ビー・ジーズ1970(2)

「アイ・オー・アイ・オー」(1970.3)

1 「アイ・オー・アイ・オー」(I. O. I. O.)

 ビー・ジーズの7か月ぶりのシングルが出たとき、すでにグループは消滅し、コリン・ピーターセンは解雇され、バリーとモーリスはソロ・レコーディングに取り掛かっていた。もはやめちゃくちゃである。

 しかしそんな中でリリースされたシングルは、彼らにしては、やたらと軽快で明るい、能天気なポップ・ソングだった。失恋の歌なのに。もうめちゃくちゃである。

 パーカッションからいきなりモーリスの「アイ・オー・アヤヤヤヤヤ・アイ・オー」の掛け声が始まる(モーリスがシングルA面で初めてリードを取った)[i]。これまでにないアフリカっぽいリズムの曲だ[ii]。1968年には書かれていて、『アイディア』のセッションでもレコーディングされていたというから[iii]、随分と寝かせておいたものだが、『キューカンバー・キャッスル』のなかにあっても違和感はまったくない。バリーらしいキャッチーなメロディが楽しめる。

 バリーの甘いヴォーカルも耳馴染みがよく、爽快感があるが、モーリスによると、1969年後半のごたごたもあり、この曲は未完成で、ガイド・ヴォーカルのままだというから[iv]、毎度のことながら驚かされる。

 ドイツでは最高6位、日本でもそこそこヒットし、むしろ「若葉のころ」や「思い出を胸に」の不振から若干人気を取り戻した感があったが、イギリスでは49位と沈没。アメリカでは「イフ・オンリー・アイ・ハッド」に続いてシングル・カットされたが、94位と悪夢に終わった[v]

 

2 「スウィートハート」(Sweetheart)

 Aサイド以上に素晴らしいメロディを持った楽曲。カントリー・タッチのバラードだが、ゆったりしたリズムに乗って、バリーとモーリスの息の合ったハーモニーが気持ちよい。とりわけ”Long as I’ve got you there beside me.”からの甘く爽快なコーラスは、聞き手の耳をさらう。

 エンゲルベルト・フンパーディングのカヴァーが同年のイギリスで小ヒットとなったが、シングルA面でもよかったように思われる。翌年の「傷心の日々」を連想させるところもあるが、ビー・ジーズらしさという点ではこちらのほうが上だろう。

 

 

「イフ・オンリー・アイ・ハッド」(1970.3)

1 「イフ・オンリー・アイ・ハッド」(If Only I Had My Mind on Something Else)

 ニュー・アルバムからイギリスで「アイ・オー・アイ・オー」がシングル・カットされたのに対し、アメリカではこの曲がリリースされた。イギリスとアメリカで異なるシングルを発売するのは初めてのことだった。

 とはいえ、それ以外の話題は見つからない。あとは、ビー・ジーズの曲の中で最もタイトルが長いということぐらいか。アメリカでの成績は91位と、それまでの最低。恐らく慌てたレコード会社(アトコ・レコード)は「アイ・オー・アイ・オー」を翌月急きょ発売したが、前述のとおり、最高94位。「イフ・オンリー・アイ・ハッド」でやめておくほうがよかった。

 曲は、意外にこれまでなかったようなアーバン・ポップ調のバラード。冒頭の”Doo, doo, doo, …”の印象的なスキャットで始まり、”Oh, tell me how to say good-bye.”のメランコリックで儚げなメロディが胸を打つ。歌詞のなかに、”Every year I’d fly to Spain.”という一節があるせいか、夜の空港をイメージさせるような都会的雰囲気をもっている。下降するスキャット・コーラスは、飛行機が着陸する様を表現しているのだろうか。

 すでにピーターセンに代わり、セッション・プレーヤーがドラムを叩いているという。そうした状況を聞くと、何やら物悲しくなるが、個人的には大好きな曲で、バリーが書いたシングル曲では、「トゥ・ラヴ・サムバディ」や「ワーズ」より気に入っている。賛同する人は少ないだろうが・・・。最後の情報は、この曲は、60-70年代を通じて、唯一、英米で発売されながら日本ではリリースされなかったシングルであろうことだ。

