カーター・ディクスン『九人と死で十人だ』

(本書のトリック等に触れています。)

 

 『九人と死で十人だ(Nine and Death Makes Ten)』(1940年)は、前作の『かくして殺人へ』(同)や次作の『殺人者と恐喝者』(1941年)と並んで、カーター・ディクスン名義の長編中でも、もっとも入手困難な作品だった。ハヤカワ・ポケット・ミステリにも、創元推理文庫にも収録されていなかったからだ。本書の場合、あの『別冊宝石』として出た[i]後、1999年になって国書刊行会から四十数年ぶりの新訳が刊行された[ii]。そして2018年に、創元推理文庫に収録されたのだった[iii]

 ところで、最初の邦題は『九人と死人で十人だ』だった。今回、文庫版で読みかえしてみてびっくり仰天した。うかつな話だが、国書刊行会版がタイトルを変更していたのに、今になって気がついたのだ。「くにん と しにん で じゅうにんだ」のほうが、リズミカルでよい気がするのだが(童謡じゃないんだけどね)。しかし、『九人と死人で十人だ』というのもすごいタイトルだな。ハードボイルド・ミステリみたい(まあ、原題どおりだけど)。

 本書も多分、松田道弘の「新カー問答」で、ちょこっと知名度が上がった口だろう。松田は、1940年代のカー長編が「トリックとプロットを単純化する傾向」[iv]を見せる、とまとめ、本書を例に挙げている。実に適確な解説で、付け加えることもないようだが、最後に以下の駄目出しをしている。

 

  「これで登場人物がもうすこし要領よく描きわけられていたらかなり面白い作品に

 なったろうね。」[v]

 

 主要登場人物、(ヘンリ・メリヴェル卿を加えて)九人しかいないのに・・・。カー先生、言われてますよ。

 それはさておき、殺害されるのは九人のなかのひとりなのに、なんで死人を加えて十人になるのだろうか。

 それはさておき、はさておき、本書も『震えない男』や『かくして殺人へ』同様、第二次大戦時代を舞台にしている。という以上に、本作の場合は、まさに戦争真っただ中、何しろイギリス版原題は『潜水艦水域の殺人(Murder in the Submarine Zone)』である[vi]。軍需物資を積んだ民間船舶に乗り合わせた乗客の間で起こる殺人事件を描いている。船上ミステリという点では、『盲目の理髪師』(1934年)の続編ともいえる。

 犯人の設定も『盲目の理髪師』に似ていなくもないが、パズル・ミステリとしては、はるかにトリッキーである。トリッキーすぎて、読みかえしても、なかなか頭に入らない(年でボケてるだけか)。

メイン・トリックは、カーには珍しい指紋偽造のトリックである。この偽造方法は、カーの発明ではなく、現実に用いられたものらしい[vii]。つまり本書でもまた、この指紋の偽造のアイディアをどう活かすか、というアレンジにカーの技が発揮されている。

 イギリスに向かうエドワーディック号に乗り合わせた九人の乗客のうちのひとりは、殺人を計画していた。お互い他人のふりをしているが、乗り合わせた愛人の元外交官夫人を殺害しようというのだ。すでに架空の名義で部屋を確保している。一日二日、一人二役を演じなければならない。さらに簡単な指紋偽造の方法を知っており、これを利用するつもりでいる。詳細はこうだ。殺人を決行した後、死体の衣服に偽の指紋を残しておく。死体が発見されれば、当然、全員の指紋の採取照合が行われるだろう。架空の人格になりすましているときに、偽造した指紋を採取されるように仕組む。検査すれば、すぐに犯人とわかってしまうが、それでよい。逮捕される前に、架空の人格のほうを自殺にみせかけて消滅させるのだ。本来の自分に戻って、あとは存在しない人間に疑いがかけられるのを眺めていればよい。無事に逃げおおせることができるだろう。

 -という、随分持って回った、しかも危険な計画にみえるが、案の定、これが上手くいかない。犯人は、偽の指紋を採取させるはずが、船員達に抑え込まれて、本物の指紋(というのも変だが)を採られてしまう。おまけに本来の自分の姿でも、指紋を採取されている。もし、乗客全員の指紋を比べられたら、同じ指紋が二つ存在することがばれて、一人二役も暴露されてしまう。

 なんだか随分間抜けな犯人だが、おかげで、船上の誰のものでもない指紋(現場に残された指紋のこと)が出現して、捜査を進める船長らはあっけにとられる。見事、見事、と、囃し立てたくなる不可能状況の演出である。捜査側は、現場に残された指紋と乗客個々との指紋を比べるばかりで、乗客同士の指紋の照合は盲点に入ってしまうところも上手い。犯人の計画が狂うことによって不可能状況が出現するという、実に巧妙かつモダンなパズルが成立する。

 もっぱら事件のみが描かれ、その意味では、骨格だけの小説でコクがない、とも言えるが、それだけにプロットの巧みさが際立っている。まさに名人芸といえるだろう。

 ところで、最前の疑問に戻って、なぜ「九人と死人で十人」というタイトルなのだろう。被害者は九人の中に入っているから、十人にはならない。カーは数学が苦手だったというが、足し算もできないのか、と鼻で笑いそうになる。それとも、第二の被害者が船員(事務長補佐)なので、これを加えると十人ということなのだろうか。-と、そこまで考えて、突然気がついた。「十人」というのは、単にきりが良い数字を選んだだけなのだった。「九人」のほうに意味があった。・・・またしても、カーにやられたようだ。

 九人といっても、犯人が一人二役をやっているので、本当は八人なのである。つまり、カーはこう言っているわけだ。「はい、はい、読者の皆さん。この事件の容疑者は九人ですよ。一人二役なんて考えないで、九人のなかから犯人を見つけてくださいね。」

 まったく、カーというのは食えない作家だ(人を食ったアイディアは得意だが)。油断も隙もありはしない。ミステリ王国の十人、いや住人は、チャールズ二世ならぬ、ジョン・ディクスン・カー三世[viii]王の前にひれ伏すしかないようだ。

 

[i] 『九人と死人で十人だ』(旗森真太郎訳)『別冊宝石』70号(1957年)。

[ii] 『九人と死で十人だ』(『世界探偵小説全集36』、駒月雅子訳、国書刊行会、1999年)。

[iii] 『九人と死で十人だ』(駒月雅子訳、創元推理文庫、2018年)。

[iv] 松田道弘「新カー問答」『トリックものがたり』(筑摩書房、1986年、原題『とりっくものがたり』、1979年)、218頁。

[v] 同、219頁。

[vi] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会、1996年)、288頁。

[vii] 『九人と死で十人だ』(2018年)、256-57頁。

[viii] グリーン前掲書、21頁。