ビー・ジーズ1963-1964

 ビー・ジーズの3人、バリー・ギブ(1946-)、双子のロビン・ギブ(1949-2012)とモーリス・ギブ(1949-2003)は、イギリスのアイリッシュ海に浮かぶマン島に生まれ、マンチェスターに移り住んだ後、1958年に家族とともにオーストラリアに移住するが、それ以前から既にスリー・パート・ハーモニーのコーラス・グループとして歌い始めていたという。オーストラリアで音楽活動はさらに本格化して、カー・レーシング場でアルバイトをしながら歌っているところを、プロモーターのビル・グッドに紹介される。さらにグッドからディスク・ジョッキーのビル・ゲイツに引き合わされて、音楽業界に関わりをもつようになった。そして1959年3月、ギブ兄弟と両親は、グッドとゲイツの両ビルと5年間のマネージメント契約を結ぶ。これがビー・ジーズのエンターテインメント業界への参入の時期ということになるのだろう[i]。既に作曲を始めていたバリーは、やがて職業的なソング・ライターとして活動を始める。しかし、彼ら自身がコーラス・グループとしてデビューを飾るのは、家族がシドニーに移った1963年まで待たなければならなかった。

 

S01 ビー・ジーズ「ザ・バトル・オヴ・ザ・ブルー・アンド・ザ・グレイ」(1963.3)

A 「ブルー対グレイ」(The Battle of the Blue and the Grey, B. Gibb)

 オーストラリアのフェスティヴァル・レコードから発売されたビー・ジーズの初めてのシングル・レコード。バリーの作曲で、彼がリード・ヴォーカルを取っている。当時、バリーが16歳、モーリスとロビンが13歳。双子はまだ声変わりしていない。

 軽快なテンポのウェスタン調のポップ・ソングで、サビのコーラスで始まるABA型の構成の曲。何というか、どこにでもあるような曲で、批評のしようがない。途中、トーキング・スタイルというのか、今でいうラップ調になったりして、16歳が作った曲にしては、そつがない。メロディも覚えやすく完成されている。ただし、バリー・ギブの個性らしきものは、まだまったく感じられない。

 面白いのは歌詞で、日本人には意味不明なタイトルと思われるが、アメリカの南北戦争がテーマで、青色と灰色は北軍と南軍の軍服の色だという[ii]。オーストラリアに住むイギリス人が作った歌としては少々変わっているが、一体何でまた16歳の少年が、このような題材で曲を書こうと思ったのだろうか。歴史の授業で習った?

 この後、イギリスでのデビュー曲が「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」だったことを考えると、ありふれたラヴ・ソングでないところが共通していて、偶然にしても興味深い。

 

B 「三つのキス」(Three Kisses of Love, B. Gibb)

 ・・・B面は、ありふれたラヴ・ソングだった。A面よりスローだが、こちらも軽やかなテンポに乗って、兄弟の一糸乱れぬコーラスが既にしてビー・ジーズを感じさせる。

 曲はA面に負けず劣らず、古臭い。ビー・ジーズの歌手デビューは、ビートルズから遅れること、わずか5か月だが、そのビートルズはすでにイギリスで「プリーズ・プリーズ・ミー」をリリースしている。ビー・ジーズのほうはといえば、50年代かと見間違うようなオールド・スタイルのコーラス・ナンバーである。

 しかし、曲は、A面と同じようなことをいうが、16歳が書いたにしては随分こなれている。メロディに魅力があり、思わず口ずさみたくなる親しみやすさがある。日本で最初紹介されたときには、こちらがデビュー曲と書かれていた記憶があるが、実際、バリーの証言によると、本作のほうが演奏することが多かったそうだ[iii]

 

S02 ビー・ジーズ「ティンバー」(1963.7)

A 「ティンバー」(Timber!, B. Gibb)

 ビー・ジーズの第二弾シングル。古い。実に古臭い(と、最初に聞いた数十年前に、すでにそう思った)。『1960年代のビー・ジーズ』でも、1950年代後半の曲のようだ、と評されている。しかし、途中入る「イェー、イェー、イェー」の掛け声は「ビートルズ風だ」とも書いていて[iv]、そりゃあ、「シー・ラヴズ・ユー」よりちょっと早いかもしれないが、そんなことを自慢しても仕方がない。

 また、異常にテンポが速くて、ジョセフ・ブレナンは、スピードが間違っているように聞こえる、と言っている[v]。双子のコーラスは、まだ声変わり前で、バリーも含めて実に若々しい。まるで、オズモンド・ブラザーズが歌っているみたいだ。ブラザーズといえば、ビートルズとともに、初期のビー・ジーズに影響を与えたとされるエヴァリィ・ブラザーズとの相似が指摘される曲[vi]でもある。

 ストリングスが入っているのも初めてのことで、しかし、後年のようなオーケストラではなく、実際はヴァイオリン一丁[vii]というショボさであったようだ。

 とはいえ、ドンドコドンのイントロから、ポップでキャッチーなメロディが飛び出す。たわいないといえば、たわいないが、すぐに覚えて、ついつい鼻歌で歌ってしまいそうな中毒症状は、その後のバリーの魔術的旋律を予感させる。

 ちなみに、本作がBEE GEES名義の初のレコードだったそうだ。1枚目は、なぜかBEE=GEESの表記だったとか。

 

B 「あの星をつかもう」(Take Hold of That Star, B. Gibb)

 こちらもレコードをかけた瞬間に、ぼろぼろに崩れるのではないかと思うような古色蒼然としたポピュラー・ミュージック。現代の若い耳からすれば、50年代も60年代も、70年代さえ同じようなものかもしれないが、まるで日活(古いなあ)の青春映画のような邦題からして、なつかしすぎる。

 バリーの声も妙に落ち着き払って、おじさんくさいが、カントリー・タッチのバラードなのに、サビの歌いまわしがソウルっぽいのは、すでにして彼らしい個性が現れている。いや、それとも、むしろリズム・アンド・ブルースのバラードのつもりだったのか。初めてギターを披露したレコード[viii]でもあったようだが、何よりも、バリー・ギブの「最初のバラード」であることが記憶に値する。

 

S03 ビー・ジーズ「ピース・オヴ・マインド」(1964.2)

A 「ピース・オヴ・マインド」(Peace of Mind, B. Gibb)

 最初の2枚と同じく、古くさいことに変わりはないが、3枚目にして、当時の最先端、ビートルズ、すなわちリヴァプールサウンドを取り入れたナンバーが登場する[ix]。先の2枚が嘘のような迫力で、激しいギター・ソロに絶叫(バリー?)入りと、一気にビート・バンドに変身したかのようだ。

 それにしても、ビートルズのブレイクは、イギリスとアメリカでは約一年のタイム・ラグがあるが、オーストラリアではどうだったのだろうか。イギリスでは1963年1月発売の「プリーズ・プリーズ・ミー」で人気に火が付いたが、アメリカでは1963年12月リリースの「抱きしめたい」が翌年1月にチャート1位になって、ようやく空前のビートルズ・ブームが訪れる。「ピース・オヴ・マインド」は2月に発売されているので、アメリカでの人気爆発を受けて、というには早すぎるようだ。イギリスにおけるビートルズ人気は1963年中にオーストラリアに上陸していたのだろう。しかし、「ティンバー」にはビートルズのかけらもないところを見ると、やはりイギリスに比べて半年くらいの遅れはあったのだろうか。

 本作は、ビートルズ以上にシンプルなメロディだが、「ラヴィン・ア・ガール・ライク・ユー」のフレーズは、いかにものリヴァプールサウンド調で、さすがマンチェスター出身のグループ、近いだけに吸収するのも早かったようだ(「マンチェスターリヴァプール」というポップ・ソングもありました)。

 

B 「さよならは言わないで」(Don’t Say Goodbye, B. Gibb)

 A面の激しいビートはどこへやら、B面はのどかなカントリー・タッチのバラード。

 例によって落ち着き払ったバリーのヴォーカルは、むしろ間延びして聞こえるが、「オー・ノー、ドント・ゴー、ドント・メイク・ジス・プア・ボーイ・クライ」の親しみやすいフレーズは結構ツボに入る。

 どんな曲でもこなせる器用さは、確かに彼らの最大の長所のひとつでもある。すでにデビュー当初から、そうした柔軟性は全開で、そのことを実証するような曲だ。

 

S04 ビー・ジーズ「閉所恐怖症」(1964.8)

A 「閉所恐怖症」(Claustrophobia, B. Gibb)

 ビー・ジーズリヴァプールサウンド第二弾。

 シドニーのバンドであるデラウェアズをバックに従えてのビート・ナンバーで、バリーに続き、モーリスもギターで演奏に参加、さらには、ロビンもメロディカという楽器で加わったという[x]。間奏の学芸会のようなハーモニカと思っていたのは、ロビンの演奏だったのか!

 実態はどうであれ、これは史上初のビー・ジーズ・バンドによるレコードといってよいのではないか。

 それにしても、どういうタイトルだ、これ。「ぼくは閉所恐怖症になっちまう。だって、こんなに大勢の男たちが君の心のなかにいたなんて」。うーん。うまいこと言うなあ?なんだか大喜利みたいだが・・・、座布団一枚!って、いってる場合か!

 しかし、この「アイ・ゲット・クローストロフォビア~」のメロディはなかなかどうしてキャッチーだ。

 

B 「クッド・イット・ビー」(Could It Be, B. Gibb)

 こちらもデラウェアズとの共演曲。

 A面ほどメロディアスではなく、従って、よりロック的というか、よりビートが強調されたアップ・テンポのナンバー[xi]

 サビのコーラスなども、実に上手にイギリスのビート・バンドを真似ている(皮肉ではない)。4枚目シングルは、AB面ともリヴァプールサウンド、ということで、この路線で両面ヒットを狙ったのだろうが、結果は残念ながら、というか、案の定失敗に終わった。

 

S05 ビー・ジーズ「ふりかえった恋」(1964.10)

A 「ふりかえった恋」(Turn Around, Look at Me, J. Capehart)

 あまりにもヒットが出ないので見限られたか、ついに他人が書いた曲を歌うよう指示された5枚目のシングル。その後の活躍を考えると、信じられないというべきか、それとも、未来を予見していたと見るべきか、いずれにせよ、バリー・ギブほどの才能でもこうなのだから、世の中甘くない。

 「ふりかえった恋」(妙な邦題だが、恋がふりかえるのか?それとも、恋をふりかえる?どっちにしろ、原題は、まだ振り返ってはいないのだが)は、もともとグレン・キャンベルが1961年に発表した曲で、ライターは、エディ・コクランの「サマータイム・ブルース」の共作者で、コクランのマネージャーでもあったという[xii]。生憎、そうした話題はこのビー・ジーズ・ヴァージョンのヒットには何の助けにもならなかった。

 いかにもソロ・シンガー向きと思えるオーソドックスなバラードで、バリーの歌い方も先輩アーティストを見習ったかのようなお行後のよさ。バックにはオーケストラがついて、結構ドラマティック。もっとも、このオーケストラは、すでにレコード会社がストックしていたカラオケだったかもしれないそうだ[xiii]。トホホ。

 そうはいっても、曲自体はよいので、ビー・ジーズの歌とコーラスが可もなく不可もないとしても、それなりに魅力がある。実は、このカプリングは、日本でも発売されているのだ。1968年3月に、「マサチューセッツ」のヒットにあやかろうとしてか、キング・レコードからリリースされている[xiv]オリコンのチャートにもランクされていて、最高72位、売り上げ1.3万枚である[xv]。ひょっとして、世界で一番ヒットしたのが日本じゃないの(そもそもオーストラリア以外で発売されたのは日本だけか)?レコードの解説では、ビー・ジーズの出身からオーストラリアでのデビュー、その後の活動まで詳しく書かれていて、よく調べているなあ、と感心したが、書いているのは、あの朝妻一郎氏。さすがですね(『ビー・ジーズ・ファースト』の解説も朝妻氏)。

 ところで、「ふりかえった恋」は、同じ1968年にヴォーグスが全米でヒットさせていて(ビルボード誌7位)、ミリオン・セラーにもなっている。ヴォーグス・ファンにとっては、ビー・ジーズの古くさいヴァージョンが日本で一足早く小ヒットになったのは、実に邪魔だったんじゃなかろうか。

 

B 「ジェイミー・マックフィーターズ」(Theme from Jaimie McPheeters, J. Winn and L. Harline)

 B面は、デビュー曲の「ブルー対グレイ」のようなカントリー・アンド・ウェスタン。サビのメロディはなかなか良いのだが、全体としては、なんで、わざわざビー・ジーズがレコーディングしたのか-いや、それはレコードにはB面が必要だからなのだが-と思う作品。

 もともと、アメリカで1963年に放映されたTVドラマ「ジェイミー・マックフィーターズの旅」の主題歌で、原作はロバート・ルイス・テイラーの小説。作者の二人もよく知られたライターだそうで、とくにハーラインは、ディズニー映画の音楽を担当し、あの「星に願いを」の作者だという[xvi]。びっくりしたな、もう。

 しかし、同ドラマは、オーストラリアでは限定的にしか放映されていなかったそうで、やっぱり、この曲の選択は謎だそうだ[xvii]

 

ビー・ジーズブリリアント・フロム・バース』(Brilliant From Birth, 1998)

 『ブリリアント・フロム・バース』[xviii]は、ファンなら先刻ご承知のオーストラリア時代のビー・ジーズ作品を集大成したCDである。

 そのなかに、3枚のオリジナル・アルバムにも、1970年発売の『ノスタルジア(Inception/Nostalgia)』にも収録されていなかった未発表曲が4曲収められている。以下の楽曲がそれに当たる。いずれも、1964年に、TVショウ用に録音された、当時のヒット曲のカヴァーである[xix]

Ⅰ-31 Can’t You See That She‘s Mine, D. Clark & M. Smith

 ビートルズと並ぶブリティッシュ・インヴェイジョンの立役者デイヴ・クラーク・ファイヴのオリジナル・ヒット。1964年にイギリスで10位、オーストラリアで13位になったという[xx]

 ビー・ジーズのヴァージョンは、原曲のノリのよさをそのままに、軽快に歌いこなしている。

Ⅰ-32 From Me to You, J. Lennon & P. McCartney

 いうまでもない、ビートルズの初の全英1位のビッグ・ヒット。しかし、全米では、ほぼ不発という、ビートルズ史上まれな作品。大ヒットにならなかったのはタイミングの問題もあろうが、確かに、「抱きしめたい」などに比べて、あまりにも屈託がなさ過ぎたのかもしれない。

 その屈託のない明朗なコーラスを、ビー・ジーズがはつらつと再現した好カヴァー。この後も出てくるビートルズのカヴァーのうちでも、一番彼らに合った楽曲だったかもしれない。オーストラリアでは、この曲が9位になったというから、1963年夏頃に、ビートルズ人気が海を越えて到達したようだ。

Ⅱ-27 Yesterday‘s Gone, C. Stuart & W, Kidd

 チャド・アンド・ジェレミーというイギリス出身のデュオによる1963年のヒット。1964年にアメリカでも21位まで上昇し、同デュオは、母国より同地で人気を博したらしい。オーストラリアでは、この曲はフェスティヴァル・レコードから発売されて、64年夏に26位になった[xxi]

 ビートルズやDC5に比すると、古いタイプのポップ・ソングに聞こえるが、ビー・ジーズのヴァージョンは、古風な味を残しながら、弾むようなテンポで若さを押し出して、うまくまとめているようだ。

Ⅱ-30 Just One Look, D. Payne & G. Carroll

 ホリーズによる全英2位の大ヒット。原曲は、アメリカのリズム・アンド・ブルース・シンガーのドリス・ペインが1963年に発表した自作曲。翌年、ホリーズのヴァージョンがイギリスでヒットし、オーストラリアでも29位にランクしたとのこと[xxii]

 ホリーズのあのハイ・トーン・コーラスにはまだ及ばないものの、ビー・ジーズらしいコーラスで軽々とカヴァーしている。

 

[i] A. M. Hughes, G. Walters & M. Crohan, Decades: The Bee Gees in the 1960s (Sonicbond, UK, 2021), pp.18-28.

