ジョン・ロード/カーター・ディクスン『エレヴェーター殺人事件』

角田喜久雄の長編、ジョン・ディクスン・カーの『読者よ、欺かるるなかれ』、『震えない男』のトリックに触れています。)

 

 『エレヴェーター殺人事件』(1939年)[i]は、ディクスン・カーにとって唯一の共作長編ミステリである[ii]

 ディクスン・カーという人は、性格も社交的だったらしいから、共作ができないタイプではなかったようだが、かといって長編ミステリでは本書のみというところをみると、合作を好んでいたようにもみえない。ひとりで気ままに筋を考え、書くのが性に合っていたのだろう。そもそも、共作者を必要としない筆力とアイディアを持ち合わせていた。

 本作も、アイディアに行き詰って、というのではなく、「専門的な助言を要する不可能犯罪を考案」[iii]したことがきっかけだった、という。なるほど、解決部分で明かされるトリックは、カー作品にはめずらしい理系的な機械トリックである(といっても、専門的とまではいえそうもないが)。

 合作者のジョン・ロードも、近年翻訳が増え、日本における知名度も上がったが、無論イギリスではミステリの大家で、カーの先輩作家だった。ジョン・ロードの名が先に来るのは、単純にカーが譲ったからだろう。実際は、カーがほとんど執筆している、という[iv]

 とはいえ、カー作品を代表するようなホレイショ・グラス医師とロード作品を代表するデイヴィッド・ホーンビーム警部という二人の探偵が共闘する展開は、いかにもカーがロードに気を使って、キャラクター造形をしているようにみえる。解決編で、ホーンビームがトリックを解明するのも、それまでの展開をみると意外だが、ロード型探偵に敬意を表したかたちである。

 合作のせいか、いつものカーの小説と雰囲気が異なるのも確かである。描写も人物の書き込みもあっさりしているように感じられるが、そもそも舞台設定がカー作品らしくない。

 エレヴェーターを使った殺人なので、当然ロンドン市内のビルディング。ロジャ・スカーレットの『エンジェル家の殺人』(1932年)のように、屋敷内にエレヴェーターを置く手もあるが、このトリックの場合は、ある程度階数が必要だと判断したのだろう。各階に容疑者を配するために、ビル全体が出版社という設定で、P・D・ジェイムズの『原罪』(1994年)のようだが、ジェイムズのような重厚さはないし、読みごたえもない。その代わり、すらすら読める。こういった都市の企業を舞台に職業人の間で起こる殺人というのは、確かにカーのミステリとしては新鮮だ。その代わり、いつもの雰囲気描写は抑えられ、ストーリーがさくさく進む。事件の焦点も、もっぱらエレヴェーター内の不可能犯罪の解明に当てられる。

 トリックは、上述のとおり物理的トリックで、そういえば、同時期には、これに類する理系のトリックが多い。ディクスン名義の前作『読者よ、欺かるるなかれ』(1939年)に、翌年のカー名義の『震えない男』(1940年)。小学生の理科実験風トリックの案出に熱中していたのだろうか。

 展開として面白いのは、最初に機械的トリックを否定しておいて、グラス医師が、次々と心理的なトリックを思いつくあたりだろう。つまり、エレヴェーターに乗る前に、すでに殺害されていた。エレヴェーターが到着した後に殺害された、という具合である。こういったアイディアのほうがカーらしいが、真相は、結局機械的トリックだった、というもの。上述のように、最後はホーンビーム警部が解明するのも、読者の予想をはずす一捻りということなのだろう。ただし、拳銃を固定する角田喜久雄の長編[v]のようなトリックではなく、拳銃の代わりに弾丸を発射する機械的装置である。

 トリックは眼を見張るというほどでもなく、犯人も、トリックがわかれば自動的に判明する、というしくみなので、推理らしい推理もない。一向、取り柄がないようだが、売れ行きはよかったらしい[vi]。カーの個性が出すぎていないのが、逆に良かったのか、いささかも渋滞することのない読みやすさと適度な知的興奮が味わえるところが長所だろうか。

 ハヤカワ・ミステリ版の解説は、都筑道夫で、当然のことながら、「大家の合作で成功した、これは珍しい例なのである」[vii]、と、早川書房の社員らしく(?)持ち上げている。他に、本作を批評している二階堂黎人は、「だいたい、ジョン・ロードの書いたものがあまり面白くないので、この合作作品もそれほど面白くはない」[viii]、とそっけない。ロードまでディスられていて、可哀そう。

 ところで、グラスという名は、やはりチェスタトンの小説から取ったのだろうか[ix](原書を持っていないのでわからないのだが、どっちのグラスだろう)。

 多分、この小説などは、カーがディテクション・クラブに加わっていなかったら、書かれなかったかもしれないので、そういった背景を想像してみるのも楽しいかもしれない(なんだか、こっちまで投げやりになったなあ)。

 

[i] 『エレヴェーター殺人事件』(中桐雅夫訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ390、1958年)。

[ii] 一応書いておくと、他に、リレー長編『殺意の海辺(Crime on the Coast)』(1954年)がある。またエイドリアン・コナン・ドイルとの合作短編集『シャーロック・ホームズの功績』(1954年)があることは付け加えるまでもない。

[iii] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会、1996年)、224頁。

[iv] 同、224-25頁。

[v] 角田喜久雄『高木家の惨劇』。

[vi] グリーン前掲書、226頁。

[vii] 『エレヴェーター殺人事件』、230頁。

[viii] 二階堂黎人「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」『名探偵の肖像』(講談社、1996年、文庫版、2002年)、370頁。

[ix] G・K・チェスタトン「グラス氏の失踪」『ブラウン神父の知恵』(1914年)所収。