Bee Gees 1968(3)

7 「ジャンボー」(1968.3)

1「ジャンボー」(Jumbo)

 全米では57位に終わり、「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」から続けてきたトップ20入りを逃した。全英では25位で、「トゥ・ラヴ・サムバディ」の41位は上回ったが、「マサチューセッツ」以来の連続トップ10入りは3曲で途絶えた。

 という具合で、「ジャンボー」はビー・ジーズの最初の失敗作と捉えられている。確かに、これまでのシングルは、曲調は違えども、いずれもメロディに魅力があった。それが本作では決定的に欠けていると言わざるを得ない。もともとは「恋するシンガー」がAサイドで、「ジャンボー」は裏面だった、という。しかし、前者が「これはこれまでと同じようなドラマチックなバラード・ナンバーで、あまりにもこれまでのものと同様のサウンドのため、急きょ発売前になってAB面をひっくり返した」[i]、というのが1968年当時の紹介記事だった。2006年にリマスター版が出た『アイディア』のライナー・ノウツでは、メローニーとピーターセンが、「恋するシンガー」をAサイドにしようと考えていたスティグウッドに対し、「ジャンボー」を推した、とも書かれている[ii]

 しかし、所詮「ジャンボー」はB面という出来で、A面とするには物足りない。タイトルは空想の像のことで、子どもの夢に現れるファンタジーをテーマにした歌詞だが、サウンドはサイキデリック調で、エリック・クラプトン風のメローニィのギターとモーリスのメロトロンが特徴となっている。バリーのヴォーカルは軽いタッチで悪くないし、曲も駄作とまでは言えないが、かといって傑作にはほど遠い。

 アップ・テンポの曲もできます、というところを見せた。とまあ、その程度だろうか。

 

2「恋するシンガー」(The Singer Sang His Song)

 前項で引用したとおり、まさに「ドラマチックなバラード・ナンバー」といえる。「ホリデイ」や「ワーズ」もスローなバラードだったが、ここまでオーケストラを全面に押し出した作品は初めてだ。よりクラシカルな路線に寄せていった、ともいえる。

 曲は悪くない。やはり「ジャンボ」よりは上だろう。ロビンの声も伸びやかで、「アンド・ザ・パイパー・プレイド・ザ・チューン」のところで管楽器が奏でられるアレンジも巧みだ。しかし、ラストの「けれど、かの歌い手がその歌を歌うのは、ただ彼女のためだけなのだ」以外、メロディがもうひとつ弱いという印象を受ける。魅力的なフックが欠けている、ともいえる。恐らくロビンが中心となって書いたのだろうが、「マサチューセッツ」や「そして太陽は輝く」などと比較すれば、本作をシングル・リリースすることをためらった、というのもわかる。あまりにもドラマティックすぎて、アメリカ向きではないとも考えられる。

 バラードが続きすぎたからというよりも、単純に、本作がシングルとしては弱いと考えられた、というのが本当のところではないだろうか。

 

8 「獄中の手紙」(1968.7)

1 「獄中の手紙」(I’ve Gotta Get A Message to You)

 ビー・ジーズは1967年4月のデビューから1968年3月の1年間にシングル6枚をリリースした。とくに「マサチューセッツ」から「ジャンボ」までは2か月に1枚のペースでシングル盤を発売してきた(「スピックス・アンド・スペックス」を除く)。あまりのペースにアメリカでは「ワールド」が飛ばされたが、「ホリデイ」をシングル・カットしたので、やはり6枚、英米でトータル7枚がシングル発売された。市場にビー・ジーズのレコードがあふれかえることになったが、それが人気獲得の戦略であったにせよ、あるいはギブ兄弟の創作力がピークにあったにせよ、明らかに供給過多だった。とくに「ジャンボ」は、B面の「恋するシンガー」とともに出来がいまひとつと判断したのなら、発売を見合わせてもよかった。

