J・D・カー『絞首台の謎』

 『絞首台の謎』(1931年)はジョン・ディクスン・カーの長編第二作で、初めてイギリスを舞台にした作品である[i]

 例によって、本作も日本では長い間絶版が続き、幻の長編と化していた。ところが、1976年に創元推理文庫で刊行され、手軽に読めるようになった[ii]

 以上は、『夜歩く』について書いた文章を少し手直ししただけのものである。カーの作品については、半分以上、上記の文章で間に合うだろう。

 閑話休題(古いな)。『絞首台の謎』は、アンリ・バンコランを探偵としたシリーズの二作目でもあり、二つ目の事件で早くもパリを離れて、異国で事件に取り組む(もっとも、シリーズ一作目の「山羊の影」がすでにイギリスを舞台にしており、一体なぜフランス人探偵を主人公にしたのか、理解に苦しむ。というより、わざわざフランス人探偵を創造しておいて、なぜこのアンリ・バンコランという男は、あちこち外国へ出向くのか。よほど暇なのか)。バンコランの人物造形にはエドガー・アラン・ポーの影響などが指摘されるが、そしてまたカーがフランス、とくにパリに魅かれていたのも事実だろうが、バンコラン・シリーズの四長編の舞台は、フランス、イギリス、ドイツ、フランスで、アメリカ作家のカーがアメリカの読者に向けて書いた、いわば無国籍ミステリのシリーズだった。

 さすがにアメリカが舞台では、バンコラン・シリーズのような世紀末的怪奇幻想ミステリは現実味がない(ヨーロッパなら、あるというわけでもないが)、と判断したのだろう。五作目にして初めてアメリカを舞台とした『毒のたわむれ』(1932年)で、バンコランをはずしたのも納得に思える。

 ともあれ、ダグラス・G・グリーンが「フェアプレー精神による推理操作にサスペンスと雰囲気を完全に結合させた」[iii]と評したカーの作家的特徴は、これら初期の四作に完璧に当てはまる。「カーの手にかかると、ドアを開けるような日常的な動作までが恐怖と怪奇性を帯びてくる」[iv]。これもグリーンの言葉だが、まさにバンコランのシリーズはカーの怪奇幻想性がレンズ越しに極大化されたかのような印象を与える。ただし、カーには、こうした怪奇幻想ミステリを絵空事に終わらせない筆力があったことは認めておかなければならない。二階堂黎人が「カーが《非現実的》だという主張」に反論して、「動機とか人物設定の面では、すごく大人の社会を扱っている」と述べている[v]が、カーがある意味でリアリズム作家であったことは確かだろう。彼はどうやら、自分が見聞きした現実でなければ書けない作家だったように思われる。『絞首台の謎』や次作の『髑髏城』(1931年)が『夜歩く』発表後のヨーロッパ旅行(1930年)での見聞に基づいている[vi]ことはよく知られているが、後年、カーが熱を入れて書いた歴史ミステリをみてもわかる。現代ミステリから見れば、一種のファンタジーだが、あくまで歴史に基づく空想であって、純粋な異世界ミステリやSFミステリなどはカーには書けなかったようだ。

 そのリアリズムを支えるのが細部の描写で、『絞首台の謎』でも、例えば、被害者が住むクラブの居室の様子が事細かに描かれる[vii]。多分にペダンティックなものだが、こうした具体的な描写の積み重ねが、子供だましの紙芝居と揶揄されかねないプロットを、少なくとも読んでいる間は、薄っぺらな張りぼてに見せないリアリティを与えている。

 それでは、肝心のパズル・ミステリとしてはどうだろうか。

 処女作の『夜歩く』は、一人二役や密室など、大掛かりなトリックを駆使したパズル性の強いミステリ長編だったが、プロ作家となって、作者も意気込んで書いたはずの本作の評価は、あまり芳しくない。新訳本で解説を書いている若林 踏が引用しているグリーンの「怪奇的な探偵小説あるいは探偵の出てくる怪奇小説」という評価[viii]はむしろ誉め言葉で、パズル・ミステリとしての評判は低い。江戸川乱歩の「カー問答」では、第三位の十作の中に入っている[ix]が、松田道弘の「新カー問答」では「カーの作品の中でも最悪のひとつ」[x]と切り捨てられている。二階堂黎人の「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」では、D級の八作品のひとつで、「グロテスク趣味が、この作品の何よりの取り柄」という評価[xi]である。

 確かに、ロンドンの街路を暴走した自動車から喉を切られた運転手の死体が転がり出て、他には誰の姿も見えない、という冒頭の殺人の謎や、ルイネーションという存在しない街が深夜のロンドンに突如出現して、そこには絞首台が立っていた、という驚天動地の謎が、解かれてみると、拍子抜けするようなたわいない解決で、これでは到底謎解きとして満足できるものではない。若林は、「謎解き小説の核である謎やトリックが、怪奇幻想譚として小説を完成させるための一つのピースとして見なされるという、アンリ・バンコランものの特徴がこの″ルイネーション″をめぐる謎に良く表れている」[xii]、とバンコラン・シリーズの本質に触れながら、高い評価を与えているが、この見方だと、バンコランものの長編は本質的にパズル・ミステリではない、ということになってしまいそうである。

