ニコラス・ブレイク『ワンダーランドの悪意』

(本書の真相を明かしています。)

 

 ニコラス・ブレイクの第六長編は『ワンダーランドの悪意』(1940年)[i]、言うまでもなく『不思議の国のアリス』をもじっている[ii]のだが、「アリス(Alice)」と「悪意(malice)」をかけたのは、日本語訳ではわかりにくい。『不思議の国の悪意』としたほうが、まだしも題名の「しゃれ」が伝わったかもしれないが、作中の「ワンダーランド」は施設の名前、すなわち固有名詞なので、そうするわけにもいかない。いまひとつピンとこないタイトルになってしまったのは、訳者にも気の毒だった。

 上記のとおり、本書の「ワンダーランド」は、休暇用キャンプ施設の名称で、キャンプといっても、昨今日本でも人気のテントを張るキャンプではなく、戸建てのバンガローに宿泊して、食事も共有のホールで取る、どちらかといえば、ホテルか離れの宿のようなものらしい。そうしたレジャー施設内で、悪質ないたずらが頻発する。海水浴中に足を引っ張る生命にかかわる犯罪まがいの行為や、動物の死骸をベッドに投げ込むなど、次第にエスカレートする事態に、ついに出馬を要請されるのがナイジェル・ストレンジウェイズで、前作の『短刀を忍ばせ微笑む者』では、ほぼ出番なしだった名探偵が主役の座に返り咲いた犯人当てミステリである。とはいえ、事件はあくまでいたずらのレヴェルにとどまるので、全体の印象はあまり深刻にならない。ブレイクの、あるいはイギリスのミステリらしく、登場人物が皆真剣なのか、ふざけているのか、よくわからない、独特の空気感である。

 ちょっと脱線するが、こうしたイギリス風の雰囲気をもっとも強く感じさせるのは、私見では、アンソニー・バークリーで、彼の場合、皮肉味が強くて、なんだか自分が創造した登場人物を小馬鹿にしているような書き方なので、あまり真面目に読み進められなかった記憶がある。殺人者の孤独と恐怖がリアルに伝わってくると評される『殺意』(1931年)も、主人公の言動が妙に滑稽にみえて、たいしてスリルを感じなかったことを覚えている(バークリーの小説は多かれ少なかれ同じ印象なので、訳のせいということでもないのだろう)。

 それはともかく、こうしたイギリス風のシニカルなユーモアが滲み出てくるところが、まさにタイトル通りの「不思議の国の悪意」ということなのだろう。

 物語は、世論調査員(フィールドワーカー)[iii]のポール・ペリーがワンダーランドに向かう列車のコンパートメントで、同室となった一家(夫婦と一人娘)と会話するところから始まる。シッスルスウェイトという言いにくそうな(イギリス人にはそうでもないのか)名前のオックスフォード在住の紳士は、ペリーがケンブリッジのカレッジ出身と知ると、やけに突っかかってくるようなのだが、これはやはりオックスフォード対ケンブリッジの対抗心を表現しているのだろうか。もっとも、ペリーはシッスルスウェイトの娘のサリーが気になるようで、この後、ミステリにありがちのロマンスの脇道に迷い込む。

 ところが、ワンダーランドに到着した一行がホールに集まって、早速ダンスを楽しんでいると、突如マイクから「マッド・ハッターに気をつけろ」というアナウンスが響き渡る。そして、その翌日、サリーが水中で足を引っ張られる事件が起こり、マッド・ハッターの署名の入った犯行声明ともいえるビラが掲示されているのが発見される。こうしてストーリーが動き出すと、以下、テニス・ボールの箱やピアノの内部に糖蜜がかけられている、客の飼い犬が毒を飲まされて殺される、宝探しイヴェントで林を歩いていた娘の腕に火傷のような水ぶくれができる、支配人が射撃場のライフルで銃撃される、等々の被害が続出して、ワンダーランドは阿鼻叫喚の地獄と化す、・・・とまではいかないが、ゲスト達はパニックに陥り、ナイジェルも事態の急変に翻弄されるかに見える。

 しかし、最後まで読むと、意外に折り目正しいパズル・ミステリで、ことに、ナイジェルが登場したあたりから、前半の主人公格だったペリーが背景に下がって、むしろ容疑者の列に加わると、最初の場面ではいかにも怪しげだったシッスルスウェイト氏のほうが探偵側に回るのも、ブレイクらしい一捻りしたプロットといえる。ナイジェルを呼び寄せるのがシッスルスウェイトなので、この人物は犯人ではないらしいとわかってきて、終盤では、彼がナイジェルとの対話のなかで、突如犯人を指摘する。そうすると、それがそのまま真相なのである。

 ナイジェルに謎解きを独占させないで、シッスルスウェイトに役割を分担させる、この狙いがどこにあるのか、よくわからないが、真犯人はさして意外な人物ではないので、それが理由なのかもしれない。施設内で次々に起こる小事件を差配して段取りを考える。当然施設について熟知していないと不可能である、と推理するので、結論は明らかで驚きも少ない。もちろん作者も色々工夫はしていて、いたずらと思われた事件のなかに偶然の事故が混じっていたり、犯人以外の人物の行動が事件を複雑化させたりする。さらに犯人指摘の場面では、ナイジェルが失言を誘う罠を仕掛けるといった具合に細かく考えているのだが、謎解きミステリとしては、犯人逮捕に至るまでの経緯は平凡というほかはない。解説の横井氏も、本書の社会背景や用語については詳しいが、ミステリとしての出来については、ほとんど言及がないので、恐らく、あまり評価はしていないのだろう。

 そう考えると、オフ・ビートのミステリというのが、本書の一番適切な捉え方かもしれない。『不思議の国のアリス』をもじったタイトル、殺人すら起こらないストーリーと、いかにもイギリス・ミステリらしい、ブレイクらしい小説ともいえるが、ウィットに富んだ語り口で読ませる典型的な「新本格派」の探偵小説というのが大方の読者の印象になりそうだ。

 しかし、再読して気づいたのは、本書がなかなか面白いパズル小説になっていることである。犯人逮捕の後、今度はロンドンに戻る列車内で、ナイジェルがシッスルスウェイトらに語る推理は意外に(といってはなんだが)冴えている。なかでも、それまでマッド・ハッターは自分がしでかしたいたずらを新聞社に知らせていたのに、ある時点から通報しなくなる、その理由に関する推理[iv]と、もうひとつ、途中からなぜか犯人がペリーに疑いが向けられるように工作を始める理由に関する推理[v]が面白い。とくに後者は、偶然の事故がマッド・ハッターの仕業と受け取られたことで、真犯人に疑いが向けられそうになる。それを避けるために他の容疑者をでっちあげなければならなくなったという、これもブレイクらしい「偶然の事態に犯人が計画を修正せざるを得なくなる」プロットの典型ともいえる謎解きになっている。初読の時はほとんど印象に残らない平凡な作品と思っていたが、読み直してだいぶ評価が上がった(偉そうな言い方だが、要するに、ちゃんと読んでいなかっただけ)。

 一風変わった舞台とのほほんとした雰囲気だけのミステリと思っているとさにあらず、本書は、ニコラス・ブレイクらしい理詰めの推理が楽しいパズル・ミステリの佳品である。

 

[i] 『ワンダーランドの悪意』(白須清美訳、論創社、2011年)。

[ii] 横井 司による解説を読むと、実際はルイス・キャロルの書名ではないそうだ。そう言われれば、そうだった。同、321頁。

[iii] こちらも解説に詳しい。同、322-23頁。

[iv] 同、315-16頁。

[v] 同、316-18頁。