Bee Gees 1967(2)

〔1〕『ビー・ジーズ・ファースト』(Bee Gees 1st, 1967.7)

 1967年は、ジミ・ヘンドリックスやドアーズがデビューした年であり、クリームが人気を確立した年でもある。翌1968年になると、上記の三大グループがアルバム・チャートの1位を獲得して、全米アルバム・チャートはロック・バンドによって占められる時代が到来する。1964年のビートルズの登場以降も、アメリカのアルバム・チャートは、『ハロー・ドーリー』(1964年)のようなミュージカル、『メリー・ポピンズ』(1965年)や『サウンド・オヴ・ミュージック』(同)のようなサウンドトラック・アルバムがまだまだ1位の座を譲らぬ人気を誇っており、むしろビートルズのほうが例外的な存在だった。それが一変するのが1968年で、事実、同年のビルボード誌年間アルバム・チャートを見ると、1位がジミ・ヘンドリックスの『アー・ユー・エクスペリエンスト』、3位がクリームの『カラフル・クリーム』、7位が『ドアーズ』で、いずれも前年の1967年にリリースされた作品だった(ただし、3枚とも1位にはなっていない)。もっとも、1967年の最大のヒット・アルバムはモンキーズの『モア・オヴ・ザ・モンキーズ』(18週連続1位)である。

 ポップ・ロック・ミュージックの世界がこのような状況にあったことを踏まえたうえで、それでも、やはり1967年は『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の年だった、と言わなければならないだろう。

 『ビー・ジーズ・ファースト』もそうした『サージェント・ペッパーズ』の年の空気感を色濃く漂わせている。『ファースト』の発売は『サージェント・ペッパーズ』がリリースされた1967年6月の翌月で、直接の影響はなさそうだ-ビー・ジーズのマネージャーであるロバート・スティグウッドがブライアン・エプスタインの経営パートナーだったので、様々に影響はあった-が、ビートルズが1966年の『リヴォルバー』から発展させたサイキデリック・ミュージックと1967年のフラワー・ムーヴメントがこの年の音楽動向を決定づけており、その影響が『ファースト』にも及んでいる。しかし、より直接的な影響は、この年の1月に発表された「ペニー・レーン/ストロベリ・フィールズ・フォーエヴァー」だったのではないかと思われる。『ファースト』の何曲かにその影がちらつく。

 『ファースト』は、このような1967年のポピュラー・ミュージックの世界の状況下で、ポップでありながらも実験的なアルバムと受け取られた形跡があり、デビュー曲の「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」がひと癖ありそうなタイトルと歌詞だったことも重なって、ある意味でアメリカのリスナーを誤解させた可能性がある。『ファースト』が、先行するシングル2枚がいずれもトップ10に届かなかったにも関わらず、ビルボード誌の7位まで上昇したのは、ビートルズ以下の革新的なブリティッシュ・ロック・バンドのニュー・フェイスと早吞込みされた結果だったとも考えられる。

 その後、トップ・テン・シングルを生みだすようになっても、ビー・ジーズのアルバムは1970年の『キューカンバー・キャッスル』まで全米チャートでの順位を下げ続けていくが、これは、ビー・ジーズの実体が先進的なロック・バンドではなく、むしろ伝統的なポップ・グループに近いことがわかってしまったからではなかろうか。

 1967年から翌年にかけては、前述のモンキーズの世界的な人気爆発のせいでか、英米でも多くのポップ・ロック・グループが人気を博した。モンキーズ以前にデビューしていたタートルズがナンバー・ワンとなった「ハッピー・トゥゲザー(Happy Together)」を始めとしたヒットを放ち、1967年末にはカウシルズの「雨に消えた初皓(The Rain, the Park and Other Things)」が、翌1968年にはユニオン・ギャップの「ウーマン・ウーマン(Woman, Woman)」以下の諸作が大ヒットした。イギリスでは、デイヴ・ディー・グループ(デイヴ・ディー・ドジー・ビーキィ・ミック・アンド・ティッチ)がトップ・テン・ヒットを連発していた。ビー・ジーズはすべての楽曲を自作していた点で、これらのグループとは一線を画するが、広く捉えれば、こうしたポップ系のグループに括られる存在だった。ビートルズのアップル・レコードから1968年にデビューしたアイヴィーズや、同じくジョン・レノン命名したことで話題となったグレープ・フルーツは、ビー・ジーズを意識したようなバンドだったが、もはや時は上記のように、ロック・アルバムの時代へと大きく転換しており、先述のグループほどの人気は得られなかった(アイヴィーズは、バッドフィンガーに改名した後、70年代に人気を獲得する)。

