江戸川乱歩「陰獣」

(「陰獣」の犯人等のほかに、エラリイ・クイーンの『十日間の不思議』のプロットを紹介していますので、未読の方はご注意ください。)

 

 「陰獣」[i]は、言うまでもなく江戸川乱歩全作品中、もっともセンセーションを巻き起こした探偵小説である。

 『探偵小説四十年』の記事[ii]を読むと、その評判の大きさが、乱歩自身が収集した客観的資料(雑誌・新聞等の記事など)からうかがえる。さらに、掲載誌『新青年』の編集長だった横溝正史による回顧エッセイ[iii]が、当時の熱狂的反響を伝えてくれる。恐らく日本ミステリ史上、最大の注目を浴びた作品のひとつだろう。

 ただ、乱歩自身は、その出来栄えに本当の意味で満足してはおらず、それは無論、代表作と自他ともに認めてはいたものの、ミステリの新しい何かを開拓したものではないと考えていたようだ[iv]

 確かに、「陰獣」は、前人未到のトリックがあるわけではなく、乱歩が愛してやまない「一人二役」トリックがメインになっている。作家大江春泥の本名が平田一郎というところが、すでに一人二役であるのだが、作中、随所にこのトリックが顔を出す。その意味では、作者が好む素材を、少し念入りに手を加えて仕上げたというところだろう。

 むしろ特徴的なのは楽屋落ちともとれるアイディアのほうで、上記のとおり、江戸川乱歩本人をモデルにした大江春泥という怪奇幻想派のミステリ作家(平田一郎も、乱歩の本名をもじっている)が、かつて自分を捨てた小山田静子に復讐しようとして、夫の小山田六郎を殺害する。その顛末を、春泥のライヴァル作家であり、静子と出会い、彼女に魅かれていく「わたし」が一人称手記で語るという体裁の中編小説なのだが、春泥の代表作が「屋根裏の遊戯」で「屋根裏の散歩者」のセルフ・パロディであるという風に、全体が作者江戸川乱歩の戯画化になっている。つまりは「作者自身をトリックに使った」[v]、一種のメタ・ミステリである[vi]

 作品の外にいる作者が作中人物に投影されているのだが、作者が作品に登場するミステリ自体は珍しくない。例えば、高木彬光の『能面殺人事件』(1949年)では、作者が探偵役を務めるし、横溝正史の諸作でも、自身が探偵作家として登場して金田一耕助と会話したりする。しかし、作者が作中で暗躍する怪人で主役であるミステリは、なかなかないだろう。作品外の作者が作品内の犯人に扮して、二重に読者に謎をかけるミステリ的技巧ともいえる。乱歩自身は、一種の自己抹殺だったと言うにとどめているが[vii]、とすれば、期せずして生まれた、はなはだ先鋭的な着想だった。

 もうひとつ、今回、数十年ぶりに読み返して気がついた意外な点は、本作のプロットが、エラリイ・クイーンの『十日間の不思議』(1948年)という長編小説に、大変よく似ているということである。

 『十日間の不思議』は、真犯人がエラリイ・クイーンを偽の手がかりで翻弄し、誤った解決に導いて、名探偵を混迷の極に陥れる異色のミステリだが、「陰獣」も、これと同じ、というか、先んじているのである。「わたし」は、小山田邸の天井裏に落ちていた手袋のボタンから小山田六郎が大江春泥その人であったと推論する[viii]が、それが実は真犯人が残した偽の証拠だったのだ。

 真相に気付いた「わたし」は、逆上して犯人を問い詰めると、興奮のあまり鞭さえ振るうのだが(!)、この展開もまったく一緒である。もっとも、我を忘れたエラリイ・クイーンが、『十日間』の犯人を鞭でビシビシ叩いてヒーヒー言わせたりしたら面白い、というか、大爆笑だが、クイーンに日本語が読めていたら、「陰獣」パクリ疑惑が生じていただろう。

 「わたし」は、真犯人の精神も身体も痛めつけておいて、さっさと、その場を立ち去るが、犯人が自殺してしまうと、また迷い始める。どうも間違えたかもしれない、えらいことになった、などと、あとになって悔やむ自己中心的な大馬鹿者だが、この結末も興味深い。最後を曖昧にするのは乱歩の常套的締め括り方で、発表当時はいろいろと批判を浴びたようだ[ix]。ただ、本作の場合、作者がパズル・ミステリと捉えている[x]ところが重要で、犯人当て探偵小説として「陰獣」をみると、このエンディングは、これもまたクイーンのミステリについて巷間言われる「データの真偽判定の不可能性」の問題[xi]を想起させる。

 「わたし」にとって、手袋から落ちたボタンは、真の手がかりなのか、それとも偽物なのか、もはや見極めがつかなくなっている[xii]。しかし、そもそも「陰獣」の場合、最初から作中探偵には、手がかりの真偽の判定は不可能なのだ[xiii]。大江春泥が江戸川乱歩でもある、すなわち作者と犯人が同一人物であるならば、「わたし」にとって、乱歩は高次元の存在であるから、その意思を認識することはできない。「わたし」がいかに完璧な論理で推理を組み立てたとしても、作者である乱歩が手がかりを操作し、情報を上書きして推理を崩壊させることができる。「わたし」が春泥に勝利することは不可能なのだ。

