーが3曲もあるのは、なるほどと納得したが、一番驚いたのは「サムホェア」だったかな。

 それまでタイトルのみ聞いていた「ライク・ノウバディ・エルス」のような曲が入っているのには、ほおっ、と思ったし、「イン・ザ・モーニング」は、あれ、これオーストラリアにいた頃の曲だったのか、とびっくりした[v]ことも、今思い出した。

 日本盤のフロント・カヴァーは、『トゥー・イヤーズ・オン』のジャケット写真の別ヴァージョンを流用していて[vi]、オーストラリア時代のアルバムとなると、オリジナル盤のジャケット・デザインを執拗に拒否しているのはなぜだったのか、と改めて思う。Rare, Precious and Beautifulの3枚はすべて毒々しい色合いの蝶の写真(イラスト?)がジャケットいっぱいに写し出されて、結構気持ち悪いからか。Inception/Nostalgiaは、さらに輪をかけて不気味な、羽の生えた鳥のような魚のような奇妙な生物と花が描かれて、サイキデリックというか、シュールリアリスティックなジャケットなので、大人しい日本人向きではない、そういうことだろうか。(以下、太字はオリジナル曲。)

 

Ⅰ                                                    

A1 「イン・ザ・モーニング」(In the Morning, B. Gibb)

 オーストラリア時代の楽曲のうち最もカヴァーされた曲で、この時代のバリーの最高傑作のひとつ[vii]。この評価には、ほぼ異論は出ないだろう。

 曲ももちろん素晴らしいが、本作ではとくにバリーの瑞々しい詩作が際立っている。「朝。月が眠りにつくころに、君を待っている。太陽の光とたわむれる虹を眺めながら。・・・午後には、海辺の流れ去る砂で城をつくって。・・・」19歳の青年らしい無邪気で飾り気のない言葉を選びながら、しかし、19歳とは思えないほど巧みにメロディと溶け合う、その響きは、まさに、この時代のバリーにしか作れない傑作といってよいだろう。

 無論、1971年のリメイク・ヴァージョンのほうが完成度は高いが、バリーの声に寄り添うようにロビンが声を重ねる素朴なこのオリジナル・ヴァージョンも、依然として捨てがたい魅力を放っている。

 

A2 「ライク・ノーバディ・エルス」(Like Nobody Else, B, R. & M. Gibb)

 この曲は、ビー・ジーズのデビュー当時、オーストラリア時代からソング・ライターとして活躍していた実例として、ロス・ブラヴォウズというバンドがカヴァーしている[viii]、と紹介されていた記憶がある。

 リズム・アンド・ブルース風ロックといった作品で、サビのタイトルを繰り返すパートなど、シンプルこの上ないが、単純にコーラスを重ねていくだけでどんどん気持ちが高ぶっていく、それなりにツボを心得た曲作りが心憎い。

 そして曲作りといえば、ついにバリー、ロビン、モーリス三人による共作が始まる。三十年余に及ぶ「魔の三角地帯」、じゃない、「最強のトライアングル」のスタートである。

 

A3 「デイドリーム」(Daydream, J. B. Sebastian)

 ここから、当時のヒット曲のカヴァーが入ってくる。「デイドリーム」は、モンキーズではなく(あちらは、「デイドリーム・ビリーヴァー」)、ラヴィン・スプーンフル英米での大ヒット曲。

 バリーのヴォーカルは、とくに目立った特徴もなく、まあ、普通?口笛があんまりうまくないなあと思ったが、これはバッキング・トラックに元から入っていたのだそうだ[ix]

 

A4 「淋しい冬」(Lonely Winter, C. Keats)

 いかにもギブ兄弟が書きそうな曲だが、実はカール・キーツというライターの書いた曲だった。それを知って、何だか裏切られた気分になったのは、どういうファン心理なのか。

 キーツは、ビー・ジーズと長年親交のあったスティーヴ・アンド・ザ・ボード(Steve & the Board)のメンバーで、後年オリヴィア・ニュートン=ジョンらにも曲を提供したのだという[x]。この曲もマイナー調のメロディが美しく、アルバムのなかでも上位に入る曲だろう。珍しくモーリスがリード・ヴォーカルを取っている。

 

A5 「ユア・ザ・リーズン」(You’re the Reason I’m Living, B. Darin)

 この曲は、本アルバムが初めてリリースされたときから「ユア・ザ・リーズン(You‘re the Reason)」(1961年、ボビー・エドワーズ他作)と間違われてきたのだという。本当のタイトルは「ユア・ザ・リーズン・アイム・リヴィング」で大物シンガーのボビー・ダーリンの作なのだ、と[xi]

