ビー・ジーズ1970(3)

「ロンリー・デイ」(1970.11)

1 「ロンリー・デイ」(Lonely Days)

 1970年8月に、ギブ兄弟3人での活動再開をメディアに宣言した後、最初に発表されたシングル。イギリスでは、脱退騒動の悪印象が影響してか、最高位33位と不評。ドイツでも思ったほど伸びず25位だったが[i]アメリカではむしろ69年以来ヒットに恵まれず、忘れられていたことが逆に良かったのか、ビルボードで3位、キャッシュ・ボックス誌ではなんと1位の大ヒットとなり、初のミリオン・セラーを記録した。半年前の惨状を思えば、開いた口が塞がらない。

 ピアノのアルペジオから、3人の息の合ったコーラスが懐かしさをかき立てる。グループの復活を印象付ける効果を狙ってのことだろう。メロディは彼らにしてはめずらしいマイナー調で、物悲しい響きはばらばらだった時期の3人の心境をあらわしているのだろうか。しかしコーラスのパートが終わると、一転して力強いピアノにホーンが加わってロック・マーチ風の展開になる。モーリスのピアノは次第に浮かれたように乱打され、まるで乱痴気騒ぎだ。グループ活動を再開した喜びの表現だろうか。その後、再び陰気なコーラスに戻ると、最後は「ロンリー・デイズ、ロンリー・ナイツ」の大合唱になる。バリーのリード・ヴォーカルはソウル風のシャウトに変わり、最後に一気にオーケストラがわき上がると、そのまますべての音を彼方にさらっていく。スリリングで絶妙なエンディングだ。

 こうしてみると、本作はグループの消滅と復活を音で表現しようとした画期的かつ自伝的な作品なのかもしれない(?)[ii]。ラストのコーラスは、本当は”Happy days, happy nights. We’re the Bee Gees and forever.”とでも歌いたかったのではなかろうか(〇〇ホームか)。

 スロー・バラードからロック・マーチへと展開するダイナミックな構成は、「トゥモロウ・トゥモロウ」の逆パターンだが、サウンドは見事に70年代風にブラッシュ・アップされている。シャープなサウンドアメリカで受けた理由の一つだろう。

 彼らにしては、曲はそれほどでもないが、構成とアレンジの勝利といったところか。

 

2 「恋のシーズン」(Man for All Seasons)

 B面のこの曲も静かなピアノから始まり、バリーのハスキーなヴォーカルからロビンのハイ・トーンのヴォーカルへと移り、サビのいかにもビー・ジーズといった怒涛のコーラスへと向かう。こちらもバリーとロビンのヴォーカルと3人のハーモニーをもう一度印象づけようとする作品になっている。

 

 『トゥー・イヤーズ・オン』(2 Years On, 1970.11)

 1970年6月に、ロビンとモーリスはビー・ジーズとしてのアルバム制作を開始したという[iii]。そこにバリーが加わり、8月にはギブ兄弟3人による活動再開がアナウンスされた[iv]

 そんなニュースが伝わらない日本では、『キューカンバー・キャッスル』が発売され、その帯文句には「ビー・ジーズが変わりました!ゴキゲンにフレッシュな感覚!」と謳われていた(ゴキゲンとフレッシュは傍点付き)。なにも傍点をつけてまで強調しなくてもよさそうなものだが、ジャケットに映っているのはテレビ番組の衣装の甲冑を着たバリーとモーリスのみ。しかし実際はすでにロビンが戻って3人になっていたのだから、何がいつ「変わった」のか。あまりに展開が急で眼が回る。いや、びっくり仰天で目を丸くする。

 伝えられるところでは、バリーとロビンが和解し、兄弟の結束を取り戻したことでビー・ジーズを再スタートさせることになった、という。1969年の時点では、「ロビンがいなくなって・・・バリーと僕は以前以上に仲良くなった」、といっていたモーリスだったが[v]・・・。機嫌を損ねたバリーには手を焼いたらしい。1970年になって、再びロビンに接近したのも無理はない。それでもグループの再建には、モーリスという「第三の男」の存在が欠かせなかったのだろう。3人はそれぞれが進めていたソロ・アルバムの制作を断念し、ビー・ジーズとしての活動を優先させることになった。

