クリスチアナ・ブランド『ジェゼベルの死』

(本書のトリックに間接的に触れていますので、ご注意ください。)

 

 『ジェゼベルの死』(1948年)[i]は、クリスチアナ・ブランドの第五長編であるとともに、我が国では最高傑作との定評がある。

 最初に注目を浴びたブランド作品はといえば、『はなれわざ』だった。ブランドの初お目見えは1958年の『緑は危険』(1944年)だったが、翌年『はなれわざ』(1955年)が刊行されて一気に人気が高まった。その辺りの消息は小林信彦の『地獄の読書録』などを読むとよくわかる。『宝石』誌連載の「みすてり・がいど」1959年5月号は、『はなれわざ』の紹介に始まり、最後は「今月の話題の中心は、どうやら、『はなれわざ』に決ったようです」[ii]で締めくくられている。

 以後、ブランドの代表作は『はなれわざ』一辺倒だったが、それが変わるのが、ハヤカワ・ミステリ文庫で『ジェゼベルの死』が復刊されて以降である。そして同書の再評価に最大の貢献をなしたのが山口雅也(のエッセイ)だった。

 最初は、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』のコラムだったと思うが、『ジェゼベル』の文庫本解説で、ほぼ同じ主張が繰り返されている。山口によれば、ブランドはニコラス・ブレイクのような「新本格派」などではなく、「クイーン、カー、クリスティー直系の黄金時代」を再現する作家であり、「パズラーに必要なテクニックに抜群の才能をみせる作家」である。とりわけ本書は、「カーやチェスタトンも蒼くなるような悪魔的発想のトリック」が考案された、ブランドが「自らのパズラー・テクニックの限界(リミット)に挑んだ鬼気迫る傑作」というのが山口の評価だった[iii]

 この解説やHMMに掲載されたコラムに圧倒されて本書を手にした読者も多かったことと思われる。筆者もそのひとりだったが、一読して、山口の賛辞が大げさではないことを実感した。確かに、その大胆なアイディアには驚かされた。

 しかし、そうなると、なぜ初訳の段階でもっと話題にならなかったのだろうと不思議にもなった。『ジェゼベルの死』の翻訳は1960年2月で、ブランドの刊行ラッシュ(1958年6月から59年10月までに8冊)が一旦落ち着いた後、ポツンと公刊された印象はある。が、それにしても、あれだけ『はなれわざ』に熱をあげていた小林が、『ジェゼベルの死』には、まったく言及していないのだ(どうやら、その前に翻訳された『ゆがんだ光輪』にすっかり失望して、ブランドに見切りをつけたらしい[iv])。

 当時の日本の読者にとっては、本書の「悪魔的発想のトリック」が、あまりにどぎついと思われたのかもしれない。首切り殺人というだけなら、エラリイ・クイーンの『エジプト十字架の謎』(1932年)のような大量首なし殺人ミステリもすでにあった。しかし、『エジプト十字架』は、首は切るけど、生首自体は出てこない(この言い方もどぎついなあ)。そこがクイーンの良識ある紳士作家たる所以ともいえる(いや、トリックのためだろ)。『ジェゼベル』のほうは、肝心の場面を読み返すと、怖いというか、不気味というか。人間の首がオブジェ扱いされるところは、ホラーに近い。

 それ以上に、本書のトリックは、どうみても現実的ではない。チェスタトン風というか、いや、チェスタトンでも長編ミステリには到底ならなかったろう。アクチュアリティの観点からすれば、とんでもない(中身がカラの○○〇を乗っけてパカパカとか、ねェ?)。ジョン・ディクスン・カー怪奇小説の味付けでかろうじて成立させられるようなトリックを、ブランドらしい非常識でピントの狂った登場人物を右往左往させ、戯画化することで小説に仕立て上げている。容疑者たちが争って犯罪を告白する展開は、あえて人工的なプロットで、人工的なトリックを中和しているとも取れる。その点で、カーよりも上手くチェスタトンのスタイルに似せているといえそうだ。