[ii] Ibid., p.48.

[iii] Ibid.

[iv] Ibid., pp.52-53.

[v] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1963.

[vi] ザ・ビー・ジーズ『オーストラリアの想い出』(ポリドール・レコード)、うちがいと・よしこ氏による解説。

[vii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.52; Gibb Songs: 1963.

[viii] Gibb Songs: 1963.

[ix] Gibb Songs: 1964; Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.58.

[x] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.65; Gibb Songs: 1964.

[xi] Decades: The Bee Gees in the 1960s, pp.65-66.

[xii] Ibid., p.67.

[xiii] Ibid.

[xiv] ザ・ビー・ジーズ「ふりかえった恋/ジェイミー・マックヒーターズ」(キング・レコード)。

[xv] 『1968-1997 オリコン チャート・ブック アーティスト編全シングル作品』(オリコン、1997年)、276頁。

[xvi] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.68.

[xvii] Ibid.

[xviii] The Bee Gees, Brilliant from Birth (Festival Records, 1998).

[xix] Decades: The Bee Gees in the 1960s, pp.70-71.

[xx] Ibid., p.72.

[xxi] Ibid. アメリカではトップ・テン・ヒットも出したようだ。Joel Whitburn, The Billboard Book of Top 40 Hits (Billboard, 1987), p.60.

[xxii] Decades: The Bee Gees in the 1960s, p.73.

ビー・ジーズ2001

 『ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン』は、通算20枚目(オーストラリア時代の3枚を除く)、21世紀になって最初の、そしてビー・ジーズにとって最後のオリジナル・アルバムとなった。

 1967年の『ビー・ジーズ・ファースト』から実働35年。20枚というのは1.75年に1枚のペースで、少ないのか、そうでもないのか。はっきりしているのは、35年もグループが続くのは珍しいということだ。もっとも、近年では再結成してツァー、アルバムも発売という例も見受けるので、そう珍しくもないのか。ビー・ジーズにもグループ消滅期間があった。しかし、それはほんの一年足らずで、またすぐ磁石のようにくっついたので、やはりファミリー・グループの強みということだろうか(あ、ヴィンス・メローニィやコリン・ピーターセンを蔑ろにしているわけではありません)。

 1.75年に1枚と書いたが、最初の10年間で12枚リリースしている。1968年と1970年は2枚ずつで、デビューから4年で6枚のなかなかのペースである。もっとも、ビートルズは、最初の3年間で6枚アルバムを発売している(1963~65年)。ビーチ・ボーイズに至っては、4年間で8枚である(1962~65年。企画アルバム等を除く)。無茶苦茶な時代でした。

 ビー・ジーズに話を戻すと、毎年一枚以上のアルバムをリリースしていたのが途絶えたのが、皮肉なことに全盛期の1977年だった。同年は『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の発表年で、以後数年に一枚のペースに落ち着く。最長の空白期は1982年から86年までの5年(もっともこの間、ロビンが3枚、バリーが1枚ソロ・アルバムをリリースしている。プロデュース作品が加わるので制作数はむしろ増えている)。『スティル・ウォーターズ』は、前作の『サイズ・イズント・エヴリシング』から4年ぶりのアルバムだったが、『ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン』もそれから4年たった新作。

 もちろん、当時はこれが最後のオリジナル・アルバムになろうとは思いもよらなかったが、なんだかんだ言って、よく頑張りました。お疲れ様でした(いや、まだ終わりじゃないって)。

 

ビー・ジーズ「ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン」(This Is Where I Came In, 2001,3)

01 This Is Where I Came In (B, R. & M. Gibb)

02 Just In Case (B, R. & M. Gibb)

 アルバムを参照。

03 I Will Be There (B, R. & M. Gibb)

 地平線に沈む夕日を目指して疾走していくような(?)軽やかなテンポに乗って進む、どこかカントリー風でもあるポップ・ナンバー。ロビンのリードからバリーにバトン・タッチして、サビは再びロビン中心で、「アイ・ウィル・ビー・ゼ~・フォ・ユ~、オーオオ、オーオオ、アイ・ウィル・ビー・ゼ~・フォ・ユ~」のキャッチーなコーラスが素晴らしい。

 むしろ、こちらがシングルでもよかったのではないかと思える佳曲で、メランコリックで郷愁を感じるメロディは、これが最後のシングルと考えると、なおのこと、胸を熱くさせる。

 

ビー・ジーズ『ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン』(This Is Where I Came In, 2001,4)

 『スティル・ウォーターズ』は、複数のプロデューサー起用が特色だったが、『ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン』も複数のプロデューサー、ではなくて、兄弟3人が単独でプロデュースした作品が含まれている。はっきり言えば、ソロ作品を持ち寄ったというほうがよい。なんだか『トゥー・イヤーズ・オン』を思い出すなあ。

 具体的には、1999年の夏頃に、バリーとモーリスはマイアミのミドル・イアー・スタジオで、ロビンはロンドンのエリア21・スタジオで、各自3~4曲をレコーディングしたらしい[i]。それぞれのレコーティング・スタイルに特徴が出ていて、バリーはなじみのスタジオ・ミュージシャンたちとの共同作業で、共作もしたという体育会系合宿型。モーリスは、殆どひとりで演奏もプログラミングなどもこなして、オタク感丸出しの引きこもり型。ロビンは、元ジェスロ・タルのピーター・ジョン・ヴェティス[ii]を相棒に選んで、プロデュース以外にバックトラック作成やバック・ヴォーカルもお任せのおんぶにだっこ型(モーリスの代役だったようだ)[iii]

 勝手気ままにやれて各人満足だったのかもしれないが、出来上がりはさすがに色々問題がありすぎたようで、新たに三人で追加の新曲を書いたという。その後2000年の4月から6月にかけて、マイアミのスタジオでタイトル曲を含む5曲をレコーディングし[iv]、それらを加えることで、アルバムは完成した。

 今にして思えば、このアルバム制作の方法は不吉な予感しかしない。メンバー全員が、とくにバリーはグループ活動に倦み疲れていたように思われる[v]。アルバム・ジャケットは、壁にもたれるバリーの前をロビンとモーリスが通り過ぎる(ブレているうえに、顔は隠れている)様が撮られている。壁には、デビューの頃の若々しい三人が車の前に並んでいる写真が飾られ、何とも意味深長なデザインになっている(バリーは写真と同じポーズをとっている。また、ジョン・レノンの『ロックン・ロール』のジャケットを意識しているようにも見える)。結果的に、モーリスの死がビー・ジーズを消滅に導いたのは明らかだが、それがなかったとしても、グループによる活動は長期間休止となる運命だったのかもしれない。ビー・ジーズの「白鳥の歌(Swan Song)」は着実に近づいていたのだ。

 

01 「ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン」(This Is Where I Came In, B, R. & M. Gibb)

 地を這うような重々しいサウンド・エフェクトから、ギターのつま弾きで始まるロック、あるいはフォーク・ロック・タイプの曲。これも後になってみれば、の感想になるが、何となく「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」のギターのイントロを思い出させる導入である。

 「ニュー・ヨーク炭鉱」はバリーとロビンのコーラスから始まるが、本曲では、小刻みなヴァースのメロディを、まずロビンがいささか頼りなげに、次にバリーがやや強面に歌うと、「オオオオーオオ、オオオオーオオ、・・・ディス・イズ・ジャスト・ホェア・アイ・ケイム・イン」とタイトル・フレーズのコーラスが入り、間髪入れず、ロビンのハイ・トーンのヴォーカルが飛び出して、例によって、トップから下降してくる。大体、これらのパートから成り立っているが、メロディアスとはいえず、スロー・テンポながら、全体として、ビー・ジーズ流のロック・コーラス・ナンバーである。

 イギリスではシングル・カットされて、18位。ラストを華々しく飾ることはできなかったが、持ち味であるセンチメンタリズムを排したハードな感触は、やっぱり「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」との相似を窺わせて、不思議な暗合を感じさせずにはおかない。

 

02 「シー・キープズ・オン・カミング」(She Keeps On Coming, B, R. & M. Gibb)

 前曲同様、2000年になって新たに録音された作品。

 ロビンが全編リード・ヴォーカルを取るアップ・テンポのロック・ナンバー。とはいえ、重苦しい前曲と比べると、幾分軽やかなタッチで、ロビンのヴォーカルもリラックスしている。というか、バリーの口のなかでもごもごする歌い方を真似ているようにも聞こえる。これはっ!第二のブルブル唱法か(バリー・ギブ『ホークス』を参照)?

 曲調は、かつての「アラスカへの道」を思わせるところもある。ヴォーカルは、あんなにヘロヘロではないが。ここまでの二曲は、再びビー・ジーズがロック路線をとり始めたかの印象を持たせる。

 

03 「セイクレッド・トラスト」(Sacred Trust, B, R. & M. Gibb)

 1998年に、当時人気沸騰中だったバックストリート・ボーイズのために書かれたという。しかし、ボーイズ側にマネージメントなどの問題があって、それにまぎれて、結局レコーディングは行われず[vi]ビー・ジーズ自身が2000年になって、上記の2曲とともに録音したそうだ[vii]

 こちらは、バリーが一曲通してリード・ヴォーカルを取っている。恐らく作曲者であるバリーが捨てがたく思ってレコーディングしたのだろうが、新進気鋭の人気バンドに書いたにしては、少々物足りない。手堅くまとめられていてメロディも悪くはないが、なぜかもうひとつ、はっと思わせるフレーズがなく、何となく流れて行ってしまうような感じなのだ。相手が人気ボーイズ・バンドだということを意識しすぎたのかな。

 

04 「ウォディング・デイ」(Wedding Day, B, R. & M. Gibb)

 いかにも結婚式の鐘の音という感じのイントロから始まるウェディング・ポップ・ソング。

 冒頭のバリーのリードは、何だか眠たそうなだらだらした歌い方で(メロディがそうなのか)、興奮して眠れなかった新郎の気持ちを表現しているのだろうか。しかし、続く展開部は、バリー特有のメロディ展開で、思わずはっと目が覚める。そしてサビでロビンのこぶし全開のヴォーカルが響き渡ると、そこにバック・コーラスが加わる後半などはとくに、得も言われぬ感動をもたらしてくれる。まるで自分が新婦の父親になったような気分で、思わず目頭が熱くなる。

 全体の印象は、「フォー・フーム・ザ・ベル・トウルズ」に似ているが、イギリスでのヒットで味をしめたのだろうか。「フォー・フーム」もそうだったが、サビのメロディはビー・ジーズのベストとはいえず、やや単調で物足りないが、フィフィス・ディメンションの名曲「ウェディング・ベル・ブルース」(1969年)のように、ドラマティックななかに愛らしさを秘めた、ちょっと忘れがたい作品である。

 

05 「マン・イン・ザ・ミドル」(Man in the Middle, M. & B. Gibb)

 ここからソロ・セクションに入る。一番手はモーリスである。

「マン・イン・ザ・ミドル」、「真ん中の男」というわけで、すっかりモーリスのグループ内の立場を示す自己紹介ソングにされてしまった[viii](『ミソロジー』でも、モーリスのパートの一曲目に入っている[ix])。しかし、歌詞を見ると、そうではない(「こんぐらがった計画のただなかに放り込まれてしまった」男のことらしい)。

 曲調から明らかなように「オメガマン」の続編で、SF映画サウンドトラックのような人工的なサウンドをバックに、モーリスが飄々と歌う。バリーとの共作というのも久しぶりのことだ。

 

06 「デジャ・ヴュ」(Déjà Vu, B, R. & M. Gibb)

 ギターのジャーンの一撃から「ディス・イズ・マイ・デディケ~ション」のコーラスで、お、これは、と期待を抱かせる。ロビンがヴァースを歌い出すと、期待は確信に変わる。そしてサビの「イッツ・マイ・デジャ・ヴュッ、スウィート・デジャ・ヴュ~」で、出ました、必殺のフレーズ。

 哀愁を込めながらも力強さを増したロビンのヴォーカルによるブリティッシュ・ポップ。久方ぶりの会心のシングル候補ナンバーだと思ったが、ソロ作品ということでシングルから落ちたらしい[x]。残念なことだ、三人で書いたんだからいいじゃん、とも思うが。しかし、この曲を含むロビンの三曲が、いずれも似たり寄ったりの曲調とはいえ、ひときわシャープでソリッドな味わいを湛えているのは、バック・ヴォーカルも担当したピーター・ジョン・ヴェティスの貢献が大きいようだ。

 でも、本アルバムでのロビンのベストは、まだこの後にくる。

 

07 「テクニカラー・ドリームズ」(Technicolor Dreams, B. Gibb)

 バリーの一曲目は、彼らしいドラマティックなバラードかと思いきや、ヴォードヴィル[xi]風というのか、ポール・マッカートニーの「ホェン・アイム・シックスティフォー」みたいなというか、意外なお座敷ソング。

