(本書の構成、トリック等のほかに、エラリイ・クイーン、ジョン・ディクスン・カーの代表作について触れているので、ご注意願います。)
江戸川乱歩の処女長編小説というと、『闇に蠢く』(1926年)ということになっている。しかし、この作品は雑誌『苦楽』に連載したものの中絶し、その後、全集本に収録の際に結末を書き足して完結したものである[i]。
その次は「湖畔亭事件」(1926年)、そして「パノラマ島奇談」(1926-27年)だが、これら二編は、分量的に、果たして長編なのだろうか。上記『闇に蠢く』の完結版を含む平凡社の最初の全集を見ると、乱歩自身は、これら二作とも連載長編とみなしていたようだ[ii]。どちらも文庫本で、せいぜい120-130頁ほどで、現代の標準からすれば中編に過ぎないと思えるが、(長編が苦手だったと自他ともに認める)乱歩にとっては、これでも長編と映っていたのだろうか。あるいは、戦前のこの時代には、このぐらいの分量でも長編というのが常識だったのだろうか。
以上を勘案すると、1926年、上記三作に続いて『朝日新聞』に連載された『一寸法師』こそ、本当の意味で処女長編小説と言えないこともない。といっても、同作も文庫本にして200頁に満たない、短めの長編ミステリなのだが。
しかも、『一寸法師』は、乱歩に最初の(!)休筆を決心させたいわくつきの小説で、「愚作『一寸法師』に嫌悪を感じ、当分筆を絶つことを決意」[iii]したと、正々堂々発言し、さらには「(同長編で)愈々ペシャンコになってしまった」[iv]と、正直に告白するほどであった。従って、乱歩自身は、この作品の内容について、ほとんど語っていない。書くのが嫌で嫌で、催促されても駄目、口述でもよいと言われたが、それはもっと駄目だから、「そんなら書きます」と泣く泣く筆を取ったというエピソード[v]を読むと、大乱歩に失礼ながら、思わず吹き出すほど面白い(「そんなら」が、とくに素敵です)。しかし、構想やトリックに関しては触れておらず、ただ、その評判について、数年後に甲賀三郎を通じて、『一寸法師』は「読者にはマア受けていた」と聞かされた[vi]、と、さりげなく(自慢げに)書き留めているのが微笑ましい。なんだかんだ言っても、それなりに自信と自負を持っていたのだなあ、と思わず頬が緩んでしまう。
とはいえ、上記のとおりの散々な自己評価であるのだが、半世紀近くも後になって、角川文庫版『一寸法師』の解説を書いた中井英夫は、しかしながら、闇夜の浅草公園を描く冒頭部分をまず取り上げると、「秘密や悪徳を宝石めかせて薄絹の彼方に透かす香り高い闇」[vii]であると、中井らしい文章で賛美している。「らしい」という以上に、これぞ中井という華麗な筆で、それこそ「宝石めかした」きらびやかな賞賛の言葉の数々をみると、どんなに素晴らしい作品なのだろう、と、読者の誰しもが期待に胸を躍らせるだろう。残念ながら、現物はそこまでのものではない(失敬な!)。そうはいっても、本作を連載した大正15年当時の思い出として、わざわざ「浅草趣味」[viii]なる一文を草するくらい浅草に魅せられていた乱歩であるから、中井の言葉も、まんざら大げさではない。書きたいものを書ける嬉しさに、乱歩の筆も踊ったのだろう。
中井が称賛する、乱歩ならではの語りが本書の魅力であることはもちろんだが、作者が書こうとしたのは長編ミステリのはずなので、その点については、どうか。連載前の口上が数少ない手がかりとなりそうだが、それによると、「(本作品は)恐らく本格探偵小説というものには当たらず」、「私好みの古くさい怪奇の世界を出でないであろう」[ix]と控えめである。(というか、こんな自信なげな告白で連載を始められては、新聞社も困ったことだろう。)確かに作者が打ち明けているとおりであったにしても、「恐らく」と付いているところが、実は重要である。この言葉から察するに、乱歩としては、本書を最初は本格ミステリとして構想し執筆したのだろう。それが、上手くいかなかったからこそ、「あまりの愚作にあいそがつきて、中絶したかったのだが、許してもらえず、死ぬ思いでともかく書き終わった」[x]という苦々しい回想になったものと思われる。それにしても、ここまで自作を忌避する発言をこれでもかと書き連ねるのは、ただ事ではない。結論からいえば、『一寸法師』は、その後の長編と比べて、特別劣っているわけではないが、最初の本格的な長編連載だっただけに、作者としても妥協し難かったのだろう。(皮肉な言いようだが)自身の持ち味に見極めがついて、ある意味開き直って書けるようになった後年の諸作のようにはいかなかったということだったようだ。
しかし、こんなことを言っては、かえって作者に失礼ではあるが、本作には、謎解き小説としてかなり考えられた跡が見られる。一寸法師という怪人物を登場させておいて、しかし、彼が真犯人ではないというところである。後年の乱歩の通俗連載長篇の常套的展開は、怪人対名探偵の一対一の対決だが、本編は、実は、その構図にならない。怪人による奇怪な遊戯的殺人と見せかけて、真相は家庭内の偶然の惨事というのは、乱歩には珍しい解決といえる。というか、そもそも本作が明智小五郎の長編シリーズ第一作であるから、従来のパターンから外れたというのではなく、最初なので、ミステリらしい意外性に頭を絞ったのだろう。いかにも怪しい人物を出しておいて、実は狂言回しに過ぎないというのは、謎解きミステリとしてはお定まりの展開であるが、乱歩長編では、むしろ例外で、このあとの定番となる「怪人と明智の一騎打ち」は、まだここには見られない。