 いずれにしても、ブランド・ミステリの覇権は、『はなれわざ』から『ジェゼベルの死』に移った。『週刊文春』が実施した「東西ミステリーベスト100」では、1985年の時点で、『はなれわざ』が38位、『ジェゼベルの死』が90位。すでに復刊の効果が出ているが、これが2012年版になると、後者がなんと24位、前者はなんとランク外。見事に逆転している。これほど代表作がわかりやすく入れ替わった作家というのも珍しいのではないだろうか。恐らく、我が国で新本格派と呼ばれる新しいパズル小説の書き手が輩出し、読者も歓迎し、本書の、まるでキュービズムのようなパズル・ミステリがお眼鏡にかなったのだろう。逆に、英米では必ずしもブランドの代表作とは見られていないのは、英語圏の読者がこうした非現実的トリック小説を好まない(らしい)ということのほかに、パズル趣味の濃いミステリが受け入れられにくくなった時代に書かれたせいだろうか。

 実際、『ジェゼベルの死』は、ブランド作品のなかでも、とりわけゲーム性が強く、分量もさほど多くない。徹底的にパズルに特化し、その興味だけで書かれた作品である。作者も、このアイディアで書くなら、謎解きに徹しようと考えたのだろう。余分な要素(それがブランドの個性でもある人物描写や饒舌な会話)をかなり刈り込んで、誇張気味の性格の持ち主たちをスピーディに動かしている。それはもう、すごい速さで、なんだか長編なのに一刻も早く終わらせようと書き急いでいる印象もある。長編ミステリを支えるには難しいアイディアだとわかっていて、短編なみの速さで書き終えようとしているようにも見える。ゲーム性の強さも、そうした執筆方法が影響しているのかもしれない。初期の比較的オーソドックスなパズル・ミステリ(『緑は危険』)とも、後期のじっくり書き込む心理小説風(『疑惑の霧』、1952年[v])とも異なる、前作の『自宅にて急逝』(1946年)をさらにアヴァンギャルドにした癖の強いミステリである。

 従って、細かな部分には、よくわからないところもあって、作半ばで、コックリル警部が、命を狙われているパーペチュア(ペピイ)・カークの護衛を、容疑者のひとりであるブライアン・ブライアン(この名前もギャグに近い。もちろん伏線になっている)に任せるのだが、実は計略があって、ペピイには本当は罪はなく、むしろ被害者なのだ、と思わせようとする。(殺人の動機である)復讐の対象にはならない、とそれとなく匂わせることで、ブライアンが犯人であろうとなかろうと、ペピイ殺害を思いとどまらせるよう企んだのだ[vi]が、しかし、こんな危険な策略に人命を賭ける警察官など、現実にはいるはずもない。

 また、犯人は、ページェントで使用した兜の中にトリックに使用したあるものを忍ばせて、そのまま抱えて隠すのだが、兜は会場の控室に残していかなければならないはずである。どうやって、警察の眼に触れずに中身だけ持ち出すことができたのだろう(作中では、取り調べの後の描写がないので、その辺は書かれていない)。

 とまあ、いろいろ説明不足に思う点もあるが、確かに本書は、ブランドの代表作というにとどまらず、イギリス・パズル・ミステリの特異な傑作のひとつに数えられる。

 ところで、本書のヒントとなった作品は、やっぱりG・K・チェスタトンの「秘密の庭」(1910年)なのだろうか。作中でも、ちゃんと言及されている[vii]

 

[i] 『ジェゼベルの死』(恩地美保子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1979年、

[ii] 小林信彦『地獄の読書録』(筑摩書房、1989年)、39-45頁。

[iii] 『ジェゼベルの死』、291-95頁。

[iv] 『地獄の読書録』、89頁。

[v] 『はなれわざ』とならんで、ブランドの代表作のひとつとして挙がっていた。『地獄の読書録』、40、89頁。森英俊は、『自宅にて急逝』、『ジェゼベルの死』、『疑惑の霧』を高く評価し、『はなれわざ』をそれらよりも下に置いている。このあたりが、昨今の評価なのかもしれない。森 英俊編著『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』(国書刊行会、1998年)、569-70頁。

[vi] 『ジェゼベルの死』、279頁。

[vii] 同、162頁。