 最初、「テクニカラー・ドリームズ」がアルバム・タイトルに予定されていたそうだが、「テクニカラー」が商標だということで、没になったとか[xii]。いろいろ大変ですね。

 曲は、バリーらしい親しみやすくコマーシャルなメロディだが、ロビンの快作のあとでは少々物足りないか。

 

08 「ウォーキング・オン・エア」(Walking on Air, M. Gibb)

 「ウォーキング・オン・エア」は「マン・イン・ザ・ミドル」と同じようなサウンドだが、とくに冒頭のマイナー調のメロディが素晴らしく印象的で、出来栄えは、はるかに優っている。それどころか、モーリスの最高傑作ではないか、とも思わせる。

 重く垂れこめた雲の合間を漂うようなヴァースから、サビはモーリスの一人多重コーラスで、上昇気流に乗って成層圏までさ迷っていくような感覚は、まさに「ウォーキング・オン・エア」である。

 元ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンから届いた賞賛の言葉に感激した、というモーリスの言葉が本作のすべてを物語っている[xiii]

 

09 「ルース・トーク・コスツ・ライヴズ」(Loose Talk Costs Lives, B. Gibb)

 バリーの2曲目は、しゃれたメロディのリズミカルなポップ・バラード。ブルー・ウィーヴァーやアルビィ・ガルテンとの共同作業で培ったセンスが活かされたかのようなナンバー。

 相変わらず語りかけるようなひそひそヴォイスで、ファルセットを使わずにしっとりした感触に仕上げている。でも、なければないで物足りないような・・・、と思うのは、こちらもファルセットの周期的服用で中毒症状を起こしているのか・・・。

 冗談はさておき、バリーのソロ作では、メロディの魅力はこの曲が一番だろう。

 

10 「エンブレイス」(Embrace, R. Gibb)

 ロビンの2曲目は、「デジャ・ヴュ」にさらに勢いをつけたユーロ・ポップ。曲は多少落ちるが、ロビンの声を楽しむなら、こちらかもしれない。

 曲が多少落ちるのは、やはりロビンの単独作だからかもしれない。80年代のソロ・アルバムの延長上にあるような作品で、しかしメロディはくっきりして親しみやすく、テンポのよさが曲全体のレヴェルを引き上げている。それにしても快調で、最後の「パパパッパッパ~」のバック・コーラスまで、野生馬に乗って荒野を駆け抜けていくような(どういう例えだ)開放感を味わわせてくれる。

 

11 「エクストラ・マイル」(Extra Mile, B, R. & M. Gibb)

 かつてのオーストラリアでの活動の機縁から、2000年のシドニー・オリンピックに楽曲提供を依頼されて作った曲だという[xiv]

 これこそまさに堂々たるバラードの大作で、バリーとロビンがオーケストラをバックに感情を込めた力の入った歌声を聞かせる。曲が悪いわけではないが、実に重い、重すぎる。関係者を困惑させ、使用をためらわせたというのもよくわかる。あまりに威風堂々とし過ぎていて、これでは100メートルを走るアスリートも世界記録を出しにくいだろう。重量上げにはいいかもしれないが。

 ロス・アンジェルス・オリンピックのとき(「シェイプ・オヴ・シングス・トゥ・カム」)は、あんなに軽快だったのに(曲の出来はさして変わらないと思うが)。

 

12 「ヴォイス・イン・ウィルダーネス」(Voice in the Wilderness, B. Gibb, B. Stivers, S. Rucker, A. Kendall & M. Bonelli)

 アルバムの正規の楽曲のラストを飾るのはバリーのソロ作。

 とにかく物凄い勢いで突っ走る。作曲の顔ぶれがバンド総動員なので、当然バンドのセッションから生まれた楽曲とわかる[xv]が、それにしてもすごい。すごいとしか言いようがないが、サウンドもすごいが、バリーの曲もすごい。十八番の早口言葉で押し通す。それはもう、どこまでも一直線で、誰にも止めようがない。もっとも、モーリスもロビンも後からコーラスに加わったらしい。

 最初がハードなタッチの「ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン」だったので、最後もハードな本作で、一応平仄は合っている。・・・などと、つぶやいているうちに曲は終わって、聞き手はひとりポツンと取り残される。タイトルが「荒野の声」だから、これも、うまく平仄が合っている?

 

13 「ジャスト・イン・ケイス」(Just in Case, B, R. & M. Gibb)

 この曲は、以前からファンの間で存在が知られていた。というのは、ドキュメンタリー・フィルムの『ケッペル・ロード』で彼らの作曲風景が紹介されていて、作られていたのがこの曲だったからだ[xvi]

 というわけで、待ちに待った待望の作品かと思うと、あにはからんや、若干物足りない。耳触りの良い流麗なバラードで、ロビンのヴァースからバリーのサビに至る王道のパターンだが、メロディは分かりやすいものの、ちょっと盛り上がりに欠ける。サビのメロディも単調な繰り返しで、少し退屈。一番印象的なのが間奏のキーボードのメロディでとっつきやすいが、何だか素人っぽいのも彼ららしい?

 

14 「プロミス・ジ・アース」(Promise the Earth, B, R. & M. Gibb)

 正真正銘のアルバムのラストは、ボーナス・トラックの「プロミス・ジ・アース」で、実際はロビンのソロ作品。

 随分スケールの大きなタイトルだが、「ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン」同様、SF的なエフェクトから、前二曲のソロ作よりも神秘的なロビンのヴォーカルが聞こえてくる。その瞬間、再び、おおっ、これは、となる。

 まるで地球が滅亡するかのような、緊迫感に満ちたヴァースから、「プロミス・ジ・ア~スッ」のハイ・トーン・コーラスが宇宙空間にこだまする(空気がないから、そうはならないが)と、流星の群れが雨のように地上へと降り注ぐ(というようなイメージ)。人類を乗せた宇宙船団が、遥かな未来に向かって星々のなかに旅立っていく背後には、青い地球だけが残される(というイメージ、歌詞の内容は違うみたいだけど[xvii])。

 ロビンがヴェティスと作り上げた一大ポップ・シンフォニーは、新たなビー・ジーズのクラシックだ。本アルバムは、そしてビー・ジーズは、この曲によって見事な大団円を迎えた。

 

 『ディス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン』は、バリーに比べると、ロビンとモーリスのほうが目立っている。ソロ作は、バリーとロビンが3曲ずつ、モーリスが2曲。残る6曲のうち、バリーとロビンのリード・ヴォーカルが1曲ずつ、他の4曲はバリーとロビンがリードを分け合う。という具合に、バリーが主導だった『スティル・ウォーターズ』と異なり、ロビンの分担が増えた。モーリスも存在感を増している。このことはバリーの衰えを意味するというより、ビー・ジーズが、稀代のメロディ・メイカーであるバリー・ギブを頂点に、それを、ロビンがアーティスティックに、モーリスがテクニカルに支える最強のトライアングルだったことを実証する。

 この屈強なトライアングルは、まだまだ撓むことなく屈強であり続けるはずだったのだが。

 この地球に約束しよう、ビー・ジーズが生みだしたメロディの魅力は永遠だと。

 

[i] J. Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1999.

[ii] Melinda Bilyeu, Hector Cook and Andrew Môn Hughes, The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb (New edition, Omnibus Press, 2001), p.659.

[iii] Ibid.

[iv] Gibb Songs: 2000.

[v] Ibid.

[vi] Gibb Songs: 1998.

[vii] Gibb Songs: 2000.

[viii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.658.

[ix] Bee Gees, Mythology (Reprise Records, 2010), Disc 3.

[x] Gibb Songs: 1999; The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.659.

[xi] バイオグラフィでは、「ミュージック・ホール・ナンバー」とあるので、あながち間違いではないようだ。The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.659.

[xii] Ibid., p.654.

[xiii] Ibid., p.659.

[xiv] Ibid., p.660.

[xv] Ibid., pp.659-60.

[xvi] Ibid., p.656; Keppel Road: The Life and Music of the Bee Gees (1997, Universal Music International, 2004).

[xvii] 「大地に約束しよう。彼女に大洋を返す、と」という歌詞を見ると、むしろエコロジー的な主題なのかもしれない。

ビー・ジーズ・トリビュート・アルバム1993-1994

Bee Gees Songbook: The Gibb Brothers by Others (UK, 1993).

01 Adam Faith, Cowman Milk Your Cow (1967)(B. & R. Gibb).

02 Billy Fury, One Minute Woman (1968).

03 Nina Simone, I Can’t See Nobody (1969).

04 Jose Feliciano, First of May (1969).

05 Sandy Shaw, With the Sun in My Eyes (1969).

06 Lulu, Melody Fair (1970).

07 Tim Rose, I’ve Gotta Get A Message to You (1970).

08 Al Green, How Can You Mend A Broken Heart (1972).

09 The Staple Singers, Give A Hand, Take A Hand (1971).

10 The Searchers, Spicks & Specks (1973).

11 Rufus, Jive Talkin’ (1976).

12 Candi Staton, Nights on Broadway (1977).

13 Tavares, More Than A Woman (1977).

14 Samantha Sang, Emotion (1977).

15 Rita Coolidge, Words (1978).

16 Elaine Paige, Secrets (1981).

17 Leo Sayer, Heart (Stop Beating in Time)(1982).

18 Dionne Warwick, Heartbreaker (1982).

19 Jimmy Somerville, To Love Somebody (1990).

20 Beautiful South, You Should Be Dancing (1992).

 1993年にリリースされた、ギブ兄弟の楽曲カヴァー集だが、90年代のビー・ジーズのトリビュート・アルバム大量出荷の皮切りとなったアルバムである。ジョセフ・ブレナンがGibb Songsで紹介しているので、ここでも取り上げることにする。

 はじめ見つけたときには、こんな曲が、と思ったのが何曲かあって、驚くやら、うれしいやらで、興奮した。筆頭がアダム・フェイスの「カウマン・ミルク・ユア・カウ」だったが、もっとも、タイトルはいかにもくだらなさそうな駄曲という印象で、一聴した感想もそれとあまり変わらなかった。しかし、メロディはなかなか魅力があり、サイキデリック風という点では、『ビー・ジーズ・ファースト』との親近性も感じられて興味深い。まあ、これじゃとてもヒットはしないだろうな、とは思ったが。

 ビリー・フューリィの「ワン・ミニット・ウーマン」やサンディ・ショウの「ウィズ・ザ・サン・イン・マイ・アイズ」などは、改めて原曲の良さが伝わってくる。後者は、女性ヴォーカルで聞くと、本当に讃美歌のようだ。

 ルルは、いくつもビー・ジーズのカヴァーを歌っているが、「メロディ・フェア」は、「窓辺で(しょんぼりと)降る雨を眺めている女の子」の背中をどやしつけるような姉御っぷりで、バック・コーラスとの大雑把なかけ合いはミュージカルを見ているようだ(ルルがモーリスと結婚していたことも、最近は知らないファンが多いのでしょうね)。

 ニーナ・シモンの「アイ・キャント・シー・ノウバディ」はさすがの貫録だし、ティム・ロウズやアル・グリーンのソウル風カヴァーも、オリジナルとは違ったムードがある。

 ホセ・フェリシアーノの歌声もソウルフルだが、ストリングスをバックにギターの弾き語りで聞かせる「ファースト・オヴ・メイ」は、バリーのオリジナル以上に哀感をたたえて、素晴らしく感動的だ。

 ステイプル・シンガーズの「ギヴ・ア・ハンド・テイク・ア・ハンド」は、後にビー・ジーズがセルフ・カヴァーした曲(『ミスター・ナチュラル』)だが、やや生硬な後者に比べ、しなやかなコーラスなど堂に入ったゴスペル調で、まるで教会堂で聞いている感覚になる。

 これに対し、サーチャーズの「スピックス・アンド・スペックス」のハード・ロック・ヴァージョンは、騒々しいアレンジと投げやりなヴォーカルが大変下品で、大変痛快だ。

 ルーファスやキャンディ・ステイトンによる『メイン・コース』からのカヴァーになると、いかにも70年代のソウル・ディスコ風で小気味よい。イギリスではビー・ジーズのオリジナルがさっぱりだった「ナイツ・オン・ブロードウェイ」が、ステイトンのカヴァーでヒットしたのは、おしゃれなアレンジが受けたのだろう。

 タヴァレスやディオンヌ・ウォーリクのカヴァーは、あまり有難みを感じなかったが、サマンサ・サングの「エモーション」は、CD時代になって手に入れづらくなったので、うれしかった覚えがある。リタ・クーリッジも、「ワーズ」をカヴァーしたという情報は聞いていたので、ここで聞けたのはよかった。クーリッジらしい凛とした歌声が印象的。

 本アルバムの白眉は、エレイン・ペイジの「シークレッツ」とレオ・セイヤーの「ハート」だろう。とくに前者は1980年代のギブ兄弟の傑作のひとつで、ディスコ・ソウル時代を経て、まだ、こんな60年代のブリティッシュ・フォークのようなメロディを書けるとは、本当に驚異だ。

 ジミー・ソマーヴィルのファルセットを使ったカヴァーは1993年当時の最新ヒット(全英8位)で、ニーナ・シモンがヒットさせたヴァージョン(1968年に全英5位)を差し置いて、そのB面だった「アイ・キャント・シー・ノウバディ」を本アルバムに収録したのは、このソマーヴィルのヴァージョンを入れたかったからなのだろう。ビー・ジーズのカヴァー・アルバムのアイディアも、ソマーヴィルのヒットがきっかけだったのではないか。それでも、シモンとソマーヴィル両方の「トゥ・ラヴ・サムバディ」を聞き比べてみたかった。

 最後は、ビューティフル・サウスの「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」で、ほぼ原曲通りのカヴァーだが、ライヴらしいラフで迫力あるサウンドは、こちらもオリジナルにはない開放感がある。

 以上20曲、通して聴くのは結構しんどいが、いずれも聞きごたえのある作品が並んでいる。

 ビートルズの楽曲はビートルズで聞くに限るが、ビー・ジーズの作品は、それがいいのか悪いのかわからないが、オリジナルと違った特色あるヴァージョンが多い。このあと堤防が決壊したごとくあふれ出てくる何種類ものカヴァー集を聞いても、様々な時代の様々な歌唱とアレンジが聞けて面白い。何より、原曲の魅力を再確認できて、実に楽しい。

 

Melody Fair (US, 1994).