 

2 「スウィートハート」

 

「アイ・オー・アイ・オー」(1970.4)

1 「アイ・オー・アイ・オー」

2 「君との別れ」(Then You Left Me)

 アメリカでリリースされた『キューカンバー・キャッスル』からのセカンド・シングルのB面。イギリス盤では「スウィートハート」だったが、同曲はすでに「イフ・オンリー・アイ・ハッド」のカプリングで出ていたので、当然の措置だろう。

 壮麗なイントロから始まる、クラシカルなアレンジのバラード。イントロのオーケストラは、ビートルズの「レット・イット・ビー」を思わせる。サビでは、語りを交えて音数を抑え、ストリングスの演奏が中心となるのが珍しい。セリフ入りの曲はこの曲だけだ。クライマックスは、後半一気にハイ・トーンになるところだが、この演出はなかなかドラマティックだ。一か所、バリーの声が裏返るが、この曲もガイド・ヴォーカルなのだろうか。

 

 

『キューカンバー・キャッスル』(Cucumber Castle, 1970.4)

 バリーとモーリスによるビー・ジーズの5枚目のオリジナル・アルバムは、テレビ・ドラマの一種のサウンド・トラックとなった。同題のテレビ・ドラマの構想は1967年からあったというが[vi]、制作は1969年になってから。もっとも、実際にドラマで使われた曲は5曲に過ぎないが、アルバム・タイトルもドラマに合わせて、『キューカンバー・キャッスル』になった。もちろんテレビ・ドラマもアルバムも、タイトルは『ファースト』に収録の曲に由来するが、曲名をアルバム・タイトルにしながら、その曲がアルバムに収録されていないという珍なる例となった。取り立てて言うほどのことでもないが、他に特記すべきことがない。

 ビー・ジーズほど浮き沈みの激しいグループもまれだが、最初の底が1970年だった。それを証明するのが本アルバムというわけだ。全米で94位、全英で57位。見事にそれまでの最低記録を更新し、さすがのドイツでも36位だった[vii]。この後、アメリカでは、この年の末にリリースした「ロンリー・デイズ」によって短期間でどん底からはい上がるが、イギリスでは、1970年代前半を通して低迷が続いた。メンバーの脱退ぐらいしかニュースがないようなグループでは、すっかり愛想を突かされたのだろう。

 内紛騒動を別にしても、もはやビー・ジーズが受け入れられる時代は終わっていた。60年代ポップのグループは、まさに70年代に入った途端に、軒並み人気凋落の危機に陥ったが、ビー・ジーズも例外ではなかった。すでにポップ・ミュージックでも、時代はサイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」やカーペンターズの「遥かなる影」のような、メロディの美しさだけではなく、ヴォーカルの強さを備え、さらに完璧に組み立てられ洗練されたレコードが支持されるようになっていた。これらの曲こそが70年代の「大人の」ポップスだったのだ。その中では、『キューカンバー・キャッスル』は、あまりにも古臭く、洗練されていなかった。60年代から脱していなかったのだ。

 しかし、これはこれで素晴らしいポップ・アルバムである。12曲中、「ザ・ロード」と「マイ・シング」を除く10曲は(恐らく)バリーが書いたポップ・ソングで、いずれもメロディの魅力で聞かせる曲だ。アレンジやスタイルは様々でも、どれもこれも似たような楽曲ばかり。これだけメロディアスな曲ばかり書いて、それらを平然と一枚のアルバムにしてしまう。メロディ・メイカーとしてのバリー・ギブの面目躍如たるものがある(ほめてるのか、これ)。

