E・クイーン『ギリシア棺の謎』

 『ギリシア棺の謎』(1932年)は、エラリイ・クイーンの最高傑作とされる。

 次から次へと推理を組み立てては壊していく、その様は、まさにロジック・ブレイカー、いやスクラップ・アンド・ビルドか。エラリイ・クイーン(作者および探偵)が、目を血走らせ、髪をかきむしりながら(あくまでイメージ)、理屈をこねくり回す姿が目に浮かぶ。とても凡人にはついていけない。いきたくない。だが、そこがいい。他のミステリでは味わえない驚愕と精神疲労が味わえる。

 が、最初読んだ時は、面白いとは思えなかった。

 もったいぶった書き出しがうっとおしいし、なかなか事件は始まらないし。それに長い。ひたすら長い。

 ようやく200頁も過ぎて、エラリイが、ネクタイとティーカップから奇想天外な推理を披露すると、おおっ、となるが、その後は、自殺に見せかけた殺人事件が起こるものの、大した推理もなく、またひたすら長い。作中のエラリイも気勢が上がらないが、読んでるこっちも音を上げたくなる。

 最終局面になって、脅迫状が届くころには、この小説、一体どういう話だったっけ、という状態になる。

 そして、ついに「読者への挑戦」がきて、エラリイの謎解きが始まるが、タイプライターがどうのこうの、これは£(ポンド)記号で、アメリカの機種には珍しいキーだとかと言われても、タイプなんか見たこともないし、わかるわけないだろ、と思った(その後、一時期使用したことがある。『ギリシア棺』の影響ではない)。

 というわけで、初読時は、さして感心しなかった記憶がある。

 しかし、読みかえして、やはりエラリイ・クイーンの作品のなかでは一番よい、と考えを改めた。どこが良いかと言われれば、やはり、推理の面白さである。とくに、二通の脅迫状に関する推理は、論理的云々以前に、意外性があり、そこに魅かれる。正直、ジョン・ディクスン・カーの数ある密室トリックのどれよりも、『ギリシア棺』の脅迫状に関する推理や、『オランダ靴の謎』の書類入れに関する推理のほうが、意外性があって面白い。高木彬光のある長編[i]を読んだとき、『ギリシア棺』と同工のアイディアが使われていて、こちらもなかなか面白かった。

 幾つも推理を組み立てては壊していく過程もすごいが、『ギリシア棺』を最高作とする決め手は、この二通の脅迫状をめぐる推理にある、というのが個人的感想である。

 

 ところで、聞くところによると、『ギリシア棺』をめぐっては、ミステリの根幹を揺るがす大論争があった、という[ii]

 犯人が次から次へと、偽の手がかりをエラリイにぶつけるので、何が正しい手がかりなのか見極めがつかなくなったエラリイが発狂する(・・・違うか)。

 とにかく、シャーロック・ホームズは女性だった[iii]、以来の大論争だったそうな(・・・違うか)。

 確かに、『ギリシア棺』の手がかりの大半は犯人がこしらえた偽の手がかりで、それらが、二通の脅迫状や時計のなかの千ドル紙幣といった真実の手がかりと併存している。どれが真の手がかりで、どれが偽物なのか、判定する基準は曖昧である。というか、存在しないらしい。従って、『ギリシア棺』以来、ミステリの手がかりの真偽の判別が不確かなものになってしまった、ということのようだ。『ギリシア棺』はパンドラの箱であったのか。最後に残ったのは、「希望」それとも「はずれ」のカード?

 しかし、ミステリの手がかりの真偽は、『ギリシア棺』を待つまでもなく、常に不確かなもので、偽の手がかりはミステリにはつきものだが、大方の作品では、手がかりの真偽までは検討されない。普通の読者は、そこまでの理屈を求めないからだろうが、クイーンのミステリはそこまで求めてしまった、ということなのか。

 ミステリにおけるデータの真偽判別が不可能になった、と理論立てても、実際は、個々の作品について、手がかりの真偽が判断できるか否かを個別に検証していくしかない。ミステリが扱っているのは人間(動物や宇宙人でもよいが)なので、一般法則を当てはめるのは無理がある。そもそもの問題を引き起こした『ギリシア棺』はどうなのだろう。

 タイプライターの推理までは偽の手がかりと判明しているので、真の手がかりとされた二通の脅迫状が、偽の手がかりの可能性があるかどうか、ということだろう。飯城勇三エラリー・クイーン論』[iv]を読んだので(というか、これしか読んでいないのだが)、同書を参考に考えてみたい。とはいえ、なんだかすごく難しい本で、何度か走り読みしたが(それが悪いのか、だって長いんだもん)、正直よくわからない。しかし、大体、こういうことであるらしい。(以下、犯人を開示。)

 まず、小説の真の解決。

 

 脅迫状を打ったタイプライターはノックス所有のものである。

 しかし千ドル札に関する推理から、ノックスは犯人ではない[v]