 いずれにしても、『ファースト』はロック・バンドともポップ・グループともつかぬ5人組のデビュー・アルバムとして1967年7月、全世界に向けて発売された。

 ちなみに、『ファースト』のアルバム・ジャケットは、ビートルズの『リヴォルバー』のデザインで有名なクラウス・ヴォアマンの制作で、これもビートルズとの繋がりによるものだろう。ジャングルをイメージしたようなイラストの上部にメンバー5人の写真を配したもので、このジャケットもいかにもサイキデリック風だった。但し、日本盤のジャケットは、当時使いまわされていた、5人が一塊になって腰を下ろしている写真が使用されている。バックは明るいクリーム色で、The Bee Gees Firstのロゴと5人が座る花のイラストが少しばかりサイキデリック調だった(定価は1750円)。

 

A1 「ターン・オヴ・ザ・センチュリー」(Turn of the Century)

 アルバム1曲目は、イントロや間奏の管楽器とテンポが「ペニー・レーン」を思わせるナンバー。「ペニー・レーン」ほど格調高くはないが、素晴らしく印象的なメロディを持つ曲である。とくにサビのコーラスのスリリングなハーモニーが胸を打つ。

 一方、歌詞は、ファースト・シングル「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」を意識したものか、新人ポップ・グループのデビュー・アルバム1曲目にしては奇抜すぎる。「タイム・マシンを買って、19世紀末へと出かけよう」、UFO好きを公言しているバリーの趣味か、歴史が好きなロビンの嗜好か。どちらにしても、バリーが1番を歌い、ロビンが2番を歌う。そして2人が息の合ったヴォーカルをデュエットする3番とそこにかぶさるバック・コーラスの厚みとダイナミックな展開は、歌詞のあれこれを忘れさせる。

 間奏中にかすかに聞こえるノイズはタイム・マシンの操作音を模したものか。細かな遊びが、いかにも1967年的である。

 

A2 「ホリデイ」(Holiday)

 「ターン・オヴ・ザ・センチュリー」に続き、美しい旋律を持った曲が登場する。既発表シングルを別として、アルバム用の新曲のなかで最もメロディが印象的な2曲を最初に続けて置いたのは、新人グループの戦略として正しい。

 前曲同様のブリティッシュ・ポップらしい曲だが、こちらはトラディショナル・フォークの風味が強い。ロビンがアルバムの解説で「オートハープと兄弟3人だけ」[i]、と言っているが、確かにシンプルな楽器編成で、オルガンとベースに、サビのコーラスのところでマーチ風のドラムスが入るだけ。それだけにロビンのヴォーカル[ii]とストリングスの美しさが際立っている。

 歌詞は相変わらず意味不明。「君は休日。・・・操り人形が君を笑わせるなら、それは意味のあること。でも駄目なら、君は石ころを投げ続けている。」

 シーカーズのアソル・ガイは、「マサチューセッツ」は最初彼らがレコーディングするはずだった、という裏話(?)を紹介し、さらに付け加えて、「私はビー・ジーズが好きだ。彼らは素晴らしいバンドだよ。だけど彼らが最初に書いていた何曲かの歌詞は、・・・うーん・・・ありゃどういう意味だい」[iii]、と述べている。本作はアメリカでのサード・シングルだが、よくこんな歌詞の、しかもマイナー調のアメリカ向きとも思えない曲をわざわざシングル・カットしたものだ。そういえば、この後も同じく歌詞が意味深長な「アイ・スターテッド・ア・ジョーク」をシングル・カットしている。しかもどちらの曲もヒットになった(16位と6位)。アメリカ人は、歌詞など気にしないのだろうか。

 とはいえ、同じく歌詞のわからない日本でも、本作はビー・ジーズの代表作とされてきた。「マサチューセッツ」のB面としてカプリングされ、大ヒットになったからだ。当時日本で絶頂期だったグループ・サウンズでも盛んに取り上げられたことも後押しになった。古いファンにとっては、「マサチューセッツ」とともに、もっとも懐かしい曲である。

 

A3 「思い出の赤い椅子」(Red Chair Fade Away)