01 Jigsaw Seen, Melody Fair.

02 Young Fresh Fellows, Craise Finton Kirk Royal Academy of Arts.

03 Dramarama, Indian Gin and Whisky Dry.

04 Phil Seymour, The First Mistake I Made.

05 The Appleseeds, Exit, Stage Right.

06 The Idle Wilds, Kilburn Towers.

07 Kristian Hoffman, Lemons Never Forget.

08 Indian Bingo, My World.

09 Spindle, The Earnest of Being George.

10 Material Issue, Run to Me.

11 The Firstbacks, Turn of the Century.

12 Chris von Sneidern, You Know It’s for You.

13 The Movie Stars, I Can’t See Nobody.

14 Sneetches, UK, Mrs Gillespie’s Refrigerator.

15 Action Figure, Whisper Whisper.

16 Beri Rhoades, I’m Not Wearing Make-Up.

17 Nick Celeste, The Greatest Man in the World.

18 Baby Lemonade, How Deep Is Your Love.

19 Let’s Talk About The Girls, If Only I Had My Mind on Something Else.

20 Insect Surfers, Massachusetts.

21 Michael Nold, Horizontal.

 ジョセフ・ブレナンが、ビー・ジーズのトリビュート・アルバムで最良のものではないか[i]、と評価する一枚。インディーズの若手アーティストがカヴァーした楽曲集。この後、イギリスでビー・ジーズのカヴァー・ブームが到来して、若手ミュージシャンがこぞって彼らの楽曲を取り上げることになるが、その先駆けとなったようなアルバム。

 これもブレナンが指摘しているが、ビー・ジーズのよく知られたヒット曲ではなく、アルバム収録曲が大半を占めている。ヒット曲というと、「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」と「マサチューセッツ」、あとは「マイ・ワールド」と「ラン・トゥ・ミー」ぐらいで、他は、「キルバーンタワーズ」とか「ホリゾンタル」のような意外な選曲が並んでいる。それも大半が60年代の楽曲で、(『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の曲などで)安易に受けを狙いにいかないところが、大変よろしい。

 アルバム・ジャケットもそれなりに凝っていて、遊園地のメリー・ゴー・ラウンドが描かれている。もちろんアルバム・タイトルにちなんだデザインだが、1曲目のその「メロディ・フェア」は、アップ・テンポのハード・ロック・ヴァージョン。『オデッサ』の2009年版[ii]に収められていた初期ヴァージョンも、完成版よりテンポの速いフォーク・ロック風だったが、こちらはそれをも蹴散らすほどの迫力で突っ走る。それでも基本的にはオリジナルを踏襲して、メロディを活かしたカヴァーになっている。ベースの音がモーリスに似せてるように聞こえるところも面白い。

 2曲目のヤング・フレッシュ・フェロウズもほぼ原曲どおりの進行だが、やたら強面のクレイズ・フィントン・カークでおっかない。しかし、歯切れ良いヴォーカルと演奏は、オリジナルとはまた別の硬質な味わいがある。

 続く「インディアン・ジンとウィスキー・ドライ」もサイキデリック風な味をうまく取り入れてカヴァーしている。この後のスピンドルなどもそうだが、ビー・ジーズの初期の楽曲は、ポップなメロディと感覚的な歌詞で、若手アーティストが自分たちの好みで料理しやすい恰好の素材なのだろう。

 フィル・シーモアの「ザ・ファースト・ミステイク・アイ・メイド」は本アルバムでも聞きもののひとつで、ほぼオリジナル通りのテンポやアレンジだが、毅然としたヴォーカルの魅力でイメージを一新したかのようだ。曲の良さを活かしているという点では、オリジナル以上かもしれない。

 「イグジット・ステージ・ライト」は英米デビュー以前のオーストラリア時代の曲だが、もともとビートルズの「ティケット・トゥ・ライド」に影響されたかのような楽曲なので、とんでもない勢いで突っ走る。パンク風のアレンジにはピッタリだろう。

 アイドル・ワイルズの「キルバーンタワーズ」も原曲のボサ・ノヴァ風味を残したアレンジで、オリジナルほどストリングスが前面に出ていないが、逆にギターとボンゴが強調されて郷愁を深めている。

 クリスチャン・ホフマンの「レモンズ・ネヴァー・フォゲット」は、最初「ジャンボ・セッズ・・・」と始まるので、題名間違えてるじゃん、と一瞬思うが、ワン・コーラス歌うと、突如「レモンズ・ネヴァー・フォゲット」に変わる。それが終わったかと思うと、今度は「ダウン・トゥ・ア~ス」と歌い始めるので、ブレナンが書いているように三曲(Jumbo/Lemons Never Forget/Down to Earth)のメドレーになっている[iii]。やはり「レモンズ・ネヴァー・フォゲット」が聞きごたえがあるが、凝った構成は本アルバムの目玉のひとつだろう。

 インディアン・ビンゴの「マイ・ワールド」は割とオーソドックスなカヴァーで、リード・ヴォーカルが原曲以上にドラマティックに歌い上げて、ライナー・ノウツに書かれているように、ウォーカー・ブラザースを連想させる[iv]

 「ジ・アーネスト・オヴ・ビーイング・ジョージ」もまたビー・ジーズのサイキデリック時代の楽曲だが、こういったナンバーは若手バンドからはクールだと思われているのだろうか。途中のブレイクなども原曲どおりだが、サウンドは90年代のパワフルなバンド・サウンドである。

 「ラン・トゥ・ミー」もオリジナルを尊重したカヴァーで、ビー・ジーズよりラフだが、ハーモニーを中心としたアレンジで、コーラス・ワークが魅力なのは同じだ。

 ザ・ファーストバックスのカヴァーは、ギター・サウンドによる「ターン・オヴ・センチュリー」でやたらとノイジーで騒々しいが、原曲のメロディは壊していない。

 「ユー・ノウ・イッツ・フォー・ユー」も、原曲より威勢がよくてワイルドだが、後半のスキャットにエコーをかけたり、ラストの「ドゥドゥドゥドゥドゥドゥ」のコーラスもオリジナルをそのまま取り入れているので、もともとのメロディの良さを認識できる。オリジナルの繊細さより、爽快感あふれるカヴァーとなっている。

 続く「アイ・キャント・シー・ノウバディ」はニーナ・シモンの出色のカヴァーがあるので、若いシンガーが個性を出すのは難しそうだが、ザ・ムーヴィー・スターズの特徴は、バンド・サウンドで女性のリード・ヴォーカルというところだろうか。シモンを意識したかのような落ち着いたヴォーカルと男性コーラスが組み合わさって、なかなかの出来だ。最後のコーラスの歌詞が「ユー・ドント・ノウ・ホワット・イッツ・ライク」になっていて、ニヤリとさせる。やはり、この二曲(To Love Somebody/I Can’t See Nobody)は似ていると思われているらしい。

 「ミセス・ガレスピーズ・リフリジレイター」は、ビー・ジーズのオリジナルは未発表だったので、厳密にはビー・ジーズのカヴァーではないのだが、現在では『ホリゾンタル』の2006年版で紹介されている[v]。こちらもサイキデリック風ナンバーで、こういった作品は若手バンドには本当に好まれているらしい。

 アクション・フィギュアの「ウィスパー・ウィスパー」は、かなり大胆にアレンジしているが、発表から25年目にして、ようやくこの曲にピッタリのアレンジに出会ったような気がする。といっても、所詮大した曲ではないのだが。本作もサイキデリック風の曲だったのだと再認識させてくれるカヴァーである。

 しかし何といっても、本アルバムの最大の話題は、ベリ・ローズの「アイム・ノット・ウェアリング・メイクアップ」だろう。何しろ、ギブ兄弟の姪が歌っており、バリー・ギブがバック・コーラスを担当しているのだから(それなら、ビー・ジーズのオリジナルじゃん)。ところが、このアルバムのなかで聞くと、一番ビー・ジーズらしくない浮いた曲に聞こえるのが逆説的で何とも面白い。まるでものまねコンテストに真似された本人が出場しているみたいだ(どういう例えだ)。

 楽曲としては、バーブラ・ストライサンド以来の女性シンガーに書いたバラードの系列で、ダイアナ・ロスや、バリーとオリヴィア・ニュートン=ジョンのデュエット曲のように、複雑にメロディが絡まっていって覚えにくい、でも、美しい旋律をもった佳曲である。熟成されたメロディとアレンジで、他の曲と比べても圧倒的に洗練されている。

 ニック・セレストの「ザ・グレーティスト・マン・イン・ザ・ワールド」も『トラファルガー』収録のオリジナルをベースに、よりアコースティックなアレンジを施しているが、やはりヴォーカルの魅力で聞かせる。

 一転して、ベイビー・レモネイドの「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」は、「メロディ・フェア」同様のハード・ロック・ヴァージョンで、「君の愛の深さはどれくらいだい?」と部屋の隅に追い詰める勢いですごんでくる。しかし、ヴォーカルやハーモニーの雰囲気は原曲からそれほどはずれておらず、コーラスの魅力を活かしている。本アルバムでは、唯一「フィーヴァー時代」からの選曲。

 次は、これが初のカヴァーではないかとも思える「イフ・オンリイ・アイ・ハッド・マイ・マインド・オン・サムシング・エルス」(長いなあ)。個人的にお気に入りなので、思わずニコニコしてしまうが、ビー・ジーズ・ヴァージョンよりどことなく歌謡曲っぽい?朗々としたヴォーカルは、ライナー・ノウツによると「ブライアン・ウィルソンのようにも聞こえる」[vi]とあるが、そうなのか。「マイ・ワールド」などと似た印象なので、ウォーカー・ブラザース風とも思える。

 次の曲も、ある意味、本アルバムで注目のカヴァー。何とびっくり、サーフィン・インスト版「マサチューセッツ」という荒業である。これこそビーチ・ボーイズみたい、いやヴェンチャーズか。波乗り気分のギターに乗せて哀愁のメロディが駆け抜けていく。まるで一発芸のようなカヴァーだ。

 ラストもあっと驚く「ホリゾンタル」のカヴァーでさよなら。よくこんな曲を選んだなあ、と思うが、やはりサイキデリック風なところが興味を引くのだろうか(本来、アンチ・サイキデリックの曲だそうだが[vii])。しかし、サウンド主体の曲だと感じていたが、このマイクル・ノウルドのヴァージョンを聞くと、意外にヴォーカルの力で聞かせる曲だったことがわかる。これも興味深いカヴァーだ。

 最初聞いたときは、なんかスゲェ曲ばっかりだなあ、と思ったが、後味は悪くなかった。何度か聞き返しても感想は変わらない。スゲェけど、悪くない。ブレナンのいうとおり、ビー・ジーズのカヴァー集のベストかもしれない。

 

[i] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1994.

[ii] Bee Gees, Odessa (2009), Disc 3.

[iii] Gibb Songs, Version 2: 1994.

[iv] Melody Fair (1994).

[v] Horizontal (2006), Disc 2.

[vi] Melody Fair (1994).

[vii] アーロン・スタンフィールド「ビー・ジーズがアンチ幻覚芸術コンサート」『ヤング・ミュージック』(1968年6月号)、100頁。

ビー・ジーズ1997

 1997年は、ビー・ジーズにとっても、ファンにとっても、思い出深い年となった。

 1月に「ジ・インターナショナル・アーティスト・アウォード」(アメリカ)、2月に「ザ・ブリティッシュフォノグラフィック・インダストリ・ライフタイム・アチーヴメント・アウォード」(イギリス)などの、よくわからない賞(無知ですいません)を軒並み受賞したらしい。5月には「ザ・ロックン・ロール・ホール・オヴ・フェイム」の殿堂入りを認められた[i]

 これらの受賞を受けて発表されたアルバム『スティル・ウォーターズ』は、イギリスでは2位にランクされ、長らく低迷していたアメリカでも11位まで上昇して、実に1979年の『スピリッツ・ハヴィング・フロウン』以来のオリジナル・ヒット・アルバムとなった。シングルの「アローン」もイギリスで5位となって、「シークレット・ラヴ」、「フォー・フーム・ザ・ベル・トウルズ」以来、90年代では3曲目のトップ・ファイヴを達成し、アメリカでも28位に到達した。あの栄光の70年代とまではいかないものの、アメリカにおいても久々にビー・ジーズが脚光を浴びることになった。

 風向きの変化が何によるものなのかは知らないが、日本にいても感じたのは、イギリスにおけるビー・ジーズの楽曲人気の高まりである。1993年頃からトリビュート・アルバムが出始め、1996年になると、テイク・ザットの「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」、ボーイゾーンの「ワーズ」のカヴァーがチャート1位を獲得して、一気にビー・ジーズのカヴァー・ブームが到来することになる。毎年のようにトリビュート・アルバムが発売され、2000年代にいたるまでビー・ジーズのカヴァー曲がヒット・チャートを席巻するようになった。若手アーティストからはレジェンド・バンド扱いされるようになり、国民的音楽グループとして認められるようになるのも、この頃のことなのだろう。

 1963年のオーストラリアでのデビューから、いや、それ以前から、ギブ兄弟が音楽界で目指してきたであろう夢、最高のソングライティング・コーラス・グループになるという目標がついに達成された。

 

ビー・ジーズ「アローン」(Alone, 1997.2)

01 Alone

02 Closer Than Close

03 Rings Around the Moon

 アルバムを参照。

 

ビー・ジーズ『スティル・ウォーターズ』(Still Waters, 1997.3)

 『サイズ・イズント・エヴリシング』以来4年ぶりのアルバム。しかし、本当は、1995年に『ラヴ・ソングズ(Love Songs)』というアルバムの発表予定があったのだという[ii]。実際に『ラヴ・ソングズ』は2005年にベスト・アルバムとしてリリースされている[iii]が、もともとは既発表曲にセルフ・カヴァーを加えたアルバムとして構想されていたらしい。2001年発売のベスト盤『レコード(The Record)』に収録された「エモーション」と「ハートブレイカー」は、このアイディアに則って1994年にレコーディングされたものなのだという[iv]。このコンピレーション・アルバムには、新曲も収録する予定で、上記のセルフ・カヴァー曲と同時期に録音されたのが、『スティル・ウォーターズ』のボーナス・トラックとして入っている「リングズ・アラウンド・ザ・ムーン」と「ラヴ・ネヴァー・ダイズ」だったのだそうだ[v]。これら2曲が未発表アルバム用に録音されたという話は伝え聞いていたが、まさかこのような企画アルバムとは知らなかった。今になって思うと、ぜひとも完成させておいてほしかった。「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・ビー・ユア・エヴリシング」とか「エイント・ナッシング・ゴナ・キープ・ミー・フロム・ユー」(渋すぎるか)なども、やっていてくれたら面白かったのだが。

