J・D・カー『深夜の密使』

(本書の犯人やアイディアを明かしていますが、わかっていても、あまり差支えはないと思われます。)

 

 1962年に『ロンドン橋が落ちる』を発表した翌年、ディクスン・カー脳卒中の発作で倒れ、療養を余儀なくされた[i]。このことは当時の日本で紹介されたのかどうか、知らないが、多分、否だろう。1960年代に、カーの消息に興味を抱く日本の読者は多くなかったと思われる。

 いずれにせよ、この病は、戦後のカーの小説執筆に対する熱意の低下に、さらに駄目押しした格好に映る。二年間、新作長編の刊行はなく、短編集[ii]と旧作の改訂出版でお茶を濁すかたちになった。

 その旧作、すなわち1934年にロジャ・フェアベーン名義で出版された『デヴィル・キンズミア』を、1964年に改題したのが本書『深夜の密使』[iii]である。

 旧作の『デヴィル・キンズミア』は、カー名義の作品元と同じだが、ダグラス・グリーンによると、出版社が別名義での刊行を提案した[iv]、という。本名での小説の売り上げに悪影響が及ぶ、と判断したのだろうが、とんだお荷物扱いで不憫な話だ。グリーンもグリーンで、売れなかった事実を証明しようとするあまり、発売後二ヶ月の時点で「『デヴィル・キンズミア』の販売部数は・・・、わずか566部だった」[v]って。そんなはっきり書かなくても・・・。

 内容は、歴史ミステリ、というより、歴史ロマンスで、カーの歴史趣味が初めて一編の小説として形をなした記念すべき作品である。しかも時代は1670年、王政復古から十年後、そう、カーのヒーロー、チャールズ2世(1660年戴冠)治世である。

 1670年5月、サマセットシャ出身のロデリック・キンズミアというジェントルマン(郷紳)が、母親からの遺産を受け取るためにロンドンへと上京する。国王に伺候するために王宮に赴いたキンズミアは、途端にトラブルに巻き込まれ、ペンブルック・ハーカーという、例によって例のごとき悪党紳士に決闘を申し込まれ、同じくハーカーと決闘を約束していたバイゴンズ・エイブラハムという人物とともに、ハーカーの動静を探りに酒場に向かう。隣の部屋から二人が盗み見しているとも知らず、ハーカーは女優のドリー・ランディスという美女に重大な秘密をしゃべりちらす(何という粗忽な悪党だ)が、一方、キンズミアのほうは、ドリーを一目見た瞬間に恋に落ちる。・・・またですか・・・。まあ、いいでしょう。

 こうして事態は一気に国家規模の「大秘密(Most Secret)」へと発展し、キンズミアはエイブラハムとともに、チャールズ2世より、フランスのルイ14世王との間の秘密協定に関する極秘文書[vi]を託される。ドーヴァへと向かったキンズミアとエイブラハムは、それぞれが帆船に乗って、一路フランスのカレーを目指す、という、わずか二日間の冒険を描く歴史エンターテインメントである。

 とはいえ、カーらしく、ハーカーとドリーが密談する部屋に突入したキンズミアは、ハーカーと剣を交えて、これを倒す-というか、ハーカーが急所を打って悶絶する-が、縛り上げたハーカーを隣室に放置したまま、実はチャールズの命を受けた密使でもあるとわかったドリーを交えて三人で相談していると、その隙に、ハーカーはナイフを首に打ち込まれて殺されてしまう。つまり、一応、殺人事件の謎が出てくるのだが、これはあっけなく犯人が明らかとなる。むしろ、物語の興味は、キンズミアとエイブラハムが王から託された秘密文書を果たして無事にフランス王妃に届けることができるのか、という冒険小説さながらの主題にある。しかも、帆船の船長が敵に寝返っていたとわかって、キンズミアは絶体絶命の窮地に陥る。何しろ、海の上で、船員全員が敵に回ってしまうので、打開のしようがないと思われるが、その危機をどうやって脱するか。さらに、秘密文書に関しても、どんでん返しがあって、これらのプロットとアイディアは、あっと驚くほどのものではないが、歴史ロマンスとして読めば、定型通りとはいえ、十分楽しませてくれる。

 全体の印象としては、やはり1950年代の歴史ミステリと比べても、謎解きの要素は薄く、ちょうど、日本のミステリ作家が書く時代小説のような感じである。主役のロデリック・キンズミアは、いかにものカー的主人公で、信義を重んじる愛国的ヒーローだが、後年の歴史ミステリの主人公たちほど好戦的ではないし、やたらと尊大でもない。つまり、まだカー的主人公としては、それほど、あくが強くない。一瞬でドリーに一目ぼれするのは、大概にしてほしいが。