 タイプライターの手がかり(ポンド記号)は、ノックスが犯人であるかのように見せかける偽の手がかりである。

 二通の脅迫状のうち、後のほうのみノックス邸のタイプライターで打たれている。

 ノックスを犯人に見せかけるためには、二通ともノックス邸のタイプライターを使うはずである。すなわち、最初の脅迫状を書いたとき、犯人はノックス邸のタイプライターを使用することができなかった。

 最初の脅迫状が届いてから、ノックス邸に新たに出入りすることになったのは、監視役のペッパー検事補である。

 最初の脅迫状は、捜査官のひとりであるペッパーが、ノックス邸に出入りする口実を作るために書かれた(本来、一通出せば済む脅迫状がなぜ二通書かれたか、の理由)。

 真犯人はペッパーである。

 

 次に、ペッパーを犯人とする手がかりもまた偽である、とする推理。作者のクイーンもやっていないことをするのに何の意味があるのかとも思うが、面白いので継続。

 この場合でも、脅迫状を打てるのはノックス邸の居住者もしくは出入りを許された者のみである。使用人等は除外する(現実の事件ではそうもいかないが、結局ミステリなので)。すると、犯人はノックスまたはジョーン・ブレット(共犯者の可能性は省略)だが、後者は、最初の偽の手がかりをぶち壊した張本人なので除外(脅迫状は、最初の事件の犯人が所有する約束手形に印字されているので、同一犯人と断定)。従って、ペッパー以外が犯人とすればノックスしか残らないが、上述のように、すでにノックスは犯人ではない、と作者によって一応証明済み。飯城によれば、作中でエラリイが行った千ドル紙幣に関する推理を敷衍することで、ノックス犯人説は改めて否定される[vi]。ただ、逆にいえば、千ドル紙幣の手がかりがなければ、ノックスがペッパーを犯人に見せかけたとする推理も成立可能と認めているようだ[vii]。以下のように。

 

 ノックスは、わざと自分のタイプライターで打ったことがわかる手がかり(ポンド記号)をつくって、脅迫状を作成する。まず、自分に疑いを向けさせるためである。

 同時に、二通の脅迫状のうち、二通目のみ自分のタイプライターで作成することで、ペッパーが犯人であると推理できる手がかりをつくる。

 千ドル紙幣の手がかりで、エラリイが自分の無実を証明するとわかっているノックスは、その結果、エラリイが、タイプライターの手がかりを偽物と識別して、二通の脅迫状こそ真の手がかりと判定するだろう、と予測する。

 

 以上で、実はノックスが犯人である可能性が残っている、というのが新解釈らしい。しかし、繰り返すが、飯城は、千ドル紙幣の手がかりによって、この解釈は否定される、と主張している。

 だが、千ドル紙幣の推理によらずとも、ノックス犯人説は成り立たないのではないだろうか。一通目の脅迫状によって、ペッパーがノックス邸に出入りするよう誘導し、二通目の脅迫状をノックスのタイプライターで作成したかに見せかける、というのは単なる見込みに基づく(それもかなり見通しの甘い)計画である。ペッパーが、自分がノックス邸に出向いて監視します、と申し出たからよかったが、彼が言い出さなければ成り立たない。そもそも監視役が配置されるかどうかも確実ではないが、そうなったとしても、誰が監視役になるか、ノックスにはわかりようがない。犯人に仕立てるのはペッパーでも誰でもよかった、ということだろう。もし、エラリイが、自分が監視役をする、と言い出したら、彼を犯人に見立てるつもりだったのだろうか。自分が犯人であることを証明してしまった名探偵。すごいシュールだ。

 

エラリイ:以上のように、犯人は、第一の脅迫状が送られて以降、ノックス邸に出入りするようになった人物です・・・。すなわち、エラリイ・クイーンです!・・・Q.E.D.(涙)。

ペッパー:なんてこった、クイーン君。

ブレット:まさか、クイーンさん。

サンプソン:おい、警視。君の息子は頭がおかしくなったぞ。

クイーン警視:おお、エラリイ。

ノックス:グッド・ラック。

 

 大体、ノックスのような社会的名声のある人物が、誰でもいいから犯人に仕立てる、などという危うい犯罪計画を立てるだろうか。脅迫状のような明白な物的証拠を残すなど、伝説的実業家に似合わぬ杜撰さだが、それほどの大富豪なら、そもそも、こんなケチな犯罪計画など考えるまでもなく、(少なくとも絵画に関しては)金でもみ消せるのではないのか(脅迫状が届くまでは、実際そのつもりでいたようだ)。・・・そこまで言ってしまうと、容疑者ですらありえなくなってしまうが、どう考えても、ノックス犯人説は無理に見える。

 とうに論じつくされている問題なのだろうが、『ギリシア棺』に関しては、手がかりの真偽の判断は可能、と個人的には納得した。

 これにて終了。

 

[i] 『呪縛の家』(1950年)。

[ii]ギリシア棺の秘密』(越前敏弥訳、角川文庫、2013年)、飯城勇三による解説、594-96頁。

[iii] うっかりしたが、レックス・スタウトの有名なワトソン女性説の間違いだった。

[iv] 飯城勇三エラリー・クイーン論』(論創社、2010年)。

[v] 同、237頁。

[vi] 同、264-68頁。

[vii] 同、259-63頁。