 なるほど、『絞首台の謎』以下のバンコラン長編を、ギデオン・フェル博士、ヘンリ・メリヴェル卿のシリーズと比べて、面白いかと言われると、面白くないと言わざるを得ないし、その面白くない理由は、やはりトリックや謎解きのレヴェルの差にある。しかし、バンコランのシリーズが謎解きやトリックより、怪奇な場面や幻想的な雰囲気を描くほうに重きが置かれているか、というと、そうとも言えないところがある。

 『絞首台の謎』で一番パズルとして面白いのは、クラブを出ていった被害者が実は密かに戻ってきて、クラブ内で犯人に拘束される、というアイディアである。大方、シャーロック・ホームズの短編[xiii]から発想したのだろうが、このアイディアが優れているのは、被害者の行動によって犯人のアリバイが成立するところで、『帽子収集狂事件』の原型といってもよい。ただし、真相を解く手がかりが、手袋に着いた汚れのような曖昧なものなので、あまり推理に説得力がない。

 反面、犯人を特定する推理には、相応の伏線が敷かれている。『夜歩く』に比べても、この点では優っており、むしろトリックよりも、犯人推理のほうに見るべき点がある。ことに、冒頭で担当警部にかかってくる犯罪を告げる怪電話をもとにした推理は、日本のミステリ長編にも類似例がある[xiv]

 以上を見るに、『絞首台の謎』は決してパズル・ミステリとしての面白さをなおざりにしてはいないが、1930年代半ばの諸作品のようなずば抜けたアイディアやトリックには恵まれていない。しかし、カーが通常のミステリとは異なる特色をこのシリーズで打ち出そうとしていることも事実であるようだ。それは怪奇幻想というものとも異なる、やはりアンリ・バンコランという特異なキャラクターによるものである。

 『絞首台の謎』の冒頭の殺人は、まさにつかみはオー・ケーというようなセンセーショナルなものだが、事件が進むと次第に忘れ去られてしまう。被害者に関する詳しい身元捜査もされないし、死者が運転する自動車、という奇怪な謎も、あまりにたわいないため、気がさしたのか、バンコランも興味なさげである。何よりも、冒頭の殺人が印象に薄いのは、これが主となる殺人ではないからである。被害者は拉致監禁されるが、殺されてはいない。殺害される直前に、バンコランによって犯人が逮捕されるので、金田一耕助に見習ってほしいような名探偵振りを発揮する。しかし、本当の殺人が起こるのは、実は事件が解決してからである。そこが本作の前代未聞なところだ。

 犯人が復讐を果たせぬまま捕えられた後、今度はバンコランが被害者を追い詰めていく(いたぶっていく)。被害者を嘲り、首にはめられた拘束具を外そうともせず、煽り続け、脅し続ける。ついに我を失った被害者は落とし戸から落下して、首を絞められて死ぬ。つまり、本作は、名探偵が一旦救出した被害者を殺害する、というミステリである。本書の幕切れの、バンコランの悪魔性を端的に表現しているとされる場面[xv]は、まさに完全犯罪をなしとげた殺人者の凱歌だったわけだ。

 

[i] 短編小説では、プロ作家デビュー以前に、大学文芸誌に発表した「山羊の影」(1926年)などがある。

[ii]『絞首台の謎』(井上一夫訳、創元推理文庫、1976年11月)。

[iii] ダグラス・G・グリーン「奇跡を創り出した男-ジョン・ディクスン・カーについて」『カー短編全集4 幽霊射手』(宇野利奏訳、創元推理文庫、1982年)、14頁。

[iv] 同、15頁。

[v] 芦辺拓二階堂黎人「地上最大のカー問答」、二階堂黎人『名探偵の肖像』(講談社文庫、2002年)、322-23頁。

[vi] ダグラス・G・グリーン(森英俊・高田朔・西村真裕美訳)『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会、1996年)、95-98頁。グリーンは、1930年6月21日にカーと友人のオニール・ケネディはベルギーに向かい、7月4日にはハイデルベルクのホテルに泊まった、と書いているが、同じ年の6月末には、イギリスを出発した旅船にフランスから乗り込んだ、とも書いていて、記述内容に矛盾があるようだが、どちらが本当なのだろうか。

[vii] 『絞首台の謎』(和邇桃子訳、創元推理文庫、2017年)、141-42頁。

[viii] 同、286頁、『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』、101頁。

[ix] 江戸川乱歩「カー問答」、ディクスン・カー『カー短編全集5/黒い塔の恐怖』(創元推理文庫、1983年)、316頁。

[x] 松田道弘「新カー問答」『トリックものがたり』(筑摩書房、1986年、原題『とりっくものがたり』、1979年)、203頁。

[xi] 二階堂黎人『名探偵の肖像』340、344頁。

[xii] 『絞首台の謎』(和邇桃子訳)、287頁。

[xiii] コナン・ドイル「技師の親指」『シャーロック・ホームズの冒険』(1892年)所収。

[xiv] 結城昌治『ひげのある男たち』(1959年)。

[xv] 『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』、105頁。