 さすがにロバート・スティグウッドも一旦ブレーキを踏むことを決意したのか、1968年3月の「ジャンボ」以来、4か月以上シングルは発売されなかった。

 同年8月に、満を持してリリースされたのが「獄中の手紙」である。

 邦題はすごいタイトルだが、原題以上に内容を端的に表現している。当時隆盛だったメッセージ・ソングに触発されたのか、三角関係で殺人を犯した死刑囚が最後に恋人(妻)に手紙を書くというシリアスな歌詞は、これまでのシングルに比べてもリアルで、恐らくロビンが中心となって書いたのだろう[iii]。彼の熱の入れ方が伝わってくる。一方、モーリスはこの曲が嫌いだったそうだが[iv]、あまりに大げさだと思ったのだろうか。

 これまで発表してきたシングルのなかでも、一番の力作であることは確かだが、曲はまた例によってシンプルで、やはりワン・フレーズを発展させて、サビで「ホウルド・オン、ホウルド・オン」のメロディを付け加えただけ。だが、バックはかなり凝っている。2番で、ロビンがバリーのリード・ヴォーカルの背後で、スキャットでコーラスをつけ(3番では、自分のヴォーカルに同じコーラスをつけている)、さらにエンディングではサビのメロディのリフレインに「アーアーアー」の印象的なコーラスが加わって、一層ドラマティックにラストを盛り上げている。最初は三声のコーラスではなかったが、スティグウッドの指示で、モーリスを加えた3人のハーモニーで再レコーディングしたというのも、よく知られた逸話だろう[v]

 サウンド面では、モーリスのベースが注目されてきた[vi]。とくに3番でサビに入る直前のベースのフレーズが格好良い。モーリスのベース・プレイについては、1968年当時の本作のレコード評で、すでに亀淵昭信氏が褒めている[vii]。さらに、同氏は「メロディーはマサチューセッツぐらい美しいけど、題がよくない」、と述べているが、曲については評価が分かれていて、ビー・ジーズにしては曲はよくない、という評価もあったように記憶している。どちらにしても、日本ではそれまでのシングルほどヒットしなかった[viii]

 しかしアメリカでは、初のトップ10シングル(ビルボード誌で8位)となり、それに先立ってイギリスでは「マサチューセッツ」以来、1年ぶり、2曲目のナンバー・ワン・ヒットとなっている。ちなみに本作が1位になった9月4日の前週(8月28日)の1位はビーチ・ボーイズの「恋のリバイバル(Do It Again)」。翌週(9月11日)から2週連続1位になったのがビートルズの「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」だった。つまり、BEで始まる三大グループがチャートの1位をリレーした唯一の機会となった[ix]

 

2 「キティ・キャン」(Kitty Can)

 「獄中の手紙」は、1960年代のビー・ジーズの最高傑作との評価を受けるほどとなったが[x]、同じ1968年8月発売のアルバム『アイディア』には収録されなかった。しかし、B面の「キティ・キャン」は収録された。『アイディア」のイギリス原盤は、彼らにとって初めてのシングルを含まない新曲のみのアルバムになるはずだった。・・・が、実際は本作がアルバムに収録されている、あるいはアルバムからシングル・カットされている。オール新曲のアルバム制作は、ビートルズの向こうを張るつもりだった、と推測されるが、なぜB面の曲を別に用意しなかったのだろうか[xi]

 それはさておき、本作はA面とは対照的に、陽気で明るいフォーク・カントリー調のポップ・ソングになっている。バリーが軽やかな声で、誰でもすぐ口ずさめそうなわかりやすいメロディを歌い、モーリスがハーモニーをつける。「チッ、チッ、チッ、チッ」というスキャットも軽快だ。後に何も残らないような曲だが、スムーズなメロディ展開といい、さりげないけれど、なかなか書ける曲ではない。それをサラッと書いてしまうのはさすがである。

 曲は明るいが、歌詞は「イヴには僕を喜ばせることはできないけれど、キティにはできる」、と、こちらも三角関係を匂わせる。それで「獄中の手紙」とのカプリングになったのだろうか。しかも、なかなか意味深長だ。「キティがほほ笑むと、世界は止まって見える。・・・イヴはよくない。僕をひどい目に合わせる」、ときて、「彼女たちは二人で、僕は一人。誰とでも恋に落ちるわけにはいかない。二人のどちらかを選ばなきゃならない。決めたよ。僕は君を選ぶ。」相手を「君」というだけで、イヴともキティとも言っていないのがみそだ。さて、「僕」はどちらを選んだのだろう?