 しかし、そんなことより(といっては失礼だが)、驚くのは、バックにオーケストラが使われていることだ。しかも、同じようにビッグ・オーケストラが演奏する曲がこの後も次々に出てくる(Ⅰ:B4、B6、Ⅱ:A4、A6、B1、B4)。どうやら、既成のバッキング・トラックを使って、ただヴォーカルを加えただけらしい[xii]。何でそんなことをしたのかも、よくわからないようで[xiii]、『1960年代のビー・ジーズ』でもいろいろと憶測が並べられている(TVショウ用、あるいは単に暇つぶし?)[xiv]

 曲はリズム・アンド・ブルース調のバラードなので、バリーの声には合っている。

 

A6 「コールマン」(Coalman, B. Gibb)

 「オール・オヴ・マイ・ライフ」などと同様、ビートルズ・スタイルの楽曲。

 「石炭掘り」?これも、何でこんなタイトルというか、テーマなのか意味不明な曲。セカンド・ヴァースをロビンが、サビをバリーが歌う。なかなかコマーシャルでポップなメロディで、「オール・オヴ・マイ・ライフ」と異なるのは、どこかユーモラスなところだが、この手のタイプの曲は、さすがに少々聞き飽きてきた?

 

B1 「バタフライ」(Butterfly, B, R. & M. Gibb)

 本アルバムでは、「イン・ザ・モーニング」と並ぶ代表作のひとつ。

 こちらは三人の共作だが、実に若々しく、朝露が滴るような清々しいハーモニーが胸を打つ。「グリーンフィ~ルズ」の冒頭のコーラスから、過ぎた日々の初恋を歌う、後年の「ファースト・オヴ・メイ」を先取りしたような、アルバム・タイトル通りのノスタルジックな作品。傑作云々をいう以前に、無垢で無防備な少年の感性が共感を呼ぶ。

 といっても、マーマレイドによる出色のカヴァーがある[xv]ので、ビー・ジーズのヴァージョンは、厚みとスケールで若干物足りなくもある。今聞き返して無性に感動するのは、その後の彼らの歩みを知っているからかもしれない[xvi]

 

B2 「嵐」(Storm, B, R. & M. Gibb)

 「嵐」って、なんだか「柔」とか「仁義」とか、演歌みたいだが。

 本作も、いかにもビー・ジーズらしい、あるいはロビン好みのメロディアスなポップ・バラード。ヴァースは単調なフレーズの繰り返しで淡々と進むが、サビで突然高音になると、そのまま天井を突き破って大気圏にまで飛び出しそうになる。この素人臭い無茶な展開と、それでも耳に残るシンプルながら印象的なメロディが何とも言えない感動を呼ぶ。

 しかし、エンディングは尻つぼみで、ホーンの響きもダサい。この曲も、ファミリー・ドッグというグループの洗練されたカヴァーがあって、自在に声が飛び交うコーラスは、この単純極まりない楽曲を実にスマートにブラッシュ・アップしている[xvii]。(なんだか、ビー・ジーズのヴァージョンをくさしているだけになってしまった。)

 

B3 「ラム・デ・ルー」(Lum-De-Loo, R. Gibb)

 ロビンの単独作で、これもある意味彼らしいノヴェルティ・ソング風駄曲。

 「クレイズ・フィントン・カーク」とか「インディアン・ジンとウィスキー・ドライ」のような飄々としたとぼけた個性が表れた、一回聞けばあとは一生聞かなくなる類の曲(誇張ですので、ロビン・ファンは怒らないでください)。

 しかし、この頃から、こうした斜め上をいく楽曲を書いてレコーディングするロビン・ギブとは、やはりただものではない。

 

B4 「サムバディ・ラヴズ・ユー」(You’re Nobody Till Somebody Loves You, R. Morgan, L. Stock & J. Cavanaugh)

 1944年に書かれて、1946年にアメリカのチャートで14位になるヒットとなったそうだ[xviii]。しかし、一番有名なのはディーン・マーティンのカヴァーだといい[xix]、1965年にビルボードで25位になっているので、こちらが、バリーが手本にしたヴァージョンなのだろう。

 いずれにしても、何とも古くさい。最初聞いた時には、何じゃこれ、と思い、その後一度も聞き返さなかった(のではないかと思う)。しかし幾星霜を重ねて、『ブリリアント・フロム・バース』[xx]で久しぶりに耳にして、その後はすっかり気に入ってしまった(年を取って、ようやくこういった曲のよさがわかってきたようです)。やはり、よいものはよいということで、このセピア色の楽曲を若かりしバリーの声で21世紀に聴くというのも、なかなか乙なものです。

