Bee Gees 1967(1)

1⃣「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(1967.4)

1 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(New York Mining Disaster 1941)

 ビー・ジーズ英米初登場曲[i]は全英12位、全米14位。とくに米ビルボード誌の14位は新人グループとしては上々と言えるが、全米での鳴り物入りのデビュー、しかも当初はビートルズの新曲と勘繰られた、という有名な逸話[ii]が本当なら、期待したほどではなかったのかもしれない。

 本作は、その後のビー・ジーズの楽曲と比較すると、典型的な作品とは言えない。持ち味である感傷的なメロディとは異なり、どちらかといえばドライなタッチのフォーク・ロックである。曲構成は、この時期によく見られた16小節で完結、それを3度繰り返すもので、日本でもこのような構成の歌謡曲が多かった。但し、16小節で歌われるのは2番だけで、1番と3番は2小節少ない。2番「みんな死んでしまったと思って」に当たるパートが1・3番では省略されるという芸の細かさを見せている。

 それにしても「ニューヨーク炭鉱の悲劇」というタイトルは相当に意表を突いている。当時バリー・ギブは20歳、ロビンとモーリス・ギブは若干17歳。日本なら、アイドル・グループとしてデビューしてもおかしくないし、実際、デビュー当時はイギリスでもアイドル扱いされていた。しかし、日本のアイドル・グループが「足尾銅山の事件」のようなタイトルの曲でデビューするだろうか。英米の代表的ロック・バンドのデビュー曲を見ても、ビートルズが「ラヴ・ミー・ドゥ」(1962年)、ビーチ・ボーイズが「サーフィン」(1961年)だった。もちろん時代背景が異なるわけで、1967年4月までには、ビーチ・ボーイズは「グッド・ヴァイブレーションズ」(1966年)を、ビートルズは「ペニー・レーン/ストロベリ・フィールズ・フォーエヴァー」(1967年)をすでにリリースしている。プロコル・ハルムが「青い影(The Whiter Shade of Pale)」でいきなり全英1位を獲得したのもこの年のことだ。ロックがシリアスになり、思索的な歌詞が当たり前の時代が訪れていた。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」もこの時代だからこそのタイトルだったのであり、むしろこのような奇抜なタイトルと歌詞でこそ、あわよくばヒットが狙えると見込んだのだろう。

 発表ヴァージョンは、ギブ兄弟のハーモニーを強調して、バックはベース、ギター、ドラムスのシンプルな構成に、申し訳程度のストリングスを加えたものだったが、2006年に未発表曲を含めて再リリースされた『ビー・ジーズ・ファースト』には、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」の未発表初期ヴァージョンが収録されている。オーストラリア時代から、オーケストラを使うのが夢だった、というバリーの言葉通り[iii]、ストリングスを大胆に強調したドラマティックなヴァージョンである[iv]。しかし、兄弟のハーモニーを全面に打ち出したかったマネージャー兼プロデューサーのロバート・スティグウッドが、シンプルなヴァージョンにするよう指示した[v]、というが、後年、ロビン・ギブがソロ・ライヴで披露したヴァージョン[vi]がオリジナルに近いクラシカルな大作風になっていたのを見ると、彼らがもともとやりたかったのは、フォーク・ロック風ではなく、バロック・ポップ風の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」だったようだ。

 とはいえ、ヴァニラ・ファッジに似たバンド、ヴェルヴェット・フォグのサイキデリック/ハード・ロック・ヴァージョン[vii]も意外に合っているように、どのようなアレンジでも原曲のよさは変わらない。その後のビー・ジーズらしくはないが、この曲もデビュー曲にして彼らの代表作のひとつに数えられるだろう。

 

2 「誰も見えない」(I Can’t See Nobody)

 B面曲だが、「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」に劣らぬ、いやそれ以上の力作と言ってよい。演奏時間も、「ニュー・ヨーク炭鉱」が2分強なのに対し、「誰も見えない」は4分近い。『オデッサ(1969年)以前では最も長い曲なのだ。『ファースト』のなかでは、唯一オーストラリアで書かれたというが[viii]、セカンド・シングルの「トゥ・ラヴ・サムバディ」にタイトルも構成も似ているのが面白い。”I Can’t See Nobody”と”To Love Somebody”。ロビンとモーリスならぬ、バリーとロビンのヴォーカルによる「双子」のような楽曲である。いずれも8小節のヴァースを2度繰り返してから8小節-後者は7小節だが-のサビのコーラスで完結する構成で、ただし、「トゥ・ラヴ・サムバディ」は2番まで、「誰も見えない」は3番まである(3番は、さらに11小節長い)。両曲ともヴァースをバリーとロビンがそれぞれメロディを少しずつくずしながら歌い、サビの部分は厚いコーラスでドラマティックに盛り上げる構成である。

