ニコラス・ブレイク『短刀を忍ばせ微笑む者』

(本書の真相と結末を明らかにしています。)

 

 ニコラス・ブレイクは、第五長編『短刀を忍ばせ微笑む者』(1939年)[i]で作風が大きく変わった。それまでの四作品は犯人当てのオーソドックスなミステリであったが、本作は何とスパイ・スリラーである。随分唐突な方向転換で、当時のイギリスの読者は、この変化にとまどったりしなかったのだろうか。もっとも、前作の『野獣死すべし』(1938年)[ii]も、冒頭はまるで倒叙ミステリだが、それが途中から謎解き小説に転化していく変則的なパズル・ミステリだった。ブレイクが一筋縄でいかない作家であることは、予測できていたのだろうか。それにまた、パズル・ミステリ作家が、こうしたスパイ・スリラーもしくは冒険小説、あるいは組織犯罪小説を書く伝統は、すでにアガサ・クリスティ[iii]やF・W・クロフツ[iv]に先例があった。とすれば、『野獣死すべし』でパズル・ミステリ作家としての名声を確立した作者が、新たなジャンルに挑戦したとしても、抵抗なく受け入れられたのかもしれない。

 しかし、本作の異色性はそれだけにとどまらない。ナイジェル・ストレンジウェイズが登場するので、それまでのシリーズ作品に連なるのかと思いきや、冒頭こそ妻のジョージアと仲睦まじいところを見せるが、以後は終盤まで空気と化して、ジョージアのほうが主人公となる。このはずし方も相当なもので、さして魅力的な探偵とは言い難い(失礼な!)にせよ、この主役交代は、せっかく増えた(?)ナイジェル・ファンを失望させかねない。一体、どのような意図があってのこのスピンオフだったのだろうか?スパイ・スリラーは、ナイジェル向きではないと判断したのか?しかし、それならそれで、なぜまったく別の主人公ではなく、よりによってジョージアなのだろうか[v]

 前述のクリスティ作の冒険スパイ小説は、最初こそトミーとタッペンスものだったが、以後シリーズ探偵は登場せず[vi]、ことに初期の1920年代には、エルキュール・ポワロ等の名探偵ものとほぼ交互に書かれていた。それが『謎のエヴァンズ』(1934年)を最後にひとまず打ち切られて、次にこのタイプの小説が公刊されるのは1941年の『NかMか』である。つまりブレイクの本書が執筆された時期には、クリスティは同タイプの冒険ミステリを書いていない。代わって登場したのが、本格的なスパイ小説の開拓者であるエリック・アンブラ―[vii]である。1938年には『あるスパイへの墓碑銘』が出版されているから、ブレイクが、本書執筆にあたって同時代作家のアンブラ―を意識しなかったはずはないだろう。『短刀を忍ばせ微笑む者』は、クリスティのような旧時代の冒険スパイ小説と比べれば、当時(第二次世界大戦前夜)の緊迫した国際情勢もあってか、よりリアリスティックであるが、かといってアンブラ―のようなシリアスなスパイ小説かと言うと、そうとも言い得ない。

 物語はデヴォンシャののどかな村に居を定めたストレンジウェイズ夫妻が、自宅の垣根の側に落ちていたロケットを見つけるところから始まる。なかにはE.Bと印したメダル(?)と女性の肖像を写した古びた写真が入っていた。話を聞いた伯父でロンドン警視庁要職のジョン・ストレンジウェイズ卿から、E.Bとは「イングランドの旗」という、貴族支配による政治を目指す団体のことで、しかし、その実態は、イギリスの国家転覆を目的とする秘密結社であるとの驚くべき事実を知らされる。

