江戸川乱歩『猟奇の果』

(本作の内容について詳しく触れていますので、未読の方は、ご注意ください。)

 

 『猟奇の果』といえば、大内茂男が江戸川乱歩長編小説論「華麗なユートピア」において、「乱歩の長編諸作中でも、最大の珍作である」[i]と評したように、短編小説に比べ評価の低い乱歩長編にあっても、失敗作といえば、(『吸血鬼』か)これ、と必ず名指しされるほどの作品である。作者までが「私の多くの長編の中でも、・・・珍妙な作品である」[ii]と、潔く認めている。

 連載されたのが博文館発行の『文藝倶楽部』で、編集長が横溝正史というのも、今思うと豪華な組み合わせだが、顔がそっくりの別人が方々に現れる、いかにも乱歩が好きそうな怪異譚的発端で始まる探偵小説である。それが、結局、すべて友人のいたずらだったという構想で当初書きはじめたものの、途中で行き詰って、横溝に相談すると、いっそ『蜘蛛男』のようなスリラーにしてください、と提案された[iii]。そこから、人を全く別人に作りかえる「人間改造術」(要するに整形)のアイディアを思いついて、世界征服を企む犯罪組織と明智小五郎が対決する国際スパイ・スリラーへと変貌したのは、誰もが知る「裏話」である。

 乱歩短編によくある、主人公と友人が市井のささやかな謎と出会って、そこから話が発展するご近所小説が、一気に世界規模の謀略小説へ転換とは、あまりにもスケールが違い過ぎるが、その割に登場する悪役が小物っぽいのは、最初の構想時の雰囲気が抜け切れていないからか。いずれにせよ、連載半ばで、こうも作品のあらすじからジャンルまで変えてしまって、なお悠然と書き続ける乱歩もすごいが、この逸話で思い出すのは、手塚治虫の『キャプテンKen』(1960-61年)である。同作品も、主人公の一人二役が途中でほぼばれてしまって、小学生読者相手に意地になった(?)手塚が、当初の構想を無理やり覆すと、同一人物だったのを親子に分けてしまうという無鉄砲な荒業に出た作品であった。キャプテン・ケンの正体について懸賞募集までしたのに、これでは、純真な少年少女たちが、ひねくれやしなかったかと心配でならない。

 本作に戻ると、上記の裏話からもドタバタぶりが伝わってくるが 、大内も褒めている前半部分[iv]は、なかなか面白い。主人公の青木愛之助は、友人の科学雑誌編集者である品川四郎を意外な場所で見かけるが、どうも様子がおかしい。数日後、品川自身から、偶然見た映画のワン・シーンに自分そっくりの人間が映っていたと相談される。どうやら、品川の偽者が、あちこちに出没しているらしいのだが、ついには、その偽の品川が、なんと妻の芳江と逢引きしていることに気づいてしまう。偽品川のあとをつけていくと怪しい屋敷に入っていく。忍び込んだ愛之助は、そこで偽品川と乱闘になるが、あろうことか銃で男を射殺してしまった。その場を逃げ出し、街をさ迷う彼の前に、以前出会ったことのある「お面のような顔」をした不思議な青年[v]が現われる。そのまま謎めいた地下室へと導かれた愛之助を待っていたものは・・・、というところで前半が終了する。

 この前半のラストは、すでにプロットの修正後に書かれたものか定かでないが、とりあえず後半の「白蝙蝠」篇に入ると、いきなり芳江が偽品川にさらわれて、その後彼女のものと思われる片腕が発見される。急に乱歩作品らしい残虐味が強まって、まさに『蜘蛛男』調である。ニュースを聞きつけた品川(偽者と本物の両方!)が警視庁の浪越警部のもとを訪れ、そこから、居合わせた明智小五郎が事件に介入してくるという段取りである。

 ということで後半は、完全に明智小五郎ものの冒険スリラーになるのだが、再読して驚いたことには(いや、驚かなくともいいのだが)、わたしには後半のほうが面白かった。

 登場人物の誰もが本物か偽者かを問われる、唖然とするカオスなミステリになるのである。

 正直なところ、大内や乱歩自身の言もあって、出来損ないのゲテモノ小説としか思っていなかったので、読み返すのは気がすすまなかった。しかし、後半に入ると、やめられなくなって、一気に読破してしまった。そんな私は、どうかしているのでしょうか。

 『黄金仮面』に関する感想で、登場人物の半数は明智か犯人の変装であると冗談で書いたが、本書の場合は冗談ではないのだ。実際に登場する人物の大半が偽者にすり替わる驚天動地のミステリで、なにしろ「人間改造術」というウルトラ設定を種明かしに用意してある。やりたい放題というか、好き勝手というか、誰が偽者でもおかしくない、いや、むしろ本物は誰かを当ててごらん、と、このぶっとんだ設定に乗っかって悪のりした乱歩が、徹底的にこの線で押しまくってくる(そのなかにあって、唯一、偽者が現れないのが浪越警部。端役扱いされているようで、なんとも不憫だ)。