 なんと、「陰獣」は「後期クイーン問題」まで先取りしていたのである。やはり乱歩は、日本が世界に誇るべきミステリ作家だった。これはもう「後期ランポ問題」と言い換えねばなるまい。(乱歩の後期というのは、いつ頃からだろうか。昭和3年以降?ちょっと早すぎるか。しかし、短編の代表作は大正時代にほぼ出尽くしている。昭和3年以降を長編中心時代と考えれば、後期と見なしても、あながち間違いではない。そうなると、前期が大正12年から15年までの四年間、後期が昭和40年の没年まで。後期が前期の約十倍の長さとは、やっぱり桁外れの作家だ。)

 脇道にそれたが、乱歩のミステリ発想力の高さは、これを見てもわかる。『孤島の鬼』(1929-30年)では、やはりクイーンの『〇の〇〇』に先行し、「陰獣」でも『十日間の不思議』に先立つこと二十年。なかなか天晴れである。長編ミステリの傑作を書く構成力と技術力では劣っていたかもしれないが、基本アイディアではパズル小説の巨匠に負けていない[xiv]。「陰獣」が、それを実証している。

 もっとも、個人的には、本作で一番面白いのは、小説の前半、「わたし」の知り合いの雑誌記者が話す、浅草公園の雑踏のなかで道化師の扮装をした大江春泥を見たという挿話である[xv]。チラシを配る、とんがり帽子に白塗りのピエロ、その顔が大江春泥だった・・・。なんとも乱歩らしい、滑稽でとぼけていて、それでいて凄味のあるシーンではないか。この謎が解けるのが「陰獣」のパズル的妙味が頂点に達する瞬間[xvi]でもあるのだが、それ以上に、乱歩ならではの謎の味わいに魅了される。

 一方、「陰獣」には、パズル・ミステリとして十分練られていない部分もあって、何度も引き合いに出すが、手袋のボタンは「わたし」を偽の推理へ誘導する手がかりなのだから、犯人は、それが小山田氏の持ち物であることを「わたし」に気付かせる必要がある。なのに、実際は何もしようとせず、「わたし」が偶然その手掛かりに気づくのを、ただ待っているだけなのである。最後の謎解きで、その矛盾を説明しようとはしているが[xvii]、周到なはずの犯人にしては、この行動は、いや行動しないのは、おかしい。(もっとも、既述のとおり、犯人は静子ではなく、「大江春泥すなわち江戸川乱歩」であるとすれば、静子が何の行動もとらないのは、彼女が犯人ではない証拠とも解釈できる。2024年3月11日)

 

 巧拙併せもった様々な面をみせる「陰獣」であるが、江戸川乱歩の代表作であると同時に、日本ミステリの里程標となる名作のひとつであることは、今後も変わらないだろう。戦前の素朴な探偵小説に見えて、「陰獣」には通常のミステリから外れた部分が幾つもあって、その面白さが独自の地位を支えてきた。現在でもそれは同じである。21世紀の今こそ、「陰獣」を読みかえすべきときなのかもしれない。

 

(追記)

 本文では、「陰獣」には前人未到のトリックはなく、「一人二役」が複数回使われているだけだと述べているが、そのなかには「作者乱歩と犯人春泥の一人二役」も含まれている。これは究極の一人二役とでもいうべきもので、前人未到のトリックと呼んでもいいかもしれない。「類別トリック集成」(『続・幻影城』)に入るべきものである(かな?)。(2024年3月4日)

 

[i] 「陰獣」、『新青年』(1928年8-10月)。

[ii] 江戸川乱歩『探偵小説四十年(上)』(光文社、2006年)、338-58頁。

[iii] 横溝正史「『パノラマ島奇談』と『陰獣』が出来る話」『探偵小説昔話』(講談社、1975年)、208-35頁。

[iv] 『探偵小説四十年(上)』、343-44、380-81頁。

[v] 同、357頁。

[vi] 同、356-57頁。

[vii] 江戸川乱歩「自註自解説」『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩集』(創元推理文庫1984年)、3頁。

[viii] 「陰獣」『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩集』、333、361-65頁。

[ix] 『探偵小説四十年(上)』、356頁。

[x] 同、348頁。

[xi] 飯城勇三エラリー・クイーン完全ガイド』(星海社、2021年)、168-72頁を参照。

[xii] ただし、以下の批評文を参照。井上良夫「『陰獣』吟味」(1934年)『幻影城 江戸川乱歩の世界』(1975年7月増刊号)、63頁。

[xiii] この問題については、以下の論考で詳しく論じられている。毛利 恵「神の悪戯-陰獣論」『成城文藝』172号(2000年)、1-17頁。

[xiv] 探偵が推理の結果を報告書にまとめて当局に提出しようとするが、関係当事者の女性のことを慮って断念するという展開は、E・C・ベントリーの『トレント最後の事件』(1913年)と同じである。同書の翻訳は1932年だったが、乱歩が読んだのは、もう少しあとだったようだ。『探偵小説四十年(上)』、588頁、また注67(821頁)も参照。ベントリーを紹介した雑誌『探偵小説』の編集は横溝正史だった。横溝正史「エラリー・クィーン氏、雑誌の廃刊を三ヶ月遅らせること」『探偵小説昔話』、70-73頁。

[xv] 「陰獣」、318頁。

[xvi] 同、401頁。

[xvii] 同、404頁。