エラリイ・クイーン三部作:『ローマ帽子の謎』『フランス白粉の謎』『オランダ靴の謎』

 (記事タイトルを変更、2023/3/25。『ローマ帽子の謎』、『フランス白粉の謎』、『オランダ靴の謎』の内容に触れています。)

 

 エラリイ・クイーンの最初の三つの長編ミステリが、共通の外観を備えていることは周知の事実だろう。

 公共の場を舞台に、不特定多数の容疑者のなかから犯人を特定するというスタイルの作品群である。

 『ローマ帽子の謎』では、劇場で、観客が容疑者。

 『フランス白粉の謎』では、デパートで、顧客が容疑者。

 『オランダ靴の謎』では、病院で、患者や見舞客が容疑者。

 いずれも村社会における顔見知りの間での殺人事件ではなく、行きずりのふらりと立ち寄った無名の登場人物までが容疑者になりうる都市を舞台にした小説である。

 以上のことは改めて述べるまでもない特徴だが、推理方法については、一作ごとに異なった形式が取られている(ように見える)。

 改めて、それぞれの事件の概要。

 『ローマ帽子』では、上演中の舞台の観客席で毒殺された悪徳弁護士の死体が発見される。被害者の帽子が持ち去られているのがわかり、小説の大半は、帽子の行方と劇場から持ち去られた方法の探索に費やされる。

 『フランス白粉』では、デパートのショウ・ウィンドウで展示されていたベッドから女性の死体が転げだす。殺害現場は、階上のアパートメントとわかり、死体を移動した理由を中心に推理が組み立てられる。

 『オランダ靴』では、手術を直前に控えた患者が絞殺されているのが見つかり、病院内で犯人が使用したとみられる医師用のズボンと靴が発見される。さらに手術を執刀するはずだった医師も殺害され、二つの殺人が同一犯によるものか、捜査が進められる。

 三作のうち、『ローマ帽子』では、帽子の紛失という単一の手がかりが犯人特定に繋がるのに対し、『フランス白粉』では、様々な手掛かりから複数の条件が導きだされ、その条件に該当しないものを除外していく消去法の推理が採用されている。『オランダ靴』の場合は、前半の事件では消去法により容疑者が限定され、後半では単一の手がかりから犯人特定に至る、前二作で採用された異なる推理方法を統合している。

 以上のように理解してきたが、読み直してみると、どうもそうではないらしい。

 基本的に三つの作品は、ひとつの推理手法を用いていて、そこに複雑化・厳密化は見られるが、手法自体は変わっていない。むしろ同一のパターンの繰り返しである、という結論に至った。

 改めて、三作品の推理方法をまとめると、次のようになる。

 

 第一段で、「場」の関係者に容疑者を限定する。

 第二段で、関係者のなかから、犯人を特定する。

 

 特徴的なのは第一段階のほうで、不特定多数の容疑者のなかから犯人を突き止めるといっても、クイーンのミステリは警察小説ではない。捜査ではなく、推理によって犯人を明らかにする小説であるから、観客や患者一人一人の身元や足取りなど追ってはいられない。そこで、これらの作品では、最初の推理で一気に無名の登場人物を容疑者から一掃する。一見、都市の全人口のなかから犯人を特定する、途方もないスケールをもったミステリを装ってはいるが、実際は、最初の推理で、関係者以外の容疑者はすべて除外されてしまう(やはり売れなければいけませんから、派手な見た目にするのは当然ですね)。

 『ローマ帽子』では、従って、観客のなかに犯人はいない。被害者のシルクハットを劇場外に持ち出すためには、自分の帽子を残していかなければならず、しかし、余分なシルクハットは発見されなかった。唯一可能な方法は、正装で劇場に来なかった人間が舞台衣装に着替えて(劇には夜会服の紳士の役が登場する)、被害者のシルクハットをかぶって劇場から出ていくことである。つまり消えたのは帽子だけではなく、舞台衣装もである。これができるのは、役者または劇場関係者に限られる。ここまでが第一段であるが、『ローマ帽子』の場合、一人の俳優が舞台衣装を着たまま劇場を出ていったことが確認(描写)され、犯人とわかる。第一段と第二段が直結した構成になっている。推理が非常にシンプルで直線的である。従って、エラリイ・クイーンが犯人を突き止めるのは容易に見えるが、飯城勇三が指摘しているように[i]、エラリイの誤解から、犯人特定が遅れる構成になっている。そうしないと、当日に事件が解決してしまう。長編に仕立てるためとしたら、大変巧妙である。

 それに対し、『フランス白粉』では、ショウ・ウィンドウに死体を隠せば展示時刻まで発見を遅らせることができる、という事実から、犯人には、事件発覚当日朝に果たさなければならない役割があり、そのための時間をかせぐことが死体を移動した理由だ、と推理される。つまり、犯人は、死体が発見されればデパートに足止めされてしまう人間、すなわち、デパートの関係者である。さらに帽子、靴、口紅といった証拠品から男性である、と推定される。デパート関係者の男性、ここまでが第一段。しかし、上記のデータでは、これ以上推理は進展せず、犯人の特定は、別の手がかりである指紋検出用の粉の発見によってなされる。これが第二段。つまり、『フランス白粉』では、複数の手がかりによらないと二つの段階をクリアできない。そこが『ローマ帽子』より複雑になったところで、後者のような直線的な構造ではなくなっている。