 結局、『ラヴ・ソングズ』は完成しなかったが、同じ1994年に、ギブ兄弟は、やがて『スティル・ウォーターズ』となるアルバム用に新しい曲を書き始めたらしい。かなりの時間をかけて、兄弟だけでデモ音源を完成させると、それらを1996年になって、複数のプロデューサーに依頼してファイナル・ヴァージョンに仕上げていったようだ。この複数のプロデューサー起用というのが、『スティル・ウォーターズ』の第一の特徴で、ラス・タイトルマン(「アローン」、「マイ・ラヴァーズ・プレア」、「スモーク・アンド・ミラーズ」)、デイヴィッド・フォスター(「アイ・サレンダー」、「アイ・クッド・ナット・ラヴ・ユー・モア」)、ヒュー・パジャム(「スティル・ウォーターズ・ラン・ディープ」、「イレジスティブル・フォース」、「ミラクルズ・ハプン」)、ラファエル・サーディク(「ウィズ・マイ・アイズ・クローズド」)、そしてアリフ・マーディン(「アイ・ウィル」、「オブセッションズ」)と、何と5人のプロデューサーを選んで、さらに没になったが、もう一組にもオファーしたらしい[vi]。1曲のみ、「クローサー・ザン・クロース」が、ギブ兄弟だけによるプロデュース。

 時間もだが、多分、人件費でいうと、これまでで一番お金のかかったアルバムなのではないか。何しろ、フォスターとか、パジャムとか、超売れっ子プロデューサーたちに依頼しているのだから、ひとりに依頼するより、総額で何倍にもなったのではないだろうか(貧乏性なので、というか、本当に貧乏なので気になる)。そういえば、ムーディ・ブルースの『キーズ・オヴ・ザ・キングダム(Keys of the Kingdom)』(1991年)というアルバムも複数のプロデューサーを起用して一枚のアルバムを制作していたが、このやり方が流行っていたのだろうか。

 もっともCD解説の湯川れい子氏が紹介しているように、これ以上は手を加えられないというほど完成されたデモ・ヴァージョンをつくっていた、とのこと[vii]で、それなら、一体何のための大物プロデューサー起用だったのか、首を傾げる。『リヴィング・アイズ』のときのように、一度ぜいたくをしてみたかったのか、それともビー・ジーズへの注目度が高まっていることを感じとっての話題づくりの一環だったのか、あるいは完璧なアルバムをつくろうとしたのか(そう試みて実現したことは一度もないが)?ジョセフ・ブレナンなどは、有名プロデューサーを起用したのは無駄だったのではないか、とさえ言っている[viii]。彼らの真意はわからないが、『スティル・ウォーターズ』がたっぷりと時間と金をかけて完成されたことだけは確かなようだ。

 肝心の中身のほうは、前作『サイズ・イズント・エヴリシング』をさらにポップに、ソフトにした印象である。とくに、これまで以上にコーラスが強調されて、ア・カペラ・コーラスが複数の曲で活用されているのも特徴的である(「アイ・サレンダー」、「スティル・ウォーターズ・ラン・ディープ」など)。メロディアスなバラードが増えて、その意味でも、ビー・ジーズの本領発揮といえる。『E・S・P』以降では最高のアルバムと言ってよいだろう。

 

01 「アローン」(Alone, B, R. & M. Gibb)

 モーリスのバグパイプのようなシンセサイザー[ix]とギターによるスペクター・サウンド[x]イントロで始まるミディアム・テンポのポップ・ナンバー。というか、このイントロ、中島みゆきの「あした」(1989年)という曲のイントロとよく似ているのだが、ギブ兄弟は中島みゆきのファンなのだろうか。

 バリーのファルセットのヴァースから、ロビンのこちらもファルセット気味のコーラスへ、「フォー・フーム・ザ・ベル・トウルズ」同様、バリーとロビンのトゥイン・ヴォーカルによる定番のビー・ジーズ・スタイル。「ラン・トゥ・ミー」を思い出す。

 ゆったりとしたリズムに乗ってキャッチーなメロディが最初から最後まで流れ続けるビー・ジーズらしいポップ・バラードだが、サビは、ビー・ジーズならもっとよいメロディが書けたのではないかな(実際、「フォー・フーム」に似てるし)。

 イギリスでは18曲目の、そして結果的に最後のトップ・テン・ヒットとなった[xi]

 

02 「アイ・サレンダー」(I Surrender, B, R. & M. Gibb)

 いきなりア・カペラ・コーラスで始まる「ダンス・トラック」[xii]。コーラス中心のため、『ハイ・シヴィライゼーション』や『サイズ・イズント・エヴリシング』のときのような強烈なパーカッション・サウンドではなく、ソフトな印象だが、ダンス・ビート、あるいはむしろロックを感じさせる作品。

 考えてみると、これがビー・ジーズ流ロックの完成形なのかもしれない。若手ヴォーカル・グループのスタイルに影響されているようにも思える。

 

03 「もうこれ以上愛せないほど」(I Could Not Love You More, B, R. & M. Gibb)

 「アイ・サレンダー」とともにD・フォスターのプロデュース曲。

 『E・S・P』以降のバリーに特有のモゾモゾしたメロディと歌いまわしで始まるバラード。しかし、サビのコーラスは聴き手の急所を的確にくすぐってくる絶妙なメロディで、かすかに重なるロビンの声が情感を添える。

 イギリスでは第二弾シングルとしてリリースされたが14位に終わった。とはいえ、旧来のファンにとっては、本アルバム中で、もっともよく彼らの魅力を伝えてくれるナンバーのひとつだろう。

 

04 「スティル・ウォーターズ・ラン・ディープ」(Still Waters Run Deep, B, R. & M. Gibb)

 こちらもコーラス・ワークを中心としたカントリー・タッチのバラード。

 最初に聞いたとき、「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」に似た感じを受けて、シングルでいけるのでは、と思ったが、その後、本当にシングル・リリースされた。もっとも、アメリカで57位、イギリスでも18位どまりで、予想が当たったのに残念な結果だった。ヴァースのあとの中間部など、いかにもバリーらしい旋律で、「マイ・エターナル・ラヴ」のセカンド・ヴァースのどこか不思議なメロディを連想させる。

 ア・カペラを交えた息の合ったコーラス、アルバム・タイトルになっているところを見ても、アルバムを代表する楽曲とみてよいだろう。

 

05 「恋する者の祈り」(My Lover’s Prayer, B, R. & M. Gibb)

 続いてもバリーがファルセットでソロを取るバラードだが、前曲のカントリー風とは異なり、70年代のソウル・バラードの雰囲気。「リーチング・アウト」あたりに近いが、こちらは三拍子のワルツ。よどみなく流れる、どこか荘重なメロディは、クリスマス・キャロルのような、はたまた讃美歌のように聞こえて、自然と聞き手の耳から心へと入り込んでくる。

 2003年にロビンがアリステア・グリフィンとともにレコーディングし[xiii]、2005年のライヴ・アルバムでも披露している[xiv]

 

06 「瞳を閉じて」(With My Eyes Closed, B, R. & M. Gibb)

 1987年以降のビー・ジーズ楽曲のタイプのひとつである神秘的なサウンド・アレンジの曲だが、『サイズ・イズント・エヴリシング』までのぶん殴るようなパーカッション・サウンドではないので、ひときわエグゾティックで繊細な手触りを感じる。

 バリーのリードだが、ブレナンが指摘しているように[xv]、バックのロビンのコーラスのメロディが素晴らしく印象的で、楽曲に個性を与えている。

 アルバムのなかでは恐ろしく地味だが、存在感はなかなかだ。

 

07 「イレジスティブル・フォース」(Irresistible Force, B, R. & M. Gibb)

 まるでジェット・ストリームのようなポップ・ロック・サウンドに乗せて、ロビンがリード・ヴォーカルを取る。『ハイ・シヴィライゼーション』の「ゴースト・トレイン」を思い出させるが、あんなに威勢よくはなく、アップ・テンポの割には落ち着いた雰囲気。

 全体のちょうど折り返し、アナログ・レコードならB面最初の曲になるということで、ブレナンの「アルバムのハイライトの一曲」[xvi]という言葉も頷ける。間奏の一気に音が広がるアレンジもいいし、サビのメロディも美しい。

 

08 「もっと近くに」(Closer Than Close, B, R. & M. Gibb)

 朝のゴミ出しのようにというか、ルーティーンのごとく一曲は入るモーリスのリード・ヴォーカル・ナンバー。といっても、キャッチーなコーラス部分はバリーのリードなので、もうちょっと歌わせてあげて。

 ブレナンの分析によると、モーリスはあまり表に出る気がないので、本曲のレコーディングもさっさと済ませようとした。それで、この曲だけ兄弟三人によるプロデュースなのだろう、という[xvii]。そうなの?

 曲自体、「ウィズ・マイ・アイズ・クローズド」に似かよっていて、あまり目立つ作品ではないが、うまくまとまって仕上がり具合はいい。

 

09 「アイ・ウィル」(I Will, B, R. & M. Gibb)

 ここからは、とくにメロディアスなポップ・バラードが続く。「アイ・ウィル」はロビンのヴォーカルで始まるが、聞きものはやたらと調子のいいキャッチーなコーラスである。本当に無邪気なまでに分かりやすいメロディで、みんなで輪になって踊っているような。なんだかんだ言って、やっぱり昔と変わらないなあ、としみじみ感慨にふけってしまう。

 この曲と次の「オブセッションズ」は、一足早く1995年にアリフ・マーディンと作り上げたらしい[xviii]。全曲マーディンとやっても、よかったんじゃないの(新鮮味がないか)?

 

10 「オブセッションズ」(Obsessions, B, R. & M. Gibb)

 イントロが、「スティル・ウォーターズ・ラン・ディープ」のセカンド・ヴァースのような、バリー好みのメロディで、そのままバリーがリードを取って始まる。「アイ・ウィル」より、ややロック調だが、バリーらしいせせこましい早口で前のめりに歌い継ぐお馴染みのスタイル。しかし、曲はなかなかいい。イントロのメロディがそのまま中間部で使われるのだが、曲の後半でバリーが歌うスキャットはメロディアスというか、なんだかダサい・・・。

 ブレナンによると、「アイ・ウィル」とこの曲のテーマは、「ハイ・シヴィライゼーションの続編のような「ストーカーの純愛」なのだという[xix]。そんな粘着質な性格だったのか、彼らは。

 

11 「ミラクルズ・ハプン」(Miracles Happen, B, R. & M. Gibb)

 「ミラクルズ・ハプン」は、アメリカの有名なクリスマス映画『三十四丁目の奇蹟』(1947年)のリメイク版(『34丁目の奇跡』、1994年)の主題歌として書かれたのだという[xx]。なるほど、それでこのタイトルで、少年合唱団のコーラスが入っているのね。

 仕事の速いギブ兄弟は、早速本曲を完成させて納品したそうだが、結局製作者側が既存のクリスマス・ソングを使うことにして、ビー・ジーズの曲はボツになったそうだ[xxi]。何てことをしてくれるんだ!

 もっとも「ミラクルズ・ハプン」の出だしは、なんか悲壮感があふれていてクリスマス映画らしくないような・・・。もうちょっと、なごやかな明るい雰囲気で始めるべきだったのでは。

 しかし、メロディは美しく、とくにコーラスは、確かに映画主題歌に相応しい感動的な盛り上がりを見せる。注文に即座に応じて、しかもわざとらしくないメロディをつくれるのは、やはり彼ららしい。

 

12 「スモーク・アンド・ミラーズ」(Smoke And Mirrors, B, R. & M. Gibb)

 ラストの曲は、タイトルからして、ひときわミスティックな雰囲気を漂わせる。

 「異なるメロディを組み合わせて作られた野心的な作品」[xxii]というのがブレナンの評価だが、確かに、ヴァースを歌うロビンとコーラスのバリーとが対話しているような構成で、不思議な触感がアレンジからも伝わってくる。

 傑作かといわれると躊躇するが、アルバムを締めくくる楽曲としては適切だろうか。少なくとも、かつての「スウィート・ソング・オヴ・サマー」(『トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン』、1972年)などに比べれば。

 

13 「リングズ・アラウンド・ザ・ムーン」(Ring Around the Moon, B, R. & M. Gibb)

 『スティル・ウォーターズ』を始めて聞いたときに、もっとも引き込まれたのがボーナス・トラックのこの曲だった。「リングズ・アラウンド・ザ・ムーン」というタイトルも含めて、何とも幻想的なメロディがビー・ジーズとしては新鮮だった。恐らく、これもアイリッシュ・フォークの影響なのだろうが、サビのバリーのヴォーカルに重なるロビンとの輪唱のようなコーラスが何より美しい。

 彼らの声が途絶えた後の間奏では、楽器の音は鳴っているのに何も聞こえていないような静寂さを覚えて、聞いているうちに眠たくなってしまう(おいおい)。

 ところで、本曲でのロビンのリード・ヴォーカルをバイオグラフィではgreat crying lead vocal[xxiii]と書いている。やっぱり悲鳴のように聞こえるんですね。

 

14 「愛は不死身」(Love Never Dies, B, R. & M. Gibb)

 ラストの曲も1994年録音の作品で、前曲に続きロビンがリードを取るミディアム・テンポのポップ・ナンバー。

 投げやりな邦題と同様、歌い出しはあまり面白くなさそうな地味なメロディだが、サビに入ると突如としてロビンの声が天空高く舞い上がり、そのまま上昇気流に乗ってどこまでも駆け上がっていく。おーい、戻ってこい。

 それに続くのが、モーリスの無関心そうなヴォーカルで、一切関わりたくないというクールな雰囲気で歌い継いでいく。この息の合った(?)対比の妙はさすがに双子の兄弟だ。

 ラストの二曲、まったく別な時にレコーディングされたので、ボーナス・トラック扱いになったのは仕方がないとはいえ、アルバム本編に劣らぬ充実ぶりで、『スティル・ウォーターズ』は、満足すべきエンディングを迎える。どうやら二曲とも入っている盤は日本を含めた少数の地域だけらしい[xxiv]ので、大変得をした気分である。

 

 ビー・ジーズにとって最後が7の年はラッキーな場合が多い。1967年にデビューして「マサチューセッツ」がイギリスで1位になった。7がダブルの1977年は『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』のリリースされた年で「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」がアメリカで1位になっている。1987年は「ユー・ウィン・アゲイン」がイギリスで1位。そして1997年は、ナンバー・ワンこそなかったが、『スティル・ウォーターズ』がイギリスで2位まで上昇した。まさにラッキー・セブンだ。

 

[i] J. Brennan, Gibb Songs Version 2, 1997.

