江戸川乱歩『黒蜥蜴』

(本書のトリック等を紹介していますので、未読の方はご注意ください。)

 

 戦前の江戸川乱歩は、次々にヒット作を生み出す大衆文学界の巨星だったから、代表作には事欠かない。『蜘蛛男』(1929-1930年)や『黄金仮面』(1930-1931年)などと並び、本書もそのなかのひとつだが、ひと際異彩を放っているのは、「黒蜥蜴の異名をもつ暗黒街の女王」(すごいな、こりゃ)を主人公に据えて、明智小五郎との対決を描く新機軸を生み出しているところである。

 本書は、また、戯曲化されたことでも有名で、あの三島由紀夫による脚本(1961年)[i]は、もうひとつの『黒蜥蜴』として、原作に劣らぬ独自の文学的地位を獲得している。

 以上の評価は、しかし、乱歩自身の自己評価とも、ミステリ批評における「乱歩は短編作家で、長編は不出来な通俗小説」という一般的評価とも合致しない。とりわけ、本作が連載された昭和9年前後は『悪霊』(1933-34年)中絶もあって、乱歩長篇に対する批評家の酷評と大衆的な人気が際立った対照を示した時期であったようだ。酷評の第一は横溝正史によるものだが[ii]、それについては別稿に記したので、ここには繰り返さない。後年、大内茂男は乱歩長編評論のなかで、「この時期の三作(筆者注:『妖虫』、『人間豹』と本作)の中では、この『黒蜥蜴』が一番まともである」[iii]と述べ、これまでのように犯人当てに拘泥せず、女賊の側から描くことで「すっきりした出来栄えになった」と評した。また「『黄金仮面』のバリエーションとみなされる」と適切にも指摘しているが、同時に、それゆえに「乱歩特有の官能的な刺激の強烈さを要求する読者たち」は満足しなかったのではないか、と推測している[iv]

 上記の大内の評言の最後の部分については、三島の戯曲版が、まさにその官能的な美を特徴とするのと矛盾するようだが、乱歩の原作にも本来備わっていたはずの美学を鋭敏な感性で掬い取って耽美主義的文体で描いたのが、三島版『黒蜥蜴』ということなのだろう。

 大内による『黒蜥蜴』論のもうひとつのポイントである『黄金仮面』との関連については、確かに、本書における黒蜥蜴と明智小五郎の対決の構図は『黄金仮面』と類似している。同時にそれは「少年探偵団シリーズ」における、明智怪人二十面相の対決の構図とも一致しており、とくに終盤の汽船のアジトで黒蜥蜴こと緑川夫人が明智の存在の影に脅える場面は、『黄金仮面』にはなかった展開で、「女賊の視点からの明智小五郎もの」という本書の特性が充分に奏功している(黄金仮面が明智の幻影に怯えるのでは、あまり色気がない)。こうした、犯人のほうが明智のだまくらかしに翻弄されるラストは、この後、怪人二十面相シリーズでは定番となる。例えば「少年探偵シリーズ」第二弾の『少年探偵団』(1937年)を読むと、警察の手を逃れた二十面相が地下の秘密美術室で、飾ってあった仏像が小林少年に変わっているのを知って、肝をつぶすシーンが出てくる。おまけに部下のひとりが明智にすり替わっていて、怒りの鉄拳をふるおうとしたら逆に投げ飛ばされてしまう二十面相は、けっこう情けない[v]。この、まるで明智のほうが怪人のごとくふるまう「明智の二十面相化現象」がはっきりとしたかたちでお目見えするのが本書である。『黄金仮面』と『黒蜥蜴』によって、「少年探偵シリーズ」の骨格はすでに出来上がっていたのだといえるだろう。

 悪女対名探偵の本書の構図について、もう少し続けると、乱歩自身は、「美しい女賊と明智小五郎との、おそろしくトリッキイでアクロバティックな冒険物語」[vi]と自己解説している。それほどトリッキーでアクロバティックかなあ、と、正直思うが、黒蜥蜴が繰り出す「人間椅子」トリック(これは『吸血鬼』でも使用済み。短編名作「人間椅子」を思うと、苦笑せざるをえない)に、明智明智で、こっそり桜山葉子なる替え玉をスカウトして[vii]、対抗するので、もうひとりのヒロイン岩瀬早苗をめぐる黒蜥蜴と明智の攻防は、攻守の切り替えが確かに目まぐるしい。前半は黒蜥蜴の攻勢に明智が防戦一方だが、上述のように後半は逆転して、黒蜥蜴側から見た明智が魔王のごとき不気味な存在と化すので、これは言ってみれば、乱歩の独壇場である「決闘小説」の新ヴァリエーションとなっている。

 シリーズのヒーローが女性側の視点から描かれるのは、イアン・フレミングの『わたしを愛したスパイ』(1962年)[viii]が有名だが、本作はその系列においても先んじていたと言えよう(もっとも、ジェイムズ・ボンドは一冊も読んだことがないので、聞きかじった範囲での話である)。