 3曲目は、いかにもこの時代ならではのサイキデリック風ポップ・ソング。調子外れに下っていくメロトロンや吹き鳴らされる管楽器がそれらしい雰囲気を醸し出している。そして妙な明るさと歯切れのよい歌声。3拍子と4拍子を組み合わせたテンポもどこか不可思議で、意図して作られたサイキデリック・ポップといった趣である。

 歌詞もそのとおりで、「遠くへと消えていく赤い椅子が思い出をよみがえらせる。何か素敵なことを考えてごらん。香しいレモンの木とか。空が語りかけるのを感じる。知りたくなんかないな。それが空気を満たしていくのを。」

 まさに感覚だけの歌詞だが、曲は親しみやすく、わかりやすい。まるで童謡のようで、それもまたサイキデリックらしいのかもしれない。

 

A4 「ワン・ミニット・ウーマン」(One Minute Woman)

 4曲目にして、初めてまっとうなラヴ・ソングが登場する。流麗なストリングスのイントロに続き、地味だが、これもまた美しいメロディのバラードをバリーが切々としたヴォーカルで歌う。「マサチューセッツ」でおなじみになる「ドン・ドン」というベースのフレーズを、モーリスが一か所だけ奏でる。

 2006年に公開された初期ヴァージョン[iv]は、もっとラフで、バリーとロビンのトウィン・ヴォーカルもぶっきらぼうというか、ロック・バンドのバラードっぽいとは言えるかもしれない。

 早くからカヴァーされるなど[v]、小品ながら隠れた佳曲の一つだろう。

 

A5 「イン・マイ・オウン・タイム」(In My Own Time)

 本アルバムで唯一のストレートなロックン・ロール・ナンバー。味もそっけもない単純なメロディの繰り返しとコーラスのみ。察するに、ヴィンス・メローニィのギター・ソロをフィーチュアすることだけが目的で作られたもののようだ。

 ・・・と、思っていたが、最近発売されたデビュー当時のライヴ・パフォーマンスを集めたCD[vi]を聞くと、この曲が毎回のように取り上げられて、幾つものライヴ・ヴァージョンが残っている。もちろんライヴ用の曲として作られたのが明らかなので当然のことだが、それらを聞くとサイキデリック風なヴァージョンもあり、この曲のアレンジをいろいろと試しながら工夫していたらしいことがわかる。そう考えると、当時の彼らには、やはりこういった曲が必要だったのだろう。

 

A6 「ライオン・ハーテッド・マン」(Every Christian Lion-Hearted Man Will Show You)

 『ファースト』のなかでも一番の異色作。

 タイトルからして宗教的というか歴史的だが、曲も教会音楽のようなコーラスで始まり、単純だが幻想的な広がりのあるヴォーカルとコーラスが続く。といっても、アレンジもシンプルで、曲自体はフォーク・ロック風である。最後の掛け合いコーラスが印象的。

 「オー・ソロ・ドミニク」にかぶさるメロトロンの音色も「思い出の赤い椅子」同様のサイキデリック風で、フェイド・アウトしていくドラムスの、ライオンが歩き去っていくかのようなラストも視覚的だ。歌詞はまたまた感覚的だが、この曲の雰囲気には合っている。

 その後のクラシカル・ポップ風の作品に繋がっていく曲とも取れる。そういう意味では、彼らの個性が発揮されており、『ファースト』のハイライトの一曲になっている。

 

 A7 「ロイヤル・アカデミー・アーツのクレイズ・フィントン」(Craise Finton Kirk Royal Academy of Arts)

 A面最後は、モーリスのピアノのみをバックにロビンが歌う、ノヴェルティ・ソング調の曲。モーリスのピアノが全面にフィーチュアされた初めての曲。

 ロビンには、その繊細な(神経質な?)イメージと異なる、こうしたひょうきんな曲が時々あるが、それもまた彼の好みなのだろう。風刺的な歌詞も含めて、前曲同様、いかにもブリティッシュ・グループらしい趣味的なナンバーでもある。これもまた「サージェント・ペッパーズ」的な一曲といえるかもしれない。

 

 最初はメロディを前面に打ち出し、後半はちょっとひねった楽曲を並べる。ヴァラエティに富んだ構成でA面は終わる。

 アルバムB面は、既発表シングルを中心として、その間を新曲が埋める構成を取っている(B1「ニューヨーク炭鉱の悲劇」、B3「ラヴ・サムバディ」、B5「誰も見えない」、B7「クローズ・アナザー・ドア」)。