 ことに、明智が、偶然(えっ、偶然!?)発見した品川を尾行して彼の家にたどり着くと、そこにも品川がいる。どちらが本物か、明智が迷っている間に、偽品川がこそこそと部屋を抜け出してしまうあたりは、まるでコメディ映画で、大笑いさせられる。や、それではあいつが偽者であったか、などと叫ぶ明智は、どう見ても迷探偵だ。最後のほうになると、どの明智が本物の明智なのか、作者自身が間違えやしないか気にして書いている風なのが、またおかしい。クライマックスでは、愛之助と芳江夫妻まで、思いもよらぬかたちで登場してくるので、意外性も十分だ(謎解きの意外性ではない)。この調子で、どんどん偽者を出して、もっと長く書いてくれたらよかったのにと思わずにいられない。

 飄々とした語り口の前半も、処女作の「二銭銅貨」あたりにすでに見られたオフ・ビートなテンポで悪くないが、後半の、別な意味でオフ・ビートな感覚が何とも言えない味を出している[vi]。読み終えて思い返すと、(実際は、そんな場面はないのだが)同じ顔の人間がぞろぞろ出てくるシュールな絵面が浮かんできて、まるでフィリップ・K・ディックである。SFや怪奇小説も顔負けの奇想横溢した快作、怪作?いや、会心作だ!支離滅裂?上等じゃないか。一度読めば二度おいしい、でも、二度と見たくない悪夢のような怪奇幻想探偵小説、それが『猟奇の果』だ。

 

 細かいことだが、後半に入ってすぐ、警視総監(この偽者も出てくる)が浪越警部を相手に、愛之助が遭遇した「二人の品川」事件の真相が、実は品川のひとり芝居だった可能性を指摘する[vii]。突然の理路整然とした論理的推理にはびっくりするが、実は明智から聞かされたのだと打ち明ける。ということは、恐らく、この仮説が当初乱歩の考えていた結末なのだろう。これはこれでなんとか成立しそうな謎解きなので、原案通りでも一応結末はつけられたことがわかる。それを、ここで書いたということは、乱歩も内心、当初の解決案を惜しいと思っていたのだろう。しかし、結局、偽の解決になってしまったので、今さら明智にもったいぶって解説させるわけにもいかなくなったというわけであろう。もっとも、明智のこの推理で事件が決着したのでは、本当に予定より短くなって、横溝編集長は困ったことだろう。(その後、戦後すぐに刊行されたという『猟奇の果』の別ヴァージョン[viii]を読んだが、やはり当初の構想どおりの品川を黒幕とする推理が述べられていた。)

 細かいことだが、というか、雑談だが、本作の偽品川は、途中から「幽霊男」と呼ばれるようになる[ix]。最初は地の文だけなのだが、後半になると、上記の警視総監と浪越警部の会話のなかでも「幽霊男」という呼び名が当たり前のように出てくる[x]。つまり、作品世界においても、この一件は「幽霊男事件」と呼ばれているらしいのだ。ついには、「幽霊男」と見出しにまで登場する[xi]。もちろん、本作の連載は、編集長たる横溝の長編小説『幽霊男』(1954年)より遥か昔のことである。横溝の小説のタイトルは、本作の「幽霊男」がサブリミナル効果をもたらしたものだろうか。

 細かいことだが、前半のある個所で「それから一と月ばかり、別段のお話もなく過ぎ去った」[xii]という一文が出てくる。随分雑な文章だなと思ったら、そこから数十ページあとに、また「それから二か月ばかり別段のお話もなく過ぎ去った」[xiii]という文が出てくる。これには呆れてしまったが、ひょっとして、いや、ひょっとしなくとも、わざとなのだろう。普通に読むと、小説家らしくもない杜撰な文章に思えるが、本作に濃厚なオフ・ビート感覚を考えると、意識的であるようだ。乱歩、恐るべし。

 

[i] 大内茂男「華麗なユートピア」『幻影城 江戸川乱歩の世界』(1975年7月増刊号)、221頁。

[ii] 江戸川乱歩「猟奇の果」(1962年)『江戸川乱歩コレクション・Ⅵ 謎と魔法の物語』(新保博久・山前 譲編、河出書房新社、1995年)、339頁。

[iii] 同、340頁。

[iv] 大内前掲論文、221頁。

[v] 『猟奇の果』(角川文庫、1974年)、232頁。

[vi] 例えば、次の一文。「さて、お話の速度を少し早めなければならぬ。同じことをいつまで書いていても際限がないからである」(同、352頁)。なんというスチャラカな文章であろう。

[vii] 同、295-97頁。

[viii] 「『猟奇の果』もうひとつの結末」『孤島の鬼』(『江戸川乱歩全集第4巻』、光文社文庫、2003年)、584-97頁。新保博久による「解説」(647-48頁)も参照。

[ix] 『猟奇の果』(角川文庫)、216頁以降。

[x] 同、293-99頁。

[xi] 同、320頁。

[xii] 同、166頁。

[xiii] 同、207頁。