 しかし、さらに本音を推察すれば、すでにソロ・アルバムを発表していたロビンも含めて、3人ともがソロ活動に限界を感じていたのだろう。一人一人ではこれ以上成功が見込めないことが身に染みてわかったはずだ。『キューカンバー・キャッスル』は浮上の気配もなく、バリーとモーリスのシングルも何の話題にもならなかった。時代はビートルズ消滅後の新たなロック・アルバムの70年代へと移り、ポップ・ミュージックの世界でも、カーペンターズやブレッドといった歌唱力とテクニックを備えたプロフェッショナルなグループが脚光を浴びるようになっていた。彼らは、60年代を引きずるポップ・グループでは太刀打ちできない完成されたレコードをつくり、もはやビートルズのフォロワーとして登場したアマチュアっぽさの抜けないようなバンドはおよびでなくなった。ビー・ジーズにとっても状況は同じで、いつまでも各自のエゴを優先させている場合ではなかった。グループの再結成が、生き残るための最後の拠り所だったのだろう。

 とはいえ、そこからリスタートすると、途端に大ヒットを放ったのだから、さすがといえばさすがである。「ロンリー・デイズ」はビルボード誌で最高3位のミリオン・セラーを記録。一気にビー・ジーズどん底からの脱出に成功した。半年後には「傷心の日々」でさらに大きな成果を収めることになる。

 アルバム『トゥー・イヤーズ・オン』も、『キューカンバー・キャッスル』の時代遅れのサウンドから一新、70年代ポップに見事にフィットするシャープでクリアな音を手に入れている。アレンジのビル・シェパードを含めて、スタッフは変わらないのに、この変化はどうしたことだろう。

 だが、アルバムのチャート・アクションは思ったほど伸びなかった。最高位32位はまずまずとも思えるが、トップ・テン・シングルが一枚もなかった『ファースト』が最高7位、「若葉のころ」が37位に終わった『オデッサ』でも20位だったことを考えると、物足りない。つまりビー・ジーズはシングル・アーティストと見なされるようになりつつあった。前述のように、70年代前半はロック・アルバムの時代となり、ハード・ロックプログレッシヴ・ロックのアルバムがチャートを席巻するようになる。カーペンターズやブレッドでもオリジナル・アルバムは1位になれなかった。ましてビー・ジーズにおいておや・・・。やはり時代は変わっていたのである。

 さらに付け加えれば、『トゥー・イヤーズ・オン』はビー・ジーズのアルバムといっても、シングルの「ロンリー・デイ」/「恋のシーズン」を除けば、「バック・ホーム」のみ3人の共同作品で、残りはバリー(4曲)、ロビン(4曲、うち2曲はモーリスとの共作)、モーリス(1曲)のソロ作品の寄せ集めだった。やはり急ごしらえのアルバムだったこと、そして3人の関係も完全には修復されていなかったと思われることが、アルバムの内容にも影を落としている。一言でいえば、楽曲に「コクがない」。3人の力が結集されてこそのビー・ジーズであり、本アルバムはそのことを逆説的に教えてくれている。

 

A1 「トゥー・イヤーズ・オン」(2 Years On, Robin and Maurice)

 キャロルのようなアカペラ・コーラスから、ゆったりとしたリズムに乗ってロビンがくつろいだヴォーカルを聞かせる。サビでは、コーラスが空高く舞い上がり、”Only you can see me.”のところは、まるでジェット気流に乗って下界を見下ろしているようなスケールを感じさせる。アルバムを代表するナンバーで、ロビンとモーリスにより制作された。

 ところで表題はビー・ジーズの復活を暗示しているというが、本当だろうか。アルバムが発表された1970年11月は、ロビンの脱退から1年8か月後、まだ前年のことだ。四捨五入して2年ということだろうか。もともと”I Can Laugh”というタイトルで、歌詞を書き直して現行のタイトルになったというから[vi]、確かに、3人での再スタートを象徴するものにしようとしたのかもしれないが。

 

A2 「ルイズのポートレイト」(Portrait of Louise, Barry)

 1970年9月から10月にビー・ジーズとしてレコーディングされたが、ヴォーカルはバリーのみ。ビル・シェパードのオーケストラをバックに、バリーが快調に飛ばすポップ・ソング。甘いメロディも彼おなじみのパターンだ。

 バリーとしては平均点の出来で、彼ならこのくらいの曲はいくらでも作れるだろう。

 

A3 「恋のシーズン」(Man for All Seasons, Barry, R and M)

A4 「いつわらぬ関係」(Sincere Relation, Robin)

 この曲も「トゥー・イヤーズ・オン」同様、ロビンらしいメロディが特徴的な作品。モーリスのピアノをバックに、哀愁を帯びたメロディをロビンが淡々と歌う。高音はやや苦しいか。

 

A5 「バック・ホーム」(Back Home, B, R and M)