[ii] Gibb Songs, 1994; Melinda Bilyeu, Hector Cook and Andrew Môn Hughes, The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb (New edition, Omnibus Press, 2001), p.623.

[iii] Bee Gees, Love Songs (Polydor, 2005).

[iv] Gibb Songs, 1994; The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.623.

[v] Gibb Songs, 1994.

[vi] Gibb Songs, 1996; The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.629. 「スティル・ウォーターズ・ラン・ディープ」ともう一曲(未発表)がPMドーン(知らなかったが、ヒップ・ホップ・グループだそうだ)のアトレル・コーズとジャレット・コーズのプロデュースによって録音されたという。しかし、この後、ヒュー・パジャムのプロデュースで再録音された。

[vii] ビー・ジーズ『スティル・ウォーターズ』(1997年)。

[viii] Gibb Songs, 1996.

[ix] Gibb Songs, 1996; The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.628. バイオグラフィではオルガンとなっている。

[x] バイオグラフィでは、言われてみるとなるほどとも思うが、ブルース・スプリングスティーン風だと書いてある。The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.628.

[xi] 1960年代に6曲(バリーとモーリスによる「ドント・フォゲット・トゥ・リメンバー」を含む)、70年代に8曲、80年代に1曲、90年代に3曲となった。

[xii] Gibb Songs, 1996.

[xiii] グリフィンは、ロビンが審査員を務めたテレビ番組のコンペティションで優勝した歌手だという。Gibb Songs, 2003.

[xiv] Robin Gibb with the Philharmonie Frankfurt Orchestra Live (Eagle Records, 2005).

[xv] Gibb Songs, 1996.

[xvi] Ibid.

[xvii] Ibid.

[xviii] Gibb Songs, 1995.

[xix] Ibid.

[xx] Gibb Songs, 1994.

[xxi] Ibid.

[xxii] Gibb Songs, 1996.

[xxiii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.628.

[xxiv] Ibid., p.630.

ビー・ジーズ1993

ビー・ジーズ「ペイイング・ザ・プライス・オヴ・ラヴ」(Paying the Price of Love, 1993.8)

1 「ペイイング・ザ・プライス・オヴ・ラヴ」(B, R. & M. Gibb)

 アルバム参照。

 

2 「マイ・ディスティニー」(My Destiny, B, R. & M. Gibb)

 1980年代以降、ビー・ジーズが得意としてきたダサいロック・ナンバー。

 いきなり最初から元気はつらつといった感じで、わかりやすい曲調とやたらと陽気なコーラスで、なかなか快調な出来。可もなく、不可もなし、いや、それよりはもうちょっと上か。

 とくに、サビの「マイ・デスティニ~」のコーラスは、なかなかあとを引く(納豆みたいに)。

 

ビー・ジーズ『サイズ・イズント・エヴリシング』(Size Isn’t Everything, 1993.9)

 ビー・ジーズのアルバム・タイトルは、大体においてわかりやすい。収録曲のタイトルがそのままアルバム・タイトルとなっている場合が大半である。なかには、『キューカンバー・キャッスル』(Cucumber Castle, 1970)のように、タイトル曲が収録されていないというヘンなアルバムもあるにはあるが(実際は、曲名から発案したテレビ番組のタイトルをそのまま使用したからだが)。

 だが、ときどき妙なアルバム・タイトルが現れるのも事実で、『トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン』(To Whom It May Concern, 1972)が適例だろう。『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』(Life In A Tin Can, 1973)や『メイン・コース』(Main Course, 1975)も収録曲とは別のタイトルを採用しているが、意味はわかりやすかった。

 ところが、ついにまた頭をひねる不可解なアルバム・タイトルが登場した。それが『サイズ・イズント・エヴリシング』である。

 「サイズがすべてではない」、とは?何やら怪しげな、いや、きわもの的雰囲気を醸し出しているが、モーリスによると、「表紙で本を判断しないでくれ」という意味らしい。ビー・ジーズのこともイメージだけで判断しないで、音楽を聴いてほしい、ということのようだ[i]。な~んだ。でも、本当かあ!?

 アルバムのトーンは、前作に引き続きフェミ・ジヤをエンジニアに迎えて、強烈なビートと無機質的サウンドが特徴となっている。バイオグラフィでは「クリスプ・サウンド(crisp sound)」と評されている[ii]が、なるほどね。確かにパリパリ、カリカリする。いや、バリバリ、ガリガリか。しかし、内容自体は、前作『ハイ・シヴィライゼーション』から一転、随分ポップになって親しみやすい。『E・S・P』から始まったロック路線から、本来のビー・ジーズの路線に戻った感じである。しかし、上記のように、サウンドは一緒なので、何というか、ハード・ポップないしはヘヴィ・メタル・ポップとでも言いたくなるようなアルバムだ。

 日本盤の解説では、ギブ兄弟によるアルバムおよび収録曲についてのコメントが紹介されているが、それによれば、ここ数年のアルバムがヘヴィすぎたので、ファンが望んでいそうなコマーシャルな楽曲制作を心がけたのだという[iii]。確かに、最初聞いたときに、これこれ、と思ったのを思い出す。なつかしのポリドール・レコードに復帰して、それはもちろん、1960年代に戻るわけもないのだが、わかりやすく心に響くメロディを、あのちょっと重いハーモニーで聞かせる、これぞまさにビー・ジーズ!最後の黄金時代の始まりである。

 

1 「ペイイング・ザ・プライス・オヴ・ラヴ」(Paying the Price of Love, B, R. & M. Gibb)

 「ヘヴィ・パーカッション・サウンド」に「ヒップホップのリズム」を組み合わせたという[iv]。ハンマーでぶっ叩かれるような音は心臓に悪く、聞くたびに胸がドキドキする(なら、無理して聞くなって?)。

 ヴァースは例によってバリーのぼそぼそヴォイスだが、サビのドラマティックなメロディはビー・ジーズらしく、「トラジディ」あたりを思い出す。が、「愛の代償を支払う」という頭のフレーズはいいのだが、その後が期待したような必殺のメロディへと発展せず、歯がゆさが残る。「アルバムで一番のお気に入り」[v]という自己評価には、残念ながら賛同できない。英米での第一弾シングルで、アメリカで74位、イギリスで23位にランクされた。

 なお、ブリッジでは、かつての「ステイン・アライヴ」の頃のようなバリーの傍若無人なファルセットが爆発する。1987年の再スタート以来、やや抑え気味だったが、前作あたりから、そろそろまた発散したくてむずむずしていたらしい。

 ところで、日本盤では、「甘い経験」とか、「哀しみの家」とか、わけのわからない邦題が付いているが、シングルになった本曲はなんで原題のカタカナ表記そのままなの?

 

2 「キス・オヴ・ライフ」(Kiss of Life, B, R. & M. Gibb)

 こちらも耳を圧するような轟音が奔流のごとく押し寄せてくるナンバー。なんだか知らないが、すごい迫力で、横に整列したギブ兄弟がハモりながら猛スピードで追いかけてくる恐ろしい図が浮かぶ。しかも、いつの間にか追い越されて、駆け抜けていく三人の後ろ姿が遥か彼方に消え去るように曲が終わる。

 ロビンがリード・ヴォーカルを務める、まさにハード・ポップといった作品。それほどキャッチーなメロディというわけではないが、ロビンのソロ・アルバムのサウンドを発展させたような、しかし前曲以上に本アルバムのイメージを代表する曲だろう。

 

3 「甘い経験(パート1)」(How to Fall in Love, Pt.1, B, R. & M. Gibb)

 一転して、バリーが囁くように歌い出す。ムーディなサックスが点描され、高層ビルから夜景を眺めているような、まさに大人のバラードといったところか。年齢を重ねて、こうした、どこかジャジーな楽曲もこなせるようになった。

 「経験だけでは十分じゃない。どうやったら恋に落ちるのか、君に教えてあげよう」という決めのフレーズを中心にして、あとはその前後を色々くっつけて組み立てたかのような作曲法は、80年代後半以降の曲に顕著だが、最後、そのフレーズをこれでもか、と繰り返す。『ワン』の「ボディガード」もそうだったが、ややしつこ過ぎやしないか?

 

4 「オメガ・マン」(Omega Man, B, R. & M. Gibb)

 モーリスのヴォーカルによる一曲目は、作詞も彼主導なのだろう。チャールトン・ヘストンの主演映画からヒントを得た[vi]というが、『世界最後の男オメガマン』(The Omega Man、1971年)[vii]のことのようだ。

 ビートルズの影響で書いた[viii]、ともいい、八木 誠氏の指摘するように、どことなくコミカル[ix]で軽いタッチは、モーリスに合っている。飄々としたとぼけ具合が、ややシリアスだったアルバム前半の流れにアクセントを与えている。格別優れているというわけでもないが、なかなか楽しい作品だ。

 

5 「哀しみの家」(Haunted House, B, R. & M. Gibb)

 「幽霊屋敷」?また、こけおどしみたいなタイトル付けて、と思わないでもないが、『E・S・P』の「ギヴィング・アプ・ザ・ゴースト」、『ハイ・シヴィライゼーション』の「ゴースト・トレイン」に続く「ホラー三部作」の三曲目である(そんなシリーズはない)。しかも最初のタイトルはLamb to the Slaughter(屠所の羊)だったそうで[x]、サビのところで、この歌詞のバック・コーラスが執拗に繰り返される。聖書からの引用なのだろうが、怖いですぅ~。

 実際の詞の内容は、夫婦間の冷え切った関係ということのようで、なるほど「憑りつかれた家庭」ということか。しかし、バリーの気風(きっぷ)のよい歌いっぷりは、むしろ明朗で、あまり神経症的なピリピリした空気は伝わってこない(そんなものは伝わらないほうがよいが)。

 サビの「この古い家のなかで、わたしに憑りつかないでくれ」(!)というサビのコーラスも(歌詞に反して)なかなかキャッチーである。

 

6 「分かち合う恋」(Heart Like Mine, B, R. & M. Gibb)

 再びロビンのたゆたうようなリード・ヴォーカルで始まる、しめやかなバラード作品(幽霊屋敷に憑りつかれた人々のための鎮魂曲のような?)。エンヤなどのアイリッシュ・フォークの影響で書いたというが[xi]、確かに、間奏の軽やかだが重いミスティックなサウンドは、それまでのビー・ジーズのブリティッシュ・ポップとも一味違う感触を残す。

 後半では、バリーのファルセットがサビを歌い上げるが、この頃になると、ノーマル・ヴォイスとファルセットを自在に使い分ける歌唱スタイルを身につけたようだ。

 

7 「君のためなら」(Anything for You, B, R. & M. Gibb)

 ジョセフ・ブレナンの評価では、「アルバムのなかでは、軽い(取るに足らない)曲」の一言で片づけられている[xii]が、最初に聞いたときは、シングル向きではないか、と思った。

 要するに「ジャイヴ・トーキン」や「ワン」のようなダンス・ビート・ナンバーで、例によってバリーのささやきヴォイスで、しかもやけにハスキーでセクシーだ。

 三つのメロディをくっつけた単純な構成で、アレンジもシンプルなので、確かにたいした出来ではないが、アナログ・レコードならB面の1曲目あたりに位置するので、ギブ兄弟としては、ひょっとしたらいけるかも、と思っていたのではないだろうか。

 

8 「ブルー・アイランド」(Blue Island, B, R. & M. Gibb)

 これはまた意表を突かれた曲が登場する。ギターをバックにバリーがリードを取るフォーク・ソング。珍しくも、ボブ・ディラン(?)のようなハーモニカが入って、突然の意外な演出に面食らう。

 「旧ユーゴスラヴィアの子どもたちに捧げる」と献辞の付いた、彼らには珍しい政治的メッセージをテーマとした作品。しかし、こうした姿勢は「ユニセフ・コンサート」(1979年)などを通して一貫したものなので、単なる気まぐれでないことはもちろんである。

 青く美しい島というのは、彼岸もしくは天国のことだそうだ[xiii]が、「ブルー・アイランド」の一糸乱れぬハーモニーで終わるラストは、やはり感動的だ。

 

9 「高く、遠くに」(Above and Beyond, B, R. & M. Gibb)

 「チェイン・リアクション」(1985年)から始まったモータウンサウンド・シリーズの第三弾で、こういうタイプの曲としては珍しくモーリスがリード・ヴォーカルを取っている。この時期には、ルルに書いた同スタイルの「レット・ミー・ウェイク・アップ・イン・ユア・アームズ」(1993年)もあって、その点も何だか意味深長だが、モータウン(「恋はあせらず」)のリズムに乗せたブリティッシュ・ポップというビー・ジーズの新たな定番スタイルが確立したことをうかがわせる。

 モーリスの歯切れのよい軽やかなヴォーカルもこの曲を引き立てており、邦題は相変わらずの直訳調でテキトーだが、タイトル通り、どこまでも高く遠くにダイヴしていくような爽快感と高揚感は格別だ。青空に吸い込まれていくようで、聞くたびになんだかとってもウキウキする。

 個人的には、本アルバムで一、二を争うお気に入りなので、これ以上言うことはありません。

 

10 「誰がために鐘は鳴る」(For Whom the Bell Tolls, B, R. & M. Gibb)

 イギリスで第二弾シングルとして発売(11月)され、「シークレット・ラヴ」に続き、1990年代二枚目のトップ・ファイヴ・ヒット(4位)となった。久々のバラードのヒットである。

 アコースティックなギター・イントロに続くバリーのリードは例のひそひそヴォイスで、フォーク・カントリー?と思わせるが、サビを引き継ぐロビンの朗々たる歌声がドラマティックに響き渡ると、一気にスケール豊かなバラードへと一変する。

 ただ、サビのメロディは、かつてのような、これ以外にないという絶妙なものではなく、少し物足りないもどかしさも残る。ビー・ジーズとしては、そこまでの傑作とはいえないが、フォーキーなヴァースから劇的なコーラスへのダイナミックな展開が何より心に残る。波が砕ける岩場を舞台に三人が歌うプロモーション・ヴィデオも印象的だった[xiv]

 

11 「堕天使」(Fallen Angel, B, R. & M. Gibb)

 ラストは、ロビンがリード・ヴォーカルを取る、ペット・ショップ・ボーイズサウンドを「頂いた」ナンバー[xv]。モダン・ポップなサウンドは、確かにビー・ジーズらしからぬ都会的かつメカニカルな印象を与える。

 節操ないなあ、という気もするが、メロディはドライな感傷をたたえた、まさにロビン、まさにビー・ジーズという味わい。もっとも、出だしは、一瞬、「ジュリエット」が始まったのか?と思った。しかし、サビになると「キャロライ~ン」からのコーラスがパワフルでセンチメンタルで、60年代ブリティッシュ・ポップをモダン・ポップ・サウンドに乗せたスーパー・ポップ・ナンバーだ(何を言ってるのか、わかりません)。

 「サイズ・イズント・エヴリシング」は、最高の3曲のメドレーで幕を閉じる。私見だが、『リヴィング・アイズ』(1981年)以来の傑作アルバムと思う、いや、断言する。

 

12 「デカダンス~ユー・シュッド・ビー・ダンシング」(Decadance[xvi], B, R. & M. Gibb)

 ・・・もう一曲残っていた。ただし、ボーナス・トラックで、しかも「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」のニュー・ヴァージョンである。フェミ・ジヤらによる『サイズ』・サウンド版で、ヘヴィでパワフルなアレンジは大変やかましい。

 最初聞いたときには、こんなうるさくしなくともいいのでは、と思わずにいられなかったが、最近では、こうしたサウンドも普通になったせいか、それほど抵抗もなくなった。まあ、こんなのもいいんじゃないの、と寛容かつ鈍感になった私です。

 

[i] Melinda Bilyeu, Hector Cook and Andrew Môn Hughes, The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb (New edition, Omnibus Press, 2001), p.616.