 ここからストーリーは大きく転回し、もともと冒険家として著名であるジョージアが、表面上ナイジェルと離婚したうえで(ええっ!)秘密組織に潜入し、陰謀の証拠を見つける使命を引き受けることになる。彼女は、記者のアリソン・グローブやクリケット選手のピーター・ブレイスウェイト(あわれ、途中で爆死する)らとともに、秘密の賭博場を併設するクラブ-実はE・Bの拠点-に乗り込む。その場の人々の反応を観察したジョージアは、ナイジェル顔負けの見事な心理的洞察力を発揮した推理で、パズル・ミステリ好きの読者を喜ばせる。しかし、謎解き小説らしさが垣間見られるのは、ここくらいで、その後、チルトン・キャンテロ―という美貌の大富豪が登場すると、この人物こそが組織の首領であることがわかってくる。キャンテローと親密になったジョージアは、彼の邸宅で「イングランドの旗」の計画に関する決定的な証拠書類を発見するが、それはジョージアを怪しんだキャンテローの罠だった。なんとか窮地を切り抜けたジョージアは屋敷を脱出すると、ナイジェルの待つオクスフォードを目指して死に物狂いの逃避行を続けることになる。

 この小説の見せ場は、この後半三分の一余りを費やして語られるジョージアの奮闘ぶりで、彼女は迫りくる敵側の追跡や罠を間一髪でくぐり抜け、一旦はキャンテローに捕らえられるが、彼に目つぶしを食わせて再度逃走、ついにオクスフォードまで辿り着く。果たして彼女の運命やいかに・・・。

 という具合で、最後の百ページで展開される敵味方入り乱れての駆け引きや攻守の逆転は、冒険活劇の面白さのほかに、理詰めにものを考えるのが好きなブレイクらしい細かな段取りと丁寧な描写で、なかなか読ませる。

 こうしてみると、本書は、アクチュアルなスパイ・スリラーを狙った作品とも考えられるが、そうとも断言できないのは、例えば、冒頭でジョン卿が、イギリスにファシズム政権をうち立てんとする陰謀とそれを取り巻く政治状況をナイジェルとジョージアに説明するのだが、具体的な内容はばっさり省略されて、「と、まあこんなところかな」[viii]で締めくくられてしまう。長々しい解説など退屈なだけと判断したのかもしれないが、ブレイク自身、こうした現実世界の陰謀や政治の裏面について本当らしく語るほど深い知識を持ち合わせているわけでもないので、それなら書かないほうがぼろが出ない、と判断したようにも見える。

 そう考えると、主人公がジョージアであることの意味がわかる気がしてくる。つまり、本書はスパイ小説のかたちをとったロマンティック・スリラ―とみるべきかもしれない。あるいは得体の知れない悪の組織との戦いに翻弄されるヒロインの冒険ファンタジーか。ブレイクの翌年の長編は『不思議の国のアリス』をもじった『ワンダーランドの悪意』(1940年)[ix]だが、むしろ、本作こそ、アリスならぬジョージアが体験する不思議の世界の冒険譚なのかもしれない。

 最終章で、ジョージアはナイジェルとともに無事デヴォンシャの自宅に帰ってくる。待っていたのは、道路に伸び出した生け垣を刈れというお役所からの通知書。冒険の旅を終えたヒロインが退屈だが平和な日常世界に戻るラストは、やはり本書が、20世紀の大人になったアリスの冒険物語であることを証明しているようだ。

 

[i] 『短刀を忍ばせ微笑む者』(井伊順彦訳、論創社、2013年)。

[ii]野獣死すべし』(永井 淳訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1976年)。

[iii] アガサ・クリスティ『秘密機関』(1922年)以下の諸作。

[iv] F・W・クロフツ『製材所の秘密』(1922年)以下の諸作。

[v] このあと戦後の諸作をみると、ジョージアは死亡してしまっているので、なおさら疑問がつのる。

[vi] 厳密にはバトル警視が登場する。『チムニーズ館の秘密』(1925年)、『七つのダイヤル』(1929年)。あっ、ポアロが登場する『ビッグ4』(1927年)があった。

[vii] エリック・アンブラ―『暗い国境』(1936年)。

[viii] 『短刀を忍ばせ微笑む者』、50頁。

[ix] 『ワンダーランドの悪意』(白須清美訳、論創社、2011年)。