 アルバムのアクセントになるようなロック・コーラス・ナンバー。『ファースト』の「イン・マイ・オウン・タイム」を思い出す。しかしサウンドは70年代らしいタイトな音で、以前のロック風の曲にはなかったメリハリが効いている。3人のコーラスも張りがあり、モーリスが弾いているというギターもなかなか様になっている。

 

A6 「はじめての誤り」(First Mistake I Made, B)

 バリーによくある8小節の短いメロディを延々繰り返すタイプの曲。「スピックス・アンド・スペックス」などとは異なるのは、後半の4小節のメロディを変えて16小節でひとまとまりにしている点。カントリー風にも聞こえるが、バリーのヴォーカルはソウル風で、後半に行くにしたがって盛り上がる構成も素晴らしい。アルバムのなかでも聞きごたえのある一曲。

 

B1 「ロンリー・デイ」(Lonely Days, B, R and M)

B2 「アローン・アゲイン」(Alone Again, R and M)

 モーリスの流れるようなピアノのイントロに導かれて、ロビンのはつらつとしたヴォーカルが楽しめる。サビのメロディは例によってロビン節だが、口ずさみたくなるようなメロディでシングル向きともいえる。

 1972年に出たギルバート・オサリヴァンの名曲と同タイトルで割を食っているが、ロビンのソロ作品には欠けていた躍動感が魅力的だ。

 

B3 「テル・ミー・ホワイ」(Tell Me Why, B)

 バリーのこれまた彼らしいカントリー・タッチの三拍子のバラード。「想い出を胸に」や「想い出のくちづけ」など、この頃のバリーはよほどカントリーに凝っていたらしい。そういえば「傷心の日々」もカントリーだった。

 バリーらしいメロディの美しさはあるが、これだけスローだといささか退屈になる。バリーが本アルバムに書いた4曲はいずれも彼の作品のもつ様々な側面を提示しているが、単独の作品だと、それぞれのタイプがそのまま型通りに曲になってしまっているようにも聞こえる。つまり新鮮味や驚きが少ない。そういったスパイスはやはりロビンやモーリスによってもたらされるのだろうか。

 

B4 「レイ・イット・オン・ミー」(Lay It on Me, M)

 モーリスの作品ではおなじみのワン・マン・ソング。ほぼすべての楽器とすべてのヴォーカルを自分でこなしている。曲も彼らしいブルース・ロックのようなナンバー。バリーやロビンの作品に比べて、かっちりまとまった隙のない曲で、最もプロらしい作品ともいえる。しかしこれがビー・ジーズでなければ味わえない魅力かどうかは疑問と言わざるを得ない。

 

B5 「エヴリ・セコンド・エヴリ・ミニット」(Every Second Every Minute, B)

 バリーの4曲目は、モーリスの作品と同様、ブルージィなロック風の楽曲。バリーがロックを書こうとすると、こういう得体のしれない曲が出来上がる。基本的に、バリーの最大の才能はメロディを書くことのできる力だから仕方がない。まあ、こういう曲も書けるということだろう。

 

B6 「アイム・ウィーピング」(I’m Weeping, R)

 ロビンの最後の曲は、こちらも彼らしい聖歌風。物悲しいメロディと歌詞で、ラストを締めくくる曲としては相応しいのかもしれない。1曲目もロビンのヴォーカル曲だったので、アルバムとしてのつじつまは合っている。なんとなく作りかけという印象を与える曲ではあるが。

 

[i] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.704.

[ii] 本曲のプロモーション・ヴィデオは、まさにそのような内容-ばらばらに過ごしていた3人が、最後に出会って、彼らが乗ってきた自動車が並んで走り去っていく-になっていた。The Ultimate Bee Gees (Reprise Records, 2009), DVD-06.

[iii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.290.

[iv] Ibid., p.289.

[v] Ibid., p.234. この頃の彼らの動向は、日本でも音楽誌の記事になっていた。『ミュージック・ライフ』(1969年11月号)、ジョージ・トレムレット「解散したビー・ジーズとギブ三兄弟の胸のうち」、86-89頁。この記事のなかで、モーリスが「バリーとぼくは、ロビンがいないのでよけい仲がよくなったよ」、と語ったことになっているので、この記事がオリジナルなのだろうか。このほかにロビンもインタヴューを受けていて、「もうビー・ジーズを離れたシンガーというふうに見られるのはごめんだな」、と発言している。これ以外にも、モーリスの発言で「ぼくらは1433曲も書いた。しかし、それには9年間という時間がかかったけどね」、とあったり、なかなか面白い。最も利益を生んだ曲として、「マサチューセッツ」、「トゥ・ラヴ・サムバディ」、「ワーズ」の3曲が、カヴァーが多いという理由で挙げられている。これも妥当なところだろう。

[vi] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1970.