 

B5 「ユー・ウォント・シー・ミー」(You Won’t See Me, J. Lennon & P. McCartney)

 ・・・などと言ってると、次に出てくるのはビートルズで、1965年に出た『ラバー・ソウル』収録の新作のコピー。ビートルズの物まねコンテストに出られそうな、実に達者なコーラスと歌いまわしで、お見事です。もとの曲がよいのだから、このビー・ジーズのカヴァーも気持ちよく聞けます。ビー・ジーズがやる必要あるのか、という話はおいといて。

 ところで、ジェフ・アプターという人の『悲劇:ビー・ジーズのバラッド』のなかに、オーストラリアにおけるビートルズ熱は、1964年6月の公演で爆発した、と書いてあった。ギブ兄弟が、多くのオーストラリアの若者と同様にビートルマニアになったのも、この時からで、その直後のセッションで「フロム・ミー・トゥ・ユー」をレコーディングしたのだという[xxi]。そうすると、「ピース・オヴ・マインド」は、ビートルズの影響を受けて書かれたものではないのだろうか。どうもよくわからない。それとも、イギリスで人気のバンドらしいので、とりあえず、真似してみたのだろうか。とすれば、ビー・ジーズの先見の明をほめておけばいいのか?

                                                                                                                         

B6 「ジ・エンド」(The End, S. Jacobson & J. Krondes)

 一枚目のラストは、またまた、アール・グラントという歌手が1958年に発表して全米で7位になった古いヒット曲。それ以上に、オーストラリアでは1位になったのだそうで[xxii]、それで、ここで登場ということらしい。

 さらに、本曲のバッキング・トラックの出所も謎だが、多分、スタジオの棚に置いてあって、それを見つけたバリーがお遊びで録音したのだろう、という[xxiii]。そんなものを引っ張り出してきて販売するレコード会社の魂胆も嘆かわしいが、例によって、曲は悪くない。バリーのヴォーカルは確かにカラオケ・ボックスで歌っている歌の上手い人のようなところはあるが、ここで聞かなければ一生聞くこともなかった曲かもしれないので、その点は感謝しておこう。

 

A1 「僕は知っている」(I’ll Know What to Do, B, R. & M. Gibb)

 いきなり「アーアアーアー」の騒々しい雄叫びから始まるロック・ナンバー。

 あまり印象に残るメロディではなく、これといった特徴がない。『ブリリアント・フロム・バース』のCDを聞いた時に、こんな曲(『ノスタルジア』に)入ってたんだ、と思ったくらいで、まったく記憶に残っていなかった。オリジナルなのか、カヴァーなのかさえ、まったく覚えていなかった。

 悪口ばかり並べたが、聞き直すと、これがやはりビートルズ風なのだった。それも『リヴォルヴァー』のジョン・レノンを思わせる、「シー・セッド・シー・セッド」あたりを。タイトルを歌う箇所などがそうで、要するにサイキデリック風なのだ。『ビー・ジーズ・ファースト』の同系統の曲に繋がるとすれば、そこが興味深いところだ。

 

A2 「僕のすべて」(All By Myself, M. Gibb)

 モーリスのソロ作だが、こちらもまたビートルズ風。

 サビのあたりのメロディや歌い方がとくにそう感じるが、むしろ一番ビートルズのスタイルをうまく吸収して、器用にこなしているのはモーリスではないか、と推測させるようなナンバーである。

 

A3 「涙の乗車券」(Ticket to Ride, J. Lennon & P. McCartney)

 続いて、正真正銘ビートルズの完コピ作品。

 ドラム・ロールからセクシーなため息の「ハーッ、ベイビー・ドント・ケア」まで、忠実に再現(ただし、レノンほどセクシーではない。バリーでさえ十代なのだから、無理もない、という以前に、あの色気を出せというのは、そりゃあ、無理だろう)。これでは、オリジナルをやってもビートルズ風になってしまうのも仕方ないと思わせる。

 

A4 「アイ・ラヴ・ユー・ビコーズ」(I Love You Because, L. Payne)

 またしてもオーケストラを従えて、ではなく、単にカラオケで歌うオールド・ヒット。

 カントリー・シンガーのレオン・ペインが1949年に書いて、レコーディングしたものがオリジナルだが、もっともヒットしたのは1963年のアル・マルティーノのヴァージョンでビルボードの3位にランクしたという[xxiv]