 しかし似ているようで、まったく違うのは二人のヴォーカルで、「誰も見えない」のロビンは彼らしい哀愁を帯び、いささか悲壮感が過剰なほどシャウトして歌い上げている。

 この似ているようで似ていない2曲が、それぞれロビンとバリーの主導で書かれたのだとすると、具体的な作曲のプロセスが知りたいところだ。なぜ、これほどサビのメロディも構成も似かよっているのに、最終的な印象がむしろ正反対なのだろうか、と。

 「トゥ・ラヴ・サムバディ」との比較はさておいて、本作は「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」と甲乙つけがたい佳曲で、ファースト・アルバムのハイライトの一曲でもある。その後、マーブルズにカヴァーされ[ix]ベスト・アルバムに選曲されるなど[x]、本作がA面でもおかしくなかった。

 

2⃣「ラヴ・サムバディ」(1967.6)

1 「ラヴ・サムバディ」(To Love Somebody)

 ビー・ジーズの最高作のひとつ。「ワーズ」、「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」と並ぶ、最も多くカヴァーされたギブ兄弟の作品である。

 オーティス・レディングのために書かれたという逸話が残っているが[xi]、結局ビー・ジーズのセカンド・シングルとして発表され、全米17位。全英では41位に終わったが、翌年ニーナ・シモンのヴァージョンが5位にランクされた。その後1990年にジミー・ソマーヴィルのカヴァーが全英8位、1992年にはマイクル・ボルトンのシングルが全米11位(全英16位)にランクされ、オリジナルを上回った。結局1960年代と1990年代に、それぞれ異なる4組のアーティストによって英米のトップ20にランクされるという珍しい記録を残している。

 「誰も見えない」の項で述べたように、これら二曲は双子のような関係に映るが、いずれも印象的なイントロで始まっているのも共通している。甘美なオーケストラで始まり、バリーのヴォーカルの背後に流れるストリングスも美しい。一転して爆発的なコーラスがキャッチーなメロディを歌い、最後は「ザ・ウェイ・アイ・ラヴ・ユー」のハーモニーで締めくくられる。

 「誰も見えない」のロビンのヴォーカルもソウルフルだが、「ラヴ・サムバディ」のバリーも負けていない。彼のベストの歌唱ではないかと思われるほど瑞々しく、張りがある。甘さとほのかな明るさも特徴で、「誰も見えない」との違いは、この甘さと明るさにある。それはロビンとバリーのキャラクターの違いでもあるが、ビー・ジーズの特徴はつまるところ、二人の対照的なヴォーカルにあった。とくに本作のバリーの歌声は、彼が歌ってこその「ラヴ・サムバディ」であることを実感させる。

 

2 「クローズ・アナザー・ドア」(Close Another Door)④

 ビー・ジーズがデビューしたとき、ビートルズの匿名による新曲と間違われた、というエピソードがうなずけるような曲である。出だしのコーラスは確かにビートルズを彷彿させる。しかし、それに続くロビンのヴォーカルは、およそビートルズらしくないソフトなものである。

 本作は、これまでの3曲ほど印象は強くないが、初期の彼らの楽曲のなかではかなり凝ったつくりになっている。最初のアップ・テンポのコーラスと続くテンポを落としたロビンのヴァースを繰り返した後、クロージングでは、一転、スロー・バラードになって、ロビンがカンツォーネか、はたまたオペラのような歌唱で新たなメロディを歌い、フェイド・アウトしていく。

 やはり最初の2枚のシングルは、慎重に曲を選択したということだろうか。それなりに力作であり、翌月発表のアルバムも本作で締めくくられる。特別、傑作というわけではないが、力のこもった作品であることは確かである。それにしても、どこからこうした二部構成の展開を思いついたのか、聞いてみたくなる。

 

[i] ただし、イギリスでは、「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」以前に「スピックス・アンド・スペックス」がリリースされている。

[ii] Melinda Bilyeu, Hector Cook and Andrew Môn Hughes, The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb (New edition, Omnibus Press, 2001), pp.130-31.

[iii] Ibid., p.127.

[iv] “New York Mining Disaster 1941“ (Version One (a)) in Bee Gees 1st, Riprise Records, 2006.

[v] Andrew Sandovalによるライナー・ノウツ。Bee Gees 1st, p.6.

[vi] Robin Gibb Live (Eagle Records, 2005).

[vii] “New York Mining Disaster 1941“ by Velvett Fogg, in Maybe Someone Is Digging Underground: The Songs of the Bee Gees (Sanctuary Records Group Ltd, 2004).

[viii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.128.

[ix] Marbles, “I Can’t See Nobody/Little Boy” (1969). B面もギブ兄弟の作曲だが、いかにもバリーが鼻歌まじりに作ったと思われるような、眠たげなフォーク・バラードである。

[x] Best of Bee Gees (1969).

[xi] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.134.