 ミステリ的趣向というわけではないが、物語の枠組みはかなり複雑で、一人称で書かれているのに、語り手はロデリック・キンズミアではない。その孫に当たるリチャード・キンズミア大佐が、1815年のワーテルローの戦いを目前に控えて、自宅の書斎で(全体で18章なので)十八日間にわたって語り続けた話を、同じキンズミア家の婦人が書き留めた、という体裁になっている。再びグリーンによると、こうした入れ子構造となったのは、『デヴィル・キンズミア』執筆の頃、カーは、17世紀のイギリス人のしゃべり方の正確な再現にまだ自信がなく、19世紀人の話し方に見えてしまうのを気にして、このような複雑な構成を採用した[vii]、という。

 しかし、『深夜の密使』を発表した1960年代ともなると、カーは「キンズミア大佐が登場させている人物たちの話し方は完全に十七世紀風」[viii]である、と、わざわざ序文に書いて、自分の小説の主人公達のように自信満々である。それなら、こんな煩瑣な構成はやめにして、ロデリック・キンズミアの一人称小説にしてしまえばよかったのに、とも思うが、書き直すのが面倒くさかったのだろうか。あるいは、語り手のキンズミア大佐が語る1815年という年が重要だったのか。チャールズ2世時代とナポレオン戦争期とは、カーが歴史ミステリに繰り返し選んだお気に入りの時代である。前者は、『エドマンド・ゴッドフリー卿殺害事件』(1936年)、『ビロードの悪魔』(1951年)があり、後者では、『ニューゲイトの花嫁』(1950年)、『喉切り隊長』(1955年)が書かれている。この二つの時代を結び付けた本書の趣向を捨てる気にはなれなかったのだろう。

 本書は、ある意味、カーの語りの技芸がもっとも純粋に発揮された小説なのかもしれない。最初の章は、キンズミア家の人々の来歴と性格が、脱線を交えて詳細に描かれ、第二章では、ロデリック・キンズミアが見た17世紀のロンドンの様子が、カーらしく、学究的な精密な観察に基づいて描写されている。正直、読むのに難渋するので、この調子では読了するまで何日もかかりそうだ、とげんなりするが、本筋に入ると、筋立てがシンプルなだけにすいすいと読めるようになる。カー作品中でも、もっともストレートな娯楽読み物といってよさそうだ。

 それにしても、最後まで読むと、結局、本書の主役はロデリック・キンズミアではなく、チャールズ2世であったことが明らかとなる。どんだけ好きなんだ、と呆れてしまうが、本書と『エドマンド・ゴッドフリー卿殺害事件』、『ビロードの悪魔』は、いっそ、チャールズ2世三部作とでも呼ぶことにしようか。

 ところで、本書の234頁に、ルイ14世と並べて、唐突にプレスター・ジョンの名前が出てくる[ix]。カーは、ロビン・フッドには何度か言及しているが、プレスター・ジョンとは珍しい。実は、前作に当たる『ロンドン橋が落ちる』にも、この伝説上の君主の名が出てくる[x]。本書で、この名が引用されているのは、『デヴィル・キンズミア』に手を入れた際に、新しく書き加えたのだろうか。それとも、元から書かれていたのか。どうでもよいことだが、ちょっと気になる(『デヴィル・キンズミア』の翻訳は出ないでしょうねえ)。

 

[i] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(1995、国書刊行会、1996年)、441頁。

[ii] The Man Who Explained Miracles (1963). 『カー短編全集3/パリから来た紳士』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1974年)にほぼ相当。ただし、日本版には、目玉の『パリから来た紳士』が含まれている。さすが、商売がうまいですな。

[iii] 『深夜の密使』(吉田誠一訳、創元推理文庫、1988年)。

[iv] グリーン前掲書、198頁。

[v] 同、199頁。

[vi] ドーヴァの秘密条約については、今井 宏編『世界歴史体系 イギリス史2 近世』(山川出版社、1990年)、245頁等を参照。

[vii] グリーン前掲書、199-200頁。

[viii] 『深夜の密使』、9頁。

[ix] 同、234頁。プレスター・ジョンに関しては、『ロンドン橋が落ちる』のほうにカッコ注がついています。

[x] 『ロンドン橋が落ちる』、214頁。