 気を取り直して言うと、『キューカンバー・キャッスル』は、実質バリー・ギブのソロ・アルバムであり、彼の「ソロ・アルバム」のなかでもベストの作品だろう。繰り返すが、これだけ似たような、でも異なるメロディばかりを書いてアルバムをつくれるのはただ事ではない(繰り返すが、ほめてるのか)。軟弱なポップスなど嫌いなロック・ファンでも、このアルバムの多彩なメロディにだけは脱帽せざるを得ないだろう。

 

A1 「イフ・オンリー・アイ・ハッド」

A2 「アイ・オー・アイ・オー」

A3 「君との別れ」

A4 「ザ・ロード

A5 「僕は子供だった」(I Was A Child)

 『キューカンバー・キャッスル』のAサイドは、交互にバラードとアップ・テンポのナンバーを組み合わせている。『アイディア』と同じ趣向で、5曲目は、アルバムでも最もスローなバラード・ナンバーだ。

 静かなピアノのイントロから、バリーが語りかけるように歌い始める。幼いころからの初恋がかなわない、という「若葉のころ」の続編のような歌詞だが、ヴァースからの”For all too soon”のメロディは、最初のピアノのイントロと同じである。さらにサビの”Why, loving you, loving me”のメロディは、カンツォーネ風か。最後の”I was a child.”では、急に音が下がって終わる。この強引な展開も「若葉のころ」を思わせる。

 ラストで、背後でかすかに聞こえる(ゲスト・シンガーによる)スキャットが美しい。

 

A6 「アイ・レイ・ダウン・アンド・ダイ」(I Lay Down and Die)

 ティンパニが打ち鳴らされ、ピアノが激しく打ち下ろされるイントロに絡む、バリーの”Oh, oh, oh. …” が熱気をはらむ。ヴァースの親しみやすいメロディから、サビでは”I lay down and die. The whole world joins in….”と進むうちに、ピアノのソロに楽器が加わり、盛り上がっていく。ブリッジのメロディを挟んで、ヴァースに戻ると見せて、再びサビのメロディに移り、そのままフェイド・アウトしていく。-と思わせて、ベースのソロに続いて、バリーが今度はソウル風にシャウトし始め、バックでピアノが乱打され、その背後ではゴスペル風のコーラスが加わって、最後はすっかりソウル・ミュージックとなって終わる。

 3分30秒のなかで、テンポやスタイルを変えて組曲風に組み立てられたナンバー。アルバムのなかでもハイライトの一曲といえる。

 

B1 「スウィートハート」

B2 「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」(Bury Me Down by the River)

 映画音楽風のストリングスのイントロから、(例の)カン、カンと響くモーリスのピアノをバックに、冒頭からバリーがソウルフルに熱唱する。カントリー・タッチでもあり、R&B風でもある。「俺を川のそばに埋めてくれ」、と歌い上げるコーラスの哀切なメロディが胸を締めつける。ラストでは、ゲストのP・P・アーノルドとのかけ合いがさらに熱気を帯びて、オーケストラと一体となってエンディングへとなだれ込む展開は息を呑む。最後のアーノルドによる”Set me free.”も迫力満点だ。

 間違いなく本作のベストの一つだろう。

 

B3 「マイ・シング」(My Thing)

 バリーのヴォーカル曲とは打って変わって、モーリスのクールな歌声が落ち着いた雰囲気を醸し出す。

 モーリスがほぼすべての楽器を演奏し、ひとりでヴォーカルも担当した作品。『オデッサ』の「サドンリィ」ともまた違った都会的なサウンドは、ジャズともボサノヴァとも言えそうで、サイモンとガーファンクルの「パンキーのジレンマ」(1968年)からの影響を思わせる。

 

B4 「愛のチャンス」(Chance of Love)

 こちらもピアノのイントロから、オルガンをバックにクラシカルなアレンジで、バリーがキャッチーなメロディを歌う。お得意のスタイルだ。

 サビでは、バリーがシャウトするというより、絶叫するが、まるでアドリブのようにメロディを歌いつなげていく。再びヴァースに戻ると、そのまま絶叫パートは繰り返さずに終わる。