 どうも聞いたことのない名前ばかりで、書き写すだけなのが恥ずかしいが、曲はどこかで聞いたことのあるような、懐かしいメロディ。しかし、バックの女性コーラスとバリーの声とが、どうにもマッチしていなくて水と油のようだ。まあ、オーケストラ付きの作品は皆そうなのだが。

 

A5 「ペイパーバック・ライター」(Paperback Writer, J. Lennon & P. McCartney)

 今度のビートルズは、1966年5月に出たばかりのシングルのカヴァー。

 本作もビートルズのオリジナルと聞き間違えそうな再現度の高さで、若干歌い方が丁寧でおとなしめなところが違いか。

 『1960年代のビー・ジーズ』によると、オリジナルが発売された二日後には、もうカヴァーしていたという[xxv]が、ほんまかいな?

 

A6 「サムホェア」(Somewhere, L. Bernstein & S. Sondheim)

 本カヴァーもオーケストラを使ったものだが、この手の曲では唯一ロビンが歌っている。

 原曲は言うまでもない「ウェストサイド・ストーリー」からの一曲。ロビンは、ヴェテラン・シンガーのような落ち着きで低音を聞かせた堂々たる歌いっぷりを披露している・・・ようにも聞こえるが、むしろ音を外さない用心なのか、やけに、たどたどしい歌い方で、要するに、まだこの時期の彼には、この難曲は少々荷が重かったようだ。

 

B1 「ザ・トエルフス・オブ・ネヴァー」(The Twelfth of Never, J. Livingstone & P. Webster)

 1956年に書かれて、ジョニー・マティスが翌年全米9位に押し上げたヒット曲。その後、1964年にクリフ・リチャードがイギリスで8位に入るヒットにしている[xxvi]。クリフのヴァージョンがバリーのカヴァーのきっかけになったようだ。

 これもオーケストラを使ったカヴァーだが、「アイ・ラヴ・ユー・ビコーズ」などのような、わかりやすいはっきりしたメロディでなく、なんだか聞かせどころが難しそうな楽曲で、バリーも歌いにくそうに聞こえるが、こういった曲も好みなのだろうか。確かに、こうしてオーケストラを使ったオールド・ソングを何曲も聞いていると、初のソロ・シングルが「アイル・キス・ユア・メモリィ」だったのも納得がいく。

 

B2 「フォーエヴァー」(Forever, B, R. & M. Gibb)

 ギブ兄弟三人の共作だが、バックにオーケストラが付いている。どうやら、他のオリジナル曲とは異なる成り立ちをもっているらしい。例えば、TVショウ用のレコーディングであるとか、つまり、彼らの乏しい収入ではオーケストラを入れたレコーディングなど難しかっただろうというのである[xxvii]。余計なお世話だ!(と当人たちに代わって申し述べておきます。)

 それにしても、もしTVショウの音楽だったとしたら、キッズ向けの番組だったに違いない。童謡のようなというか、幼稚というか、大の大人が聞くような歌ではない。

 しかし、これがまた一度聞くと耳に憑りついて離れない、危ない薬のような中毒性のある曲なのだ。「マイ・カインド・オヴ・ラヴ、ユア・カインド・・・ディス・カインド・オヴ・ラヴ・ウィ・キャン・ラスト・フォーエヴァー」。いけない、また気づかないうちに口ずさんでしまっている。どうすればよいのだ、いつまでもやめられないではないか。

 

B3 「トップ・ハット」(Top Hat, B. Gibb)

 「ラム・デ・ルー」のような、ロビンがリード・ヴォーカルを取る面白ソング。ただし、こちらはバリー作。「お前、こういうの好きだろ」といって渡したら、ロビンも「歌う、歌う」と応じたのか。どちらにせよ、大した曲ではない。

 しかし、なかなかポップなメロディで調子が良い。結構カヴァーもされていて[xxviii]、彼らの楽曲の幅の広さを立証する作品のひとつだ。

 

B4 「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」(Hallelujah, I Love Her So, R. Charles)

 カラオケ・シリーズの最後は、レイ・チャールズ作のリズム・アンド・ブルース。1956年の作品[xxix]

 オリジナルと比べては分が悪いが、こういうタイプの楽曲はバリーの得意とするところなので、達者にこなしている。まあ、こんなもんでしょう、というところか。

 

B5 「扱いにくいベイビー」(Terrible Way to Treat Your Baby, B, R. & M. Gibb)