より具体的にみていくと、本書では、人間入れ替わりのかなり無理なトリックも使われているが、一番大きな謎は、一寸法師の正体というか、正体を隠す一種の偽装のトリックである。本書以前に書かれた短編「踊る一寸法師」(1926年)から発想したのかもしれないが、殺人犯人の意外性より、一寸法師が誰かが謎の中心になっている。
実は、この謎のアイディアは、後年ジョン・ディクスン・カーが書いた長編ミステリ(注で書名を挙げています[xi])のそれと基本的に同一である。カーの長編も、かなり無理があるが、本書の場合、それに輪をかけて、そもそも一寸法師の正体を見抜く手がかりとなる描写がほとんどない。例えば、主人公格の小林紋三が、浅草公園で見かけた一寸法師の後を追っていくと、養源寺という寺に入っていく。翌日、寺を訪ねると、部屋のなかに住職が座っている。「座っている」というのも住職の秘密を隠す伏線らしいのだが、その後のやり取りの場面で、彼の足や足もとについて、なんの描写もない。坊さんと聞けば、足袋を履いているが足首はむき出しとか、足元まで法衣で隠れているとか、読者は想像するだろうが、そうした描写が一切出てこない。僧衣をまとう住職という設定自体、このトリックを成立させるための工夫なのだろうが(普通のサラリーマンでは無理だろうから)、正体を隠す偽装について、まるで手がかりが示されていないのでは、謎解き小説としては破滅的である。
『孤島の鬼』(1929-30年)や『魔術師』(1930-31年)でも、エラリイ・クイーンの代表作(注で書名を挙げています[xii])と同じアイディアで長編を書いているように、乱歩のミステリの発想力は、同時代の欧米のトップ・ランナーたちと比べても遜色ない。しかし、それを長編ミステリのメイン・アイディアとなるまでに錬成し、綿密に組み立てていく構成力と技術が伴っていなかったようなのだ。ミステリのトリックは、本来アクチュアリティに欠けるものではあるが、それでも最低限のリアリティを感じさせるだけの状況づくりと細部の具体的な描写が必要になる。乱歩には、それを実現するだけの経験的知識と技術の蓄積が足りなかったのではないだろうか。
例えば終生の友であり、同業者でもあった横溝正史と比べると、乱歩がエドガー・アラン・ポーやコナン・ドイルを知ったのは二十歳を過ぎてからで[xiii]、それ以前のミステリの読書体験は、黒岩涙香本やその元ネタとなったボアゴベイなどに限られていたようだ[xiv]。一方、正史のほうは、十代半ばから、友人の西田徳重とともに神戸の古本屋を巡って英米雑誌を漁っていたという[xv]。八歳という年齢差と、少年時代の読書体験の相違は、二人の大作家のミステリ創作能力に思った以上に大きな影響を与えたように思われる[xvi]。加えて、正史には、『新青年』を始めとする(ミステリ専門誌ではないが)雑誌編集の経験があった。乱歩に、A・A・ミルンの『赤い館の秘密』やE・C・ベントリーの『トレント最後の事件』を「紹介」したのも正史である[xvii]。英米の黄金時代の作品に若いころから親しんできた正史には、パズル・ミステリの基本的な成分が、意識せずとも体に染み込んでいたのだろう(そうでなければ、戦後の、あの本格ミステリ魂の爆発は説明できない)。それに対し、作家になってから、ようやく1920年代以降の「ミステリの黄金時代」を追尾体験するようになった乱歩にとって、フェアプレイに基づく物的データの論理的操作と理論構成というパズル・ミステリの基本技法は、目指す対象ではあっても、自ずと身についたものではなかったように思われる。乱歩と正史、二人の天才探偵小説家の足跡を比較すると、作家的資質は別として、ことに長編ミステリにおける謎と論理の作り手としての到達点の違いを、そんな風に想像してみたくなるのである。
[i] 江戸川乱歩『探偵小説四十年(上)』(光文社、2006年)、183、197頁。
[ii] 同、452-53頁。
[iii] 同、279頁。
[iv] 同、281頁。
[v] 同、238頁。
[vi] 同、239頁。
[vii] 中井英夫「香り高い闇」『ケンタウロスの嘆き』(潮出版社、1975年)、103頁。今頃気がついたが、目次で並んでいる「美への愛憎」(『黒蜥蜴』の解説)と「香り高い闇」に付されている副題が、前者が『一寸法師』、後者が『黒蜥蜴』と、間違って印刷されている。鬼の首でも取ったように言うことでもないが。
[viii] 『探偵小説四十年(上)』、206-207頁。
[ix] 同、240頁。
[x] 同、283頁。
[xi] ジョン・ディクスン・カー『曲がった蝶番』(1938年)。
[xii] エラリイ・クイーン『Yの悲劇』(1932年)。
[xiii] 『探偵小説四十年』、32-35頁。
[xiv] 同、26-29頁。
[xv] 横溝正史「途切れ途切れの記」『探偵小説五十年』(1972年、復刻版、1977年、講談社)、21-23頁。
[xvi] 乱歩との年齢差については、正史自身が言及している。ただし、自分の少年時代は、探偵小説暗黒時代だった、という文脈においてであった。もっとも、これは西田徳重と知り合う以前の時期についての感想である。横溝正史『自伝的随筆集』(角川書店、2002年)、127-44頁。
[xvii] 横溝正史「エラリー・クィーン氏、雑誌の廃刊を三カ月おくらせること」『探偵小説昔話』(講談社、1975年)、73頁。