 このアルバム構成は、ビートルズのデビュー・アルバムを想起させる。ビートルズの『プリーズ・プリーズ・ミー』(1963年)は14曲入りで、既発表シングルをA面最後に2曲(「アスク・ミー・ホワイ」と「プリーズ・プリーズ・ミー」)、B面頭に2曲(「ラヴ・ミー・ドゥ」と「P・S・アイ・ラヴ・ユー」)配していた。曲数も同じ14曲で、並べ方は異なるが、『ファースト』の機械的な配置は、明らかにビートルズを意識しているように見える。ギブ兄弟が、ビートルズの楽曲に影響されていたのと同様に、ロバート・スティグウッドもビートルズのアルバムを十分に意識してビー・ジーズをプロデュースしていたのだろう。

 

B1 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」

B2 「キューカンバー・キャッスル」(Cucumber Castle)

 3拍子のミディアム・テンポのポップ・ソングだが、この曲も「ペニー・レーン」の影響を感じさせる。物語風の歌詞もそうで、「そこには林があった。今は草地だ。ピンカートン探偵社の調査員はこう言った。『この場所を私は調べるつもりだ。』そして彼はそうした。・・・きゅうりの城、どんなにみすぼらしくとも、そこが我が家だ」。・・・あまり物語風ではないか。

 相変わらずメロディは美しい。とくに中間部の「地下室の明かりが、見つめる彼の眼に映っていた。でも、その朝早く、彼は驚くことになる」のノスタルジックな旋律が耳に残る。

 この曲の不思議な明るさは、「思い出の赤い椅子」やこの後の「アイ・クローズ・マイ・アイズ」にも共通するが、アメリカのマーケットを意識したものだろうか。ライヴの演奏には向かないような曲だが、意外に多くのライヴ・ヴァージョンが残っている[vii]

 

B3 「ラヴ・サムバディ」

B4 「アイ・クローズ・マイ・アイズ」(I Close My Eyes)

 冒頭ドラムから始まるが、「イン・マイ・オウン・タイム」のメローニィ同様、コリン・ピーターセンをクローズ・アップしようとしたのだろうか。

 わかりやすい歌詞とわかりやすいメロディ。やたらと陽気で軽快で、翌1968年に一世を風靡したバブルガム・ミュージックのようだ。その後のビー・ジーズらしくはないが、シングル向きともいえる。

 

B5 「誰も見えない」

B6 「プリーズ・リード・ミー」(Please Read Me)

 これもまたシンプルでキャッチーなメロディのコーラス・ナンバー。中間のスキャット・コーラスでモーリス(?)がビーチ・ボーイズ風のファルセットを披露している。

 さりげない曲だが、アルバムの最後から二番目になっても、こうしたポップでメロディアスな曲を入れられるのは、この時期の彼らのメロディ・メイカーとしての充実ぶりを物語る。

 

B7 「クローズ・アナザー・ドア」

 

 『ファースト』は、『サージェント・ペッパーズ』の年、サイキデリックの年の空気を受けて発表された。しかし、先行シングル2枚の4曲はいずれもサイキデリックとは無縁の曲だった。効果音のようなギミックにしても、彼らはあまり好意的な発言を残していない[viii]。また、本作には比較的バンドらしい楽曲が多く収録されているが、2枚目以降、段々とそうした特徴は薄れて、ある意味ビー・ジーズらしさが強まっていく。彼らとしては、最も実験的で、最もロック・バンド的志向が強かったのが本作だったのかもしれない。

 

[i] Tales from the Brothers Gibb: A History in Song 1967-1990 (1990).

[ii] 最初の8小節のみ、バリーがヴォーカルを取っていることに何十年かたってようやく気づいたが、これはロビンが最初の音を取りにくかったからだろうか。

[iii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.141.

[iv] “One Minute Woman” (Early Version) in Bee Gees 1st, 2006.

[v] ビリー・フューリィ(1968年)およびジャック・ロマックス(1967年)によるカヴァーが次のアルバムに収録されている。Bee Gees Songbook: The Gibb Brothers by Others (Connoisseur Collection, 1993); Words: A Bee Gees Songbook (Playback Records, 2020).

[vi] Rarities 1960-1968 (2018), Mrs Gillespie’s Refrigerator (2018), Spick and Span: The Bern Broadcast 1968 (2019).

[vii] Rarities 1960-1968 (2018), Mrs Gillespie’s Refrigerator (2018).

[viii] Andrew Sandoval, Bee Gees: The Day-By-Day Story, 1945-1972 (Retrofuture Day-By-Day, 2012), p.55.