 最後の二曲は三兄弟共作のオリジナル。

 「テリブル・ウェイ・トゥ・トリート・ユア・ベイビー」もリズム・アンド・ブルースのバラード。バリーとロビンのヴォーカルは、やや大げさでわざとらしいが、コーラスのメロディはドラマティックで聴き手の耳を惹きつけて離さない。英米デビュー後の楽曲にもひけをとらない、本アルバムのなかでもトップ・クラスの完成度を誇る佳作といえるだろう。

 

B6 「エギジット・ステイジ・ライト」(Exit Stage Right, B, R. & M. Gibb)

 ビートルズ・スタイルのロック・ナンバーでフィニッシュ。長々とお疲れさまでした。

 メロディアスというより、ややハードでパワフルな、オーストラリア時代の彼らのロック・タイプの楽曲の集大成的な作品といえるかもしれない。

 

[i] オリジナル盤は、以下のコレクションに入っている。Bee Gees, The Festival Albums Collection 1165-67 (Festival Records, 2013).

[ii] 原盤は、A面1曲目が“Where Are You”で2曲目が“Spicks and Specks”になっているが、日本盤は、「スピックス・アンド・スペックス」が1969年1月になって発売されたこともあってか、順序が逆になっていた。A. Môn Hughs & A. Sparke, The Bee Gees: Complete Recordings Illustrated (APS Publications, 2022), Rare, Precious & Beautiful (1968). 「スピックス・アンド・スペックス」は、日本では最高56位、2万枚の売り上げ。結構ヒットしている。『1968-1997 オリコン チャート・ブック アーティスト編全シングル作品』(オリコン、1997年)、276頁。

[iii] 日本盤の3枚は、皆オリジナル盤とはジャケットが異なっていて、なかなか凝ったデザインだった。『スピックス・アンド・スペックス』が昆虫採集、『若き日の想い出』が室内小物、『オーストラリアの想い出』が理科実験、といったテーマか。

[iv] A. M. Hughes, G. Walters & M. Crohan, Decades: The Bee Gees in the 1960s (Sonicbond, UK, 2021), p.111.

[v] 1971年発表の『小さな恋のメロディ』のサウンドトラック盤で初めて聞いたので、てっきり一曲だけ新曲を書いたのだと思っていたのだ。

[vi] ザ・ビージーズノスタルジア』(ポリドール・レコード)。ちなみに定価は3000円。帯には、「ザ・ビー・ジーズの初心と郷愁を伝えるオーストラリア時代のベスト作品集。ビートルズラヴィン・スプーンフルの曲もやっています」、とある。「ベスト作品集」って、また噓を書いて。それにしても、「やっています」って、「冷やし中華やっています」じゃないんだから。

[vii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.112.

[viii] Los Bravos, Like Nobody Else, in To Love Somebody: The Songs of the Bee Gees 1966-1970 (Ace, 2017).

[ix] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.115.

[x] Ibid.

[xi] Ibid., p.116.

[xii] Ibid., p.113.

[xiii] イギリスに渡った後のインタヴュー記事で「このグループがスタートしたときから、ビッグ・オーケストラでやりたいというのが全員の一致した意見だった」という発言が紹介されているのを見たりすると、やはり単純にオーケストラをバックに歌いたかった、というのが当たっていそうだ。平山よりこ「ヒット曲物語」『ヤング・ミュージック』(1968年2月号)、123-24頁。

[xiv] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.113.

[xv] The Marmalade, Butterfly, in Maybe Someone Is Digging Underground: Songs of the Bee Gees (Sanctuary Records, 2004); also in Words … A Bee Gees Songbook (Playbach Records, 2016)(『オムニバス/ワーズ:ア・ビー・ジーズ・ソングブック』、2020年).

[xvi] Barry Gibb, Butterfly, in Greenfields: The Gibb Brothers’ Songbook, Vol.1 (Capitol Records, 2021)も参照。

[xvii] Family Dogg, The Storm, in Maybe Someone Is Digging Underground: Songs of the Bee Gees.

[xviii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.117.

[xix] Ibid.

[xx] The Bee Gees, Brilliant from Birth (Festival Records, 1998).

[xxi] Jeff Apter, Tragedy – The Ballad of the Bee Gees (Jawbone Press, UK, 2016), pp.45-47.

[xxii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.118.

[xxiii] Ibid.

[xxiv] Ibid., p.119.

[xxv] Ibid.

[xxvi] Ibid., p.120.

[xxvii] Ibid.

[xxviii] The Montanas, Top Hat, in Maybe Someone Is Digging Underground: Songs of the Bee Gees.

[xxix] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.120.