 『オランダ靴』では、遺留品の靴、というより切れた靴紐の応急処置に使われた絆創膏から、犯人はそれを容易に手に入れられる人間、病院関係者である、と推定される。さらにズボンを使用していることから、病院関係者の女性(男性なら、初めからズボンを履いている。もちろん実際に着用されたもので、偽の手がかりではない、と証明される)に限定される。『オランダ靴』でも、これらの手がかりだけでは、それ以上の推理は不可能で、犯人特定に第二の殺人を必要とする。被害者の個室にあったキャビネット(the filing cabinet)の移動から犯人が推理される。推理の第一段と第二段が二つの殺人事件に振り分けられる構成である。そのため、『オランダ靴』では、もうひとつの作業が必要になる。二つの殺人が同一犯人による犯行であると証明しなければならない。第一の事件のみでは犯人特定にまで至らないので、この作業が必要である。しかし、結果的には推理による証明ができず、物的証拠(結婚証明書)の発見によって動機と共犯関係を裏付けるにとどまっている。フレンチ警部だったら、結婚証明書の発見に全力を注いで、エラリイより早く犯人を突き止めていたかもしれない(フレンチ警部には、エラリイほどの推理力はないが、トリックを見破ることにかけては天才的だから、一人二役トリックも難なく解き明かしただろう)。

 以上のように、クイーンの初期三作は、基本的に同じ推理方法を採っていることがわかった。まず、関係者に容疑者を限定して、それから一人に絞る、という方法である。

 『フランス白粉』では、最後に容疑者をひとりずつ除外していく場面が出てくる。しかし、あれは消去法推理ではない。犯人の特定のために必要なものではないからである。現場となったアパートメントに直近数週間出入りしたことのない者、という追加の条件を用いて、容疑者を順番に除外していくのだが、この条件は、結果的に犯人の特定にはまったく活かされていない。だからこそ、エラリイも「消去法のゲーム」[ii]と言っているのだろうし、解説の飯城勇三も、その点を指摘している[iii]

 では何のために、エラリイはこのような「ゲーム」をしたのだろうか。名探偵ぶって見栄を切りたかったから?いや、そうではなくて、犯人を心理的に追い詰め、何らかのアクションを起こさせるためだろう。つまり、犯人逮捕のための罠である。この消去法のゲームで、その場に集められた容疑者をひとりずつ除外していき、最後に犯人だけを残す。そこに、駄目押しに、犯人一味のひとりであるデパートの売り場主任(犯人の通報で逃亡しようとしたが捕まった)を連れて来させる。彼の証言があれば逮捕は可能だが、殺人を否認されると面倒なので、暴れさせて射殺できる状況をつくろうとしたのだろう(悪人とはいえ、ひどいなあ~)。

 『ローマ帽子』でエラリイは、同様の殺人者への罠として、クイーン警視に恐喝者の役をやらせるという、親を親とも思わない、とんでもない提案をしている(それに嬉々として従うクイーン警視も大概だ)が、『フランス白粉』では、自ら罠を仕掛ける役を買って出ている。名探偵としての見せ場だから、と思って引き受けたのだとすれば、その品性を疑わざるを得ない(もっとも、『ローマ帽子』と『フランス白粉』の時間的順序は不明)。

 一方、『オランダ靴』では、そうした犯人に対する策は取られていない。結婚証明書という物的証拠をすでに入手していたからと考えられる。

 このように、犯人逮捕に至る策謀に関しても、これら三作には比較可能な差異が見られる。

 クイーンは、初期三作で、公共の場における殺人を扱い、同一の推理方法を深化させていった、といえる。そこから方向転換をしたのが、次の『ギリシア棺の謎』で、個人の邸宅に舞台を変えている。その結果、「不特定多数の容疑者を除外する」という作業は不要となり、推理はより単純なものになって、代わりに、複数の連続する事件のなかで、個々に犯人特定の推理を行う、という異なる方向への発展を見せるようになる。他方、不特定多数の容疑者を扱うパターンは、ロス名義の『Xの悲劇』に引き継がれる(公共交通機関へと若干修正されるが)。

 以上のことから見ても、『ローマ帽子』から『オランダ靴』までの三作は、三部作としての性格を持っているといえるだろう。

 ちなみに、『スペイン岬の謎』までを、日本では「国名シリーズ」と呼んできたが、アメリカでは何と呼ばれているのだろうか。大体、ローマは国名ではない、と思ったが、ローマ帝国があった(古代ローマ人が国家という観念を持っていたか疑問だが)。やはり「国名シリーズ」というのが相応しいようだ。

 

(追記)本文で、『フランス白粉の謎』の犯人を「射殺」と書いたが、「自殺」の間違いでした。すみません・・・。

 しかし、負け惜しみではないが(まあ、そうなんですが)、同書のラストで、クイーン警視が、はったりがきいた、よかった、というような独り言をつぶやくが、あれはおかしいのではないでしょうか。犯人が自殺したのを喜ぶ警察官がいる?

 ましてや、同作の犯人は麻薬組織の重要人物で、組織撲滅のためには、ひとりでも多く、証言できる人間を確保しておくべきなのに。

 それに、この事件の犯人は、ちょっと追い詰められた程度で自殺するような人間には見えないですが(往生際が悪い?)。

 

[i] 『ローマ帽子の秘密』(越前敏弥訳、角川文庫、2012年)、飯城勇三による解説、493頁。

[ii] 『フランス白粉の秘密』(越前敏弥訳、角川文庫、2012年)、485頁。

[iii] 同、飯城勇三による解説、508頁。