 

 マーブルズ「オンリー・ワン・ウーマン」(The Marbles, Only One Woman, 1968.8)

1 「オンリー・ワン・ウーマン」(Only One Woman, B, R. and M. Gibb)

 ロバート・スティグウッドが契約したグレアム・ボネットとトレヴァー・ゴードンからなる二人組のマーブルズに、ギブ兄弟が書いた曲。

 基本的にワン・フレーズからなる、この時期のギブ兄弟ならではのシンプルこのうえない楽曲。ボネットは、シンプルすぎるといったようだが[xii]、ごもっともな話だ。ボネットほどの歌唱力があれば、それは歌いがいがないだろう。

 しかし、アメリカでは不発だったが、イギリスでは5位まで上昇するヒットとなった。ソングライター・チームとして、ビー・ジーズが最初に手にした成功例となった。

三拍子のスローなバラードだが、後にリッチー・ブラックモアズ・レインボウのヴォーカリストとなるボネットの圧倒的な声量によってドラマティックかつパワフルなソウル・バラードとなっている。ビー・ジーズ、とくにバリーにしてみれば、全編絶叫し続ける本作は、ボネットの声があってこそ映える、と思えたのだろう。後年のバーブラ・ストライサンドらのプロデュースで示したような、「自分に歌えないような曲でも、歌手に合わせて作曲する」という-作曲家ならある意味当然ではあるが-考えを実践して、成功した最初の機会となった。この経験が、80年代のソングライターとしての成功に結びついているともいえる。バックの演奏は、バリー、モーリスとピーターセンが務めている。

 

2 「キャンドルのかげで」(By the Light of Burning Candle, B, R. and M. Gibb)

 Bサイドは、よりビー・ジーズらしいメロディアスなポップ・バラード。B面には惜しい曲だ。ややサイキデリック調のオルガン(ストリングス? メロトロン?)のイントロから始まり、冒頭からA面以上にキャッチーなヴァースが聞かれ、続くハイ・トーンのドラマティックなコーラスはまさにビー・ジーズといった展開になる。

 しかし、ビー・ジーズのコーラスなら、もっと厚くできたかもしれない。正直、自分達でもレコーディングしておいてほしかった。タイトルは「ランプライト(Lamplight)」に類似している(同じ頃に書かれたからだろうか)が、できれば『オデッサ』あたりに入れて欲しかった。

 

[i] 大森康雄「またまた大胆な音の実験! 新曲《ジャンボ》に賭けるビー・ジーズ」『ヤング・ミュージック』(1968年6月号)、77頁。この記事のもとになっているのは、バリーのインタヴューでの発言らしい。Bee Gees: The Day-By-Day Story, 1945-1972, p.61.

[ii] Idea (2006), p.4.

[iii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.178.

[iv] Ibid., p.184.

[v] Ibid., p.178.

[vi] Idea (2006), p.12.

[vii] 『ヤング・ミュージック』(1968年11月号)、174頁。

[viii]マサチューセッツ」/「ホリデイ」の50万枚突破の後、「ワールド」と「ワーズ」は10万枚近く売れたが、「ジャンボ」は2万枚弱だった。「獄中の手紙」はそれよりはましだったが、売り上げは3万枚強で、1968年前半の人気は影を潜め始めた。しかしその後「ジョーク」は10万枚を超えて、勢いを取り戻した。『1968-1997 Oricon Chart Book』(オリコン、1997年)、276頁。

[ix] 『‘99 ミュージック・データ・ブック』(共同通信社、1999年)、246頁。

[x] Idea (2006), p.12.

[xi]オデッサ』に収録される「アイ・ラフ・イン・ユア・フェイス」がB面の予定だった、との推察もある。

[xii] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1968.