 『黒蜥蜴』は、女賊と探偵の対決なので、ということは、明智は黒蜥蜴にとってのヒーローというよりライヴァルであり、かつ、男対女の決闘だから、男女間の色恋感情が混じってくる。そこがもう一つの特徴で、乱歩自身、「追うものと追われるものの、かたき同士が愛情を感じ合う」と説明している。しかし、死の間際に明智の口づけを求める黒蜥蜴の描写は、乱歩がそもそも女性を描くのが得意とも思えないので、急に小娘っぽくなって、まるで学芸会である。そもそも、小説の冒頭、帝都の秘密のナイトクラブに黒蜥蜴が現われると、「ダーク・エンジェル!」の歓声に、いきなり服を脱いで全裸で踊り出すトンチキぶりで、興奮した紳士たちに担ぎ上げられると、「おみこしのかけ声勇ましく、室内をぐるぐると回り歩」[ix]く男祭りの頓狂さには、読んでいて茫然とする。「二銭銅貨」の頃からは想像もつかない馬鹿騒ぎだが、乱歩は休筆期間中にキャバレーめぐりでもしたのだろうか。戦後、別人のように社交的になったと評され、しかし、戦前は、むしろ人との交わりを避けて逃亡者のごとき人外の生活を送っていたという、あの乱歩が、である。横溝正史が激怒したのは、この『黒蜥蜴』冒頭のアチャラカぶりを読んだからではなかったろうか[x](正史は正史で、病気療養前の行状は、到底模範青年のそれではなかったようだが)。

 話を戻すと、このあとも運転手に変装した途端、いきなり、ぼくはねエ、などと言いだして、いわゆる「ボクッ娘」の先駆みたいになったり、明智が隠れている(と思いこんだ)長椅子をぐるぐる巻きに縛らせて海に放り込んだ後、早苗と一緒になってワアワア泣き出す情緒不安定さで、乱歩としては、黒蜥蜴の少女のような天真爛漫な一面を描きたかったのだろうが、最後は、早苗を剝製にしてやる(〇〇〇〇閣下のようだ)などと息まいて、サイコっぷりのほうが目立ってしまった。今さら言うことでもないが、いろいろ属性を揃えた割に、外形的特徴ばかりで、リアリティに欠ける。もっとも、こんな女賊にリアリティがあっても困るが、犯罪実行の場面は、乱歩的怪人らしく、イカレ具合がある意味リアルなのである。黒蜥蜴の人間的側面を描こうとすると、途端にぎこちなくなるので困るのだが、もちろん、乱歩にしてみれば、それは承知のうえのことで、最後の明智と黒蜥蜴の抱擁シーンも、どこからか借りてきたような陳腐なセリフ回しになったのは、そうでもしないと、照れてしまって、到底書けやしなかったのだろう。言い方は悪いが、所詮通俗探偵小説だから、というのが自身に対する言い訳だったように思われる。

 とはいえ、おかげで乱歩の作風がひとつ広がったのは事実であるし、進んで広げようとする意欲もまだ健在であった。そこは確かなことのようだ。

 

 ところで、本書は東京の銀座?(作中ではG街[xi])で始まるが、富豪の岩瀬氏の屋敷が大阪にあるという設定なので、誘拐した早苗の引き渡し場所として、通天閣が出てくる[xii]。それほど詳しい描写ではないが、場末の屋台通りのような展望台の様子が描かれていて、関西人でないわたしには、なかなか興味深い。わざわざ舞台を大阪に移したのは、終盤の山場が、東京へと向かう汽船のなかなので、それが理由なのだろうが、もともと関西出身だった乱歩である。「押絵と旅する男」で浅草の十二階を取り上げたように、一度は馴染み深い大阪を描きたいと思っていたのだろうか。

 

[i]江戸川乱歩コレクション・Ⅵ 謎と魔法の物語 自作に関する解説』(新保博久山前譲編、河出書房新社、1995年)、「黒蜥蜴」、352-53頁。乱歩に魅せられ、三島の親友でもあった中井英夫の以下の文章も参照。中井英夫「美への愛憎」(1973年)『ケンタウロスの嘆き』(潮出版社、1975年)、93-98頁。

[ii] 江戸川乱歩『探偵小説四十年(上)』(光文社、2006年)、570-73頁。

[iii] 大内茂男「華麗なユートピア」『幻影城 江戸川乱歩の世界』(1975年7月増刊号)、227頁。

[iv] 同。

[v]怪人二十面相/少年探偵団』(講談社、1987年)、419-29頁。

[vi] 『謎と魔法の物語』、353頁。

[vii] 『黒蜥蜴・湖畔亭事件』(春陽文庫、1972年)、65-73頁。

[viii] イアン・フレミング『007 わたしを愛したスパイ』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1963年)。

[ix] 『黒蜥蜴・湖畔亭事件』、5頁。

[x] 『悪霊』は『新青年』の昭和9年1月号まで掲載され、その後二か月休載したあと、同年4月号で中絶が決まった。同号に、正史の罵倒文が掲載されたという。『黒蜥蜴』は、『日の出』の同年1月号から連載を開始している。『探偵小説四十年(上)』、569-70、575頁。

[xi] 同、2頁。ほかにも「U公園(上野公園?)」(10頁)とか、「T大学(東京大学?)」(11頁)とか出てくるが、京橋は「京橋」(9頁)である。

[xii] 同、99-109頁。