 コンパクトにまとまった、しかしドラマティックな構成の佳曲。

 

B5 「ターニング・タイド」(Turning Tide)

 『キューカンバー・キャッスル』は、全曲バリーとモーリスの共作となっているが、この曲だけはバリーとロビンによって書かれたと言われている。とすると、(「アイ・オー・アイ・オー」を除いて)他の曲より以前に書かれたものということになるが、確かにロビン風と言われると、そう思わせる箇所がある。三拍子と四拍子を組み合わせた、彼らがときどき試みる方法だが、中間の四拍子のパートのメロディ展開がロビン風と言えなくもない。

 Aサイドの「僕は子供だった」と並んで、アルバム中でももっともスローなバラードだが、とくに三拍子のパートの”And who are we …”からの展開はメロディがじわじわと胸にしみこんでくる。

 実に地味だが、これも心に残る旋律をもっている。

 

B6 「思い出を胸に」(Don’t Forget to Remember)

 

 

モーリス・ギブ「レイルロード」(1970.4)

1 「レイルロード」(Railroad)

  そろってソロ・アルバムの制作に乗り出したバリーとモーリスは、相次いでソロ・シングルをリリースする。モーリスのシングルが「レイルロード」だ。

 冒頭の弾き語りから、ミディアム・テンポでカントリー・タッチのメロディを、モーリスが飄々と歌い綴っていく。ピアノとオーケストラが強調されたアレンジは、ビー・ジーズとさほど変わらない。カントリー風の曲調もモーリスらしいとはいえる。

 曲はなかなか美しい。しかしシングル向きかというと、疑問符が付くし、それはモーリス自身が認めているところだ[viii]

 

2 「帰ってきた僕」(I’ve Come Back)

 Bサイドは、同じくミディアム・テンポの曲だが、ロック・シンガーのバラードといった趣。プログレッシヴ・ロックといっても通りそうな作品で、むしろこちらの曲のほうが新しさを感じる。爽快なアレンジも魅力的。

 

 

バリー・ギブ「想い出のくちづけ」(1970.5)

1 「想い出のくちづけ」(I’ll Kiss Your Memory)

 バリーの初のソロ・シングルは、なんとも地味なカントリー・バラードだった。

 ギターとオーケストラを基調としたサウンドは、モーリスのシングルとも共通して、ビー・ジーズらしいとはいえる。甘くセンチメンタルなメロディもバリーの得意とするところだ。

 しかしなぜ、バリーもモーリスも、そろいもそろってこうも地味な作品をシングルに選んだのだろうか。どちらもオーケストラを使ったカントリーで、そこも共通しているが、曲の構成も似ているのは、打ち合わせでもしたのだろうか。当時の彼らの仲を考えると、とてもそうとは思えないが。「想い出を胸に」がヒットしたことが頭にあったのだろうか。それとも単純にカントリーを歌いたい時期だったのか。それにしても、古臭い。「想い出を胸に」はまだドラマティックなサビをもっていたが、「想い出のくちづけ」は、もはや70年代の新曲とは思えない。バリーとモーリスの初シングルについて謎があるとすれば、まさにその点だろう。

 

2 「ジス・タイム」(This Time)

 こちらもギターとストリングスを中心としたフォーク・ロック。バリーの軽いヴォーカルもよいが、何よりもA面曲よりも時代に合っている。軽快で、バリーらしいメロディが耳をくすぐる。Aサイドと比べると、ついついこちらの肩を持ってしまう。

 

[i] Cf. The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.277.

[ii] モーリスの回顧によれば、バリーのアフリカ旅行の成果だという。Tales from the Brothers Gibb: A History in Song 1967-1990 (1990).

[iii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, pp.176-77.

[iv] Ibid., p.277.

[v] Ibid., p.705.

[vi] Ibid., p.166.

[vii] Ibid., p.704.

[viii] Tales from the Brothers Gibb: A History in Song 1967-1990 (1990).