[ii] Ibid.

[iii] ビー・ジーズ「サイズ・イズント・エヴリシング」(1993年)解説。

[iv] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.615.

[v] ビー・ジーズ「サイズ・イズント・エヴリシング」解説。

[vi] 同。

[vii] 地球最後の男オメガマン - Wikipedia。原作は、リチャード・マシスンの『地球最後の男』。って、「オメガ・マン」て『地球最後の男』だったのか!

[viii] ビー・ジーズ「サイズ・イズント・エヴリシング」解説。

[ix] 同。

[x] 同。

[xi] 同。

[xii] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1993.

[xiii] The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb, p.615.

[xiv] The Ultimate Bee Gees (Reprise Records, 2009), Disc 3.

[xv] ビー・ジーズ「サイズ・イズント・エヴリシング」解説。

[xvi] これを書いていて初めて気がついたが、「デカダンス(Decadance)」とは、いかにも狙って付けたタイトルですね。

ビー・ジーズ1991

ビー・ジーズ「シークレット・ラヴ」(1991.3)

A 「シークレット・ラヴ」(Secret Love)

B 「トゥルー・コンフェッションズ」(True Confessions)

 アルバムを参照。

 

ビー・ジーズ『ハイ・シヴィライゼーション』(High Civilization, 1991.4).

 1991年4月、1990年代になって最初の、そして通算17枚目のオリジナル・アルバム『ハイ・シヴィライゼーション』が英米で発売された。CD仕様でリリースされた初めてのアルバムでもあった[i]。収録時間にも余裕ができたせいか、11曲で何と60分を越える。ダブル・アルバムの『オデッサ』(1969年)とほとんど変わらない。せいぜい40分前後のLPレコードに慣れた耳には、結構こたえる。体力もいる。恐ろしい時代になったものだ(と、当時は思った)。その代わり、前作に付いていたボーナス・トラックはなし。おまけなしで、何だか損した気分?

 アルバム・ジャケットを見ると、ボーナス・トラックがない理由が何となくわかった。現代アート風というか、コラージュによるデザインで、ギブ兄弟三人の背後に、ビッグ・ベンやら、古代の石像やらが雑多にはめ込まれていて、他にエジプトのピラミッドやジェット戦闘機にコンドル、電気コードに黄金のキューピッドがフロッピー・ディスクを持っている。手前には殺到する群衆、という意味ありげな(そして実際には大した意味はなさそうな)ジャケットで、収録されている楽曲タイトルが「ハイ・シヴィライゼーショ(高度文明)」、「ダイメンションズ(多元世界)」、「ヒューマン・サクリファイス(人身御供)」、「トゥルー・コンフェッションズ(真実の告白)」、「エヴォル―ション(進化)」という具合。いかにも、やってやろうと言わんばかりのコンセプト・アルバムらしいが、しかし、そのなかには「シークレット・ラヴ」、「ハッピー・エヴァー・アフター(その後ずっと幸せに)」、「ジ・オンリー・ラヴ」などといった曲名が混じり、どうせトータル・アルバムなんていっても、いつも中途半端になるんだから、よせばいいものを、とつぶやいたのを思い出す。

 ところが、ジョセフ・ブレナンの分析を読むと、本当に(?)コンセプト・アルバムなんだという。確かに、日本版解説で矢口清治氏が、「愛の歌をより普遍性のあるメッセージ・ソングへと昇華させる術」[ii]を確立した、といった評価を述べていて(ファンの口から言うのもなんだが、ほめ過ぎじゃない)、「エヴォルーション」などの楽曲を指してのことなのだろうが、何かしらのテーマがありそうな見た目ではあった。ブレナンによると、本作のテーマは、「秘密の恋」で、それは主人公の頭の中にだけあるものかもしれず、相手の女性に対してさえ隠されたもので(要するに片思い?)、夢とも現実ともつかないものとして描かれる。すべての曲はこのテーマに沿って首尾一貫したものとして書かれており、唯一コンセプトと矛盾するかに見えるタイトル曲(とアルバム・ジャケット)も、彼が得たいと思っていたすべてがバラバラに崩壊してしまう、この現実の世界に対する怒りを表現しているのだという[iii]。えっ、てことは、つまり、サイコパスのストーカーによる純愛楽曲集というわけ?驚きいった話だ。しかし、だとすると、ついにビー・ジーズは最初にして最後のコンセプト・アルバムの完成にこぎつけたということになるのか。何と、素晴らしい!・・・のか?

 なるほど、歌詞を見ても、従来に比べて語数も多く、ストーリー性を感じないでもない。しかしまあ、この時期、兄弟は全員40歳を越えて、より思索的で内省的な歌詞を書いても不思議ではない年齢である。いつまでも「ぼくの世界はぼくらの世界。この世界は君の世界。君の世界はぼくの世界で、ぼくの世界は君の世界で、そしてぼくの世界」(My World, 1972)などと歌っている場合ではない。

 サウンド面に目を向けると、『E・S・P』、『ONE』と続くロック路線をさらに強化したかたちで、ビー・ジーズ全作中、もっともハードなアルバムと言ってよい。エンジニアは、プリンスなどを手掛けたフェミ・ジヤで、強烈なビートと鋼のようなパーカッションの響きは、確かに80年代前半までのビー・ジーズには見られなかったもので、90年代に即応しようとした試みであることはわかる。少なくとも、本アルバムの楽曲とはうまくフィットしているようだ。だが、これがビー・ジーズ本来の魅力であるかどうかは、意見が分かれるだろう(というより、古株のファンからはそっぽを向かれそうだが)。

 ともあれ、これが世紀末(turn of the century)に向かうビー・ジーズの音楽だった。

 

1 「ハイ・シヴィライゼーション」(High Civilization, B, R. & M. Gibb)

 「ユー・ウィン・アゲイン」のイントロを二段重ねにしたような迫力のサウンドから、ロビンの強力なハイ・トーンのヴォーカルで始まるタイトル・ナンバー。ブレナンの分析によらずとも、これみよがしに、やったるぜ、といった雰囲気のシリアスなメッセージ・ソング(のようだ)。ブレナンが示唆するように、バリーが歌う「アフガニスタン」や「イラン」といった地名(他に、ニュー・ヨークやパリ、東京も出てくる)が、1990年代という時代を感じさせる。

 いずれにしても、激しくテンポ・チェンジするサビは、メロディを聞かせようなどという気は一切なさそうで、古くからのファンにしてみれば、あまり受け入れたくない作品だろう。ビー・ジーズの挑戦と変化を認めないのか、と非難されるかもしれないが、彼らの曇りのない明朗なコーラスは、社会的なメッセージとはあまり相性がよくない。無理しないほうがいいですよ、としかいうべき言葉がない。

 

2 「シークレット・ラヴ」(Secret Love, B, R. & M. Gibb)

 本アルバムでただ一曲の会心作で、これぞビー・ジーズ、というべき作品。

 言うまでもなく、「チェイン・リアクション」をベースにしたモータウン風のブリティッシュ・ポップで、ヴァースからコーラス、コーラスからブリッジまで、キャッチーでセンチメンタルなメロディの連続は、「ユー・ウィン・アゲイン」以上にビー・ジーズの魅力を伝えてくれる。

 1991年のアルバムで、こんな60年代のようなポップ・ソングをやってどうする、という批判もあろうが、これだけ聴き手の感情を無条件に揺さぶるメロディはそうは書けない。コマーシャルではあっても、決して安手でも下卑てもいない。小体だが工芸品のような見事なポップ・ソングである。

 イギリスで3月に発売された最初のシングルで、チャート5位を記録するヒットとなった。これで、彼らは、60年代から90年代まで、四つのディケイドでトップ・テン・シングルを出したことになる(60年代、70年代、80年代ではナンバー・ワンを記録している[iv]。)

 

3 「ホエン・ヒーズ・ゴーン」(When He’s Gone, B, R. & M. Gibb)

 タイトル曲に続いて、ロビンの力強いヴォーカルで幕を開ける。前作の「ボディガード」のような艶のあるヴォーカルとはまた異なるが、あの60年代にそうであったように、ロビンの声の魅力が、ビー・ジーズ作品の欠かせない要素として再び真価を発揮し始めたことを強く感じさせる。

 楽曲自体は、キャッチーなサビのメロディもなかなか引きつけるし、エンディングのアラン・ケンドールのギターも快調だが、傑作というには、もうひとつ何かが足りないようだ。それに最後、延々と続くインストルメンタル・パートは、ビー・ジーズらしからぬ展開だが、新鮮というより、やっぱり長すぎる?

 

4 「ハッピー・エヴァー・アフター」(Happy Ever After, B, R. & M. Gibb)

 南国風の、どことなく「スピリッツ(・ハヴィング・フロウン)」(1979年)を思わせるバラード。とはいっても、70年代後半に顕著だったカリビアン風ではなく、ハワイアン風?タヒチかどこかのパシフィック・オーシャンズ・リゾート・ソングといったところか。

 ものものしいメッセージ・ソング風ロックで始まった本アルバムだが、「シークレット・ラヴ」や本作のような、ごく普通のラヴ・ソングが続いて、「どこがコンセプト・アルバムやねん!」と最初聞いたときに思ったが、ブレナンの解説では、これもテーマを構成する重要なピースらしい。

 バリーの歌うメロディは、何となくはっきりしない、変なところで上下する印象だが、サビのコーラスは昔と変わらぬ厚みと深みで包み込んでくれる。90年代版「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」のようでもある。

 

5 「パーティ・ウィズ・ノウ・ネイム」(Party With No Name, B, R. & M. Gibb)

 相変わらずのバリーのぼそぼそ・ヴォーカルで始まるソウル・ロック風の曲。

 この手のダンス・ビート・ナンバーは、『E・S・P』以降おなじみだが、本作では、この後、このスタイルの楽曲が中心になっていく。それにしても強烈なパーカッション・サウンドで、耳がジンジンする(音を下げろって?)

 サビのコーラスはとっつきやすく覚えやすいメロディだが、全体としては、前作から続くスタイルで、あまり新しさは感じられない。

 

6 「ゴースト・トレイン」(Ghost Train, B, R. & M. Gibb)

 「幽霊列車」とか、赤川次郎ですか?(若い人には、ピンと来ないか。)

 トレインがテーマというと、ビートルズの「ティケット・トゥ・ライド」は別として、モンキーズの「恋の終列車」、1910フルーツガム・カンパニーの「トレイン」、ELOの「ラスト・トレイン・トゥ・ロンドン」など、軽快なリズムの曲が多いが、本作も、流れるようなテンポのポップな曲で、ロビンによる「ゴースト・トレインに乗り込め」のサビが気持ちよい。

 CD仕様といっても、この曲などは、いかにもB面1曲目といったイメージで、このアルバムのなかではシングル向きと思える。

 

7 「ダイメンションズ」(Dimensions, B, R. & M. Gibb)

 モーリスのリード・ヴォーカルの「ダイメンションズ」は、「パーティ・ウィズ・ノウ・ネイム」や、この後の「ヒューマン・サクリファイス」などと同傾向のソウル・ダンス・ナンバー。

 「いつお前の次元にたどり着けるのかな」というサビのメロディはなかなかキャッチーだが、これらの楽曲はいずれも同じタイプで、コーラスも似たような印象で、どうも見分けがつけにくい。

 

8 「ジ・オンリー・ラヴ」(The Only Love, B, R. & M. Gibb)

 バリーらしい堂々たるバラードで、従って、「ハッピー・エヴァー・アフター」などとともに、本アルバムのなかでは浮いた印象の曲。

 ビー・ジーズのバラードだから、もちろんメロディは魅力的だが、最高の出来というにはだいぶ物足りない。「ぼくに生き続けろなんて、どうして君はそんなことが言えるのだろう」というサビのメロディは、なかなか素敵なのだが、もうひとつ、こちらが期待するとおりには進んでいかないようで、もうひと捻りというか、完璧に締めくくるには一歩足りていないようなもどかしさが残る。

 

9 「ヒューマン・サクリファイス」(Human Sacrifice, B, R. & M. Gibb)

 ここからラスト3曲は、似たような雰囲気の楽曲が続く。ミスティックというか、「ゴースト・トレイン」にも見られたような神秘的ないし幻想的な雰囲気で、『E・S・P』あたりから目立つようになったスタイルだ。

 構成やアレンジも、前述の「パーティ・ウィズ・ノウ・ネイム」などと同傾向で、いささかマンネリ気味。しかし、これらの楽曲が本アルバムの基本スタイルなのだろう。

 

10 「トゥルー・コンフェッションズ」(True Confessions, B, R. & M. Gibb)

 前曲を引き継いで、メドレーを意図しているのかもしれないが、重々しいイントロに比して、楽曲本体は少し軽めで軽快なテンポのソウル・ポップ。

 「君の真実の告白とやらを信じたとしても、それでうまくいくわけもない。きみは最後にはぼくを傷つける」というサビのコーラスはソウル風味が強めだが、メロディは本アルバムのなかでは上の部類に属する。「シークレット・ラヴ」を除けば、ベストの一作といえるのではないだろうか。

 

11 「エヴォルーション」(Evolution, B, R. & M. Gibb)

 ラストも割と軽めのアップ・テンポのナンバーで、締めくくりの楽曲としては、かなり地味な作品だ。

 「それは進化の一形式。それはひとつの変化」というコーラスは、それなりに印象的で、「ハッピー・エヴァー・アフター」や「ジ・オンリー・ラヴ」のような、もどかしさの残るバラードよりも完成度は高いだろう。

 ただし、アルバムのエンディングに相応しいかと問われると、割とあっさりしたアレンジで、思ったよりも物静かなエンディングである。フェイド・アウトしていくサビのメロディはなかなかよいが。

 

 『ハイ・シヴィライゼーション』は、ビー・ジーズのアルバムのなかで、断トツで「もっとも聞く気にならないアルバム」に認定していたが、今回聞き返して、そこまでとは思わなくなった。「シークレット・ラヴ」と「トゥルー・コンフェッションズ」が収穫だという考えは変わらないが、「ハッピー・エヴァー・アフター」なども、思っていたよりも印象がよくなった。

 とはいえ、このビートを強調したハードな路線がビー・ジーズにとって最適な選択だったのか、というと疑念が残る。というか、次回作は、よりポップなスタイルに回帰した『サイズ・イズント・エヴリシング』なので、今さら疑念を抱いたところで後の祭り、無意味なのだが。従って、ビー・ジーズの発作的なビート追及路線は本作でおしまい。以後、ビート・ナンバーを含みつつ、再びポップ・ソング・アルバムが最終作の『ジス・イズ・ホェア・アイ・ケイム・イン』(2001年)まで続くことになる。

 

[i] Melinda Bilyeu, Hector Cook and Andrew Môn Hughes, The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb (New edition, Omnibus Press, 2001), p.597.

[ii] ビー・ジーズ『ハイ・シヴィライゼーション』(1991年)。

[iii] Joseph Brennan, Gibb Songs, Version 2: 1990.

[iv] 1960年代は「マサチューセッツ」と「獄中の手紙」、70年代は「ナイト・フィーヴァー」と「トラジディ」、80年代は「ユー・ウィン・アゲイン」。

ビー・ジーズ1989

ビー・ジーズ『ONE』(Bee Gees, One, 1989.4)

 『E・S・P』に続く二年ぶりのアルバム『ONE』は、アンディ・ギブの死によってもたらされた中断期間を挟んで1989年4月にイギリスで、7月にアメリカでリリースされた[i]。このアルバムから、CDでは恒例のボーナス・トラックがつくようになった。「ウィング・アンド・プレア」がそれに当たる。

 日本盤の解説を書いている大友 博氏によると、本アルバムは1989年のツアーに合わせて、ライヴでの演奏を想定してオーバーダブなどを極力避けたのだという[ii]。確かに、『E・S・P』以上にロック・アルバムっぽい内容で、サウンドも全体にシンプル、ぜい肉を落としてシェイプ・アップした印象である。それが彼らに合っているかは別として、随分元気はつらつとしているようにも聞こえる。それが本心からなのか、それともアンディの死を乗り越えるためのカラ元気だったのかどうかは、また別の話だが。

 秋には来日して、15年ぶりのコンサートが開かれた。久々に見る彼らの姿に感激したが、そのときからも三十年以上たつ。「オーディナリ・ライヴズ」のなかで、「時は止まっている」と語ったバリーだが、いやいや、つくづく時のたつのは早い。

 アルバム・ジャケットは、三人の顔が重なるように並んでいる、こちらもストレートなデザイン。ビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』(1963年)のパロディっぽいが、年月を刻んだ三人の顔が味わい深く、『スピリッツ・ハヴィング・フロウン』のイキッたようなポートレイトよりもよかった。

 

A1 「オーディナリ・ライヴズ」(Ordinary Lives, B, R. & M. Gibb)

 何やら荘重なイントロからゆったりしたリズムに乗って、バリーのリラックスした声で始まるポップ・ロック・バラード。声が出なくなっているのでは、と心配された(筆者だけ?)が、この曲では伸びやかなヴォーカルを聞かせる。3月にイギリスで先行シングルとして発売された[iii]

 『キューカンバー・キャッスル』(1970年)収録の「ゼン・ユー・レフト・ミー」以来の語り入りの楽曲で、「賽がどう転がろうと、数を当てるのは別の誰か」という意味ありげなフレーズが引っ掛かるが、全体としてはテンポも軽快で快調な出来だ。どこといって不満の起きない耳に優しいスマートなポップ・ソングだが、惜しむらくは際立った必殺のフレーズがない。「ユー・ウィン・アゲイン」と比べても、イギリスであまり受けなかったのは、その辺りに原因がありそうだ。

 

A2 「ONE」(One, B, R. & M. Gibb)

 「オーディナリ・ライヴズ」に続き、6月にイギリスで、7月にはアメリカで発売された[iv]アメリカでは第一弾シングルで、実に十年ぶりにトップ・テンにランクされた(ビルボード誌、7位)。同時に、最後のトップ・テン・シングルともなった。「獄中の手紙」から数えて、通算15曲目。うち9曲がナンバー・ワンで、最高7位というのは「ブロードウェイの夜」(1975年)と同じ。

 あまりに久しぶりのトップ・テン・ヒットなので、あれこれ記録を引っ張り出したが、曲自体は、1980年代版「ジャイヴ・トーキン」といった趣。サビのメロディでヴァースを挟む構成で、テクノ・ディスコ風?ただ、「ジャイヴ・トーキン」よりはしゃれたメロディで、あんなに下世話ではない。7位止まりだったのは、時代もあるが、むしろ、「ジャイヴ・トーキン」ほど下世話ではなかったのが原因か。あの安っぽいシンセサイザーとタララララ~、タララララ~の間奏が懐かしい。

 アルバム・タイトル曲だから、それなりに手ごたえがあったのだろう。1989年の来日コンサートでも披露し、バリーの両手の人差し指を交錯させる妙なポーズが記憶に残っている(『ワン・フォー・オール・ツアー』のDVD[v]でもおなじみ)。なんか、「ダメダメ」と言われているような気になったりもするが・・・。

 最後のトップ・テン・シングルと考えると、少々物足りない思いもあるが、トゥー・コーラス後の間奏の「ぼくらはひとつだ」と繰り返すハーモニーは相変わらず美しい。

 

A3 「ボディガード」(Bodyguard, B, R. & M. Gibb)

 こちらも、かつての「ラヴ・ソー・ライト」(1976年)を思い出させるソウル・バラード。しかし、はるかにコンテンポラリーというか、瀟洒にそつなくまとまった作品となっている。

 とくに耳に残るのはロビンのヴォーカルで、40歳を迎えて、成熟した味わいの歌声を聞かせるようになった。年相応の貫録を感じさせる一方で、バラード・シンガーとして艶のある、新たな声の魅力を身につけ始めたようだ。

 曲のほうは、「止めてくれ、戻れなくなる前に」の決めのフレーズを執拗に繰り返して、そこが聞かせどころなのはよくわかるが、その前のメロディがやや単調で、絶賛とまではいかないのが惜しい。やはり、ロビンが歌うヴァースに救われているという印象である。

 

A4 「イッツ・マイ・ネイバーフッド」(It’s My Neighborhood, B, R. & M. Gibb)

 『E・S・P』の「ギヴィング・アプ・ザ・ゴースト」と同タイプのソウル・ロック風の作品。どちらも同じA面4曲目で、1989年のツアーでも、両曲ともセット・リストに入っていた[vi]。ただし、前者はロビンのヴォーカルでエキゾティックな風味が強かったが、本曲はバリーのリードで、より力強いサウンドになっている。

 明らかにライヴ用につくられた楽曲で、上記ツアーでは、ほかに「ハウス・オヴ・シェイム」が終盤で演奏されていた[vii]。確かに『ONE』は、『E・S・P』以上に、ロックン・ソウルの印象が強まっており、それが1980年代後半にビー・ジーズが目指した方向であったのは間違いないようだ。

 

A5 「ティアーズ」(Tears, B, R. & M. Gibb)

 一転して、バリーのソロによるロマンティックなバラード・ナンバー。まさに彼の真骨頂とも言えるヴィブラートを効かせた甘い歌声が堪能できる。こちらは「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」の80年代版か。

 ロビンの「ボディガード」と対比されるかのように、ともにAサイドに収まっているが、どちらもきれいにまとまりすぎている気がしなくもない。なんとなく、60年代のブリティッシュ・ポップ風のメロディが恋しくなるのは、ないものねだりというものだろうか。

 

B1 「TOKYOナイツ」(Tokyo Nights, R. & M. Gibb)

 60年代が恋しいといったら、本当に60年代っぽい陽気なポップ・ソングが出て来た。しかも「トーキーオ」って、沢田研二か!(あれは70年代か。)沢田(タイガース)とビー・ジーズとは古い因縁(?)があるので、この「トキオ」繋がりは何だか面白い(ロビンと沢田は会っていないだろうけれど)。

 解説にもあるように、ビーチ・ボーイズ風でもある[viii]。つまり、ブリティッシュ・ポップではない。こっちは「ホリデイ」みたいのが聞きたいんだよ!というのは無茶なお願いか。

 ロビンとモーリスの共作とも、三人の共作とも言われているが、確かにバリーの個性はあまり感じられない。ロビンのソロ・アルバムとも、また違った雰囲気だが、曲構成はロビンらしい、あるいはモーリスっぽい。まあ、あれこれ詮索せずに、楽しく聞ければ、それでよいでしょう。

 

B2 「フレッシュ・アンド・ブラッド」(Fresh and Blood, B, R. & M. Gibb)

 これまた解説にあるように、スティーヴ・ウィンウッドの影響を受けたような楽曲[ix]で、ロックとソウルが無理なく融合した80年代ポップを充分意識したナンバーといえる。

 ロビンのリード・ヴォーカルだが、「イッツ・マイ・ネイバーフッド」がバリー、このあとの「ハウス・オヴ・シェイム」がモーリスのリードで、ライヴ向きの楽曲を1曲ずつ担当したらしい。後半で、例のロビンの絶叫ヴォイスが聞かれるが、どうどう、落ち着いて。

 「ギヴィング・アップ・ザ・ゴースト」が演奏されたので、こちらはツアーでは演奏されなかったが、ライヴでちょっと聞いてみたかった曲である。

 

B3 「ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア」(Wish You Were Here, B, R. & M. Gibb)

 アルバム『ワン』は、やはり、この曲に尽きるだろう。

 アンディ・ギブの追悼曲だが、曲調はまったく異なるものの、構成は11年前の「シャドウ・ダンシング」を思わせる。8小節のヴァースのあと、8小節のコーラスに続いて、「ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア」と繰り返すセカンド・コーラスが来る組み立てで、最初のサビの哀切なハイ・トーンのハーモニーが耳をとらえて離さない。「君がここにいてくれたらなあ」のリフレインまで、意識して「シャドウ・ダンシング」に似せたわけでもないだろうが、ビー・ジーズにとっても(ファンにとっても)華やかだったあの時代を思い起こさせる切ない一曲である。

 

B4 「ハウス・オヴ・シェイム」(House of Shame, B, R. & M. Gibb)

 モーリスのファンにとっては、お待たせの曲。

 といっても、同じメロディを繰り返すだけのソロ・パートで、本人も(ファンも)物足りなかったのでは。

 「イッツ・マイ・ネイバーフッド」、「フレッシュ・アンド・ブラッド」と同タイプのロックン・ソウルだが、それらに比べると、よりストレートなロック寄りの楽曲といったところか。サビなどは、ちょっと60年代ロックにも聞こえるキャッチーなメロディで、ゲスト扱いのアラン・ケンドールのギターもあからさまに安っぽいところが素敵だ。

 80年代に入ってからのビー・ジーズのロック・ナンバーのなかでは、代表作のひとつに数えてよいのではないだろうか。

 

B5 「ウィル・ユー・エヴァ・レット・ミー」(Will You Ever Let Me, B, R. & M. Gibb)

 最後は強烈なビートのダンス・ミックス・ナンバー。イントロのホーンのメロディと最後の決めのフレーズ「ぼくを受け入れてくれるかい?」が肝の曲で、これをしつこく繰り返す。

 しかし、そこに至るまでは、80年代のバリーが歌う楽曲の特徴で、メロディがあるのかないのか、よくわからない、アドリブ風にシャウトし続ける作品で、例によって、効かせすぎたヴィブラートでモゾモゾ歌う。最後の曲だからということなのだろうが、延々繰り返す最後のリフレインはやっぱり長すぎるんじゃないの?

 

B6 「ウィング・アンド・プレア」(Wing and Prayer, B, R. & M. Gibb)

 CDではボーナス・トラックだが、イギリスでは「オーディナリ・ライヴズ」の、アメリカでは「ONE」のシングルB面だった[x]。「シェイプ・オヴ・シングズ・トゥ・カム」と同様に、1988年のロス・アンジェルス・オリンピックの協賛曲として書かれたのかと思っていたが、そうではなかったのだろうか。

 アルバム収録曲以上にストレートなロック・ナンバーで、ロックが苦手とはいっても、この頃になると、さすがにこの手のナンバーも堂に入ったものだ。バリーのヴォーカルは、(すっかり気に入ってしまったらしい)語りを交えて、サビではファルセットを駆使してシャウトする、風を切る疾走感を感じさせるシャープなナンバーである。

 

B7 「シェイプ・オヴ・シングズ・トゥ・カム」(Shape of Things to Come, B, R. & M. Gibb)

 オリンピック記念アルバム(とでも言えばいいのか?)『ワン・モーメント・イン・タイム(One Moment in Time)』(1988年)に収録された曲。2014年に出たワーナー・ブラザース時代のアルバムのボックス・セットで『ONE』に収録されているので、まとめて寸評[xi]

 「ウィング・アンド・プレア」と同じストレートなロック・コーラス・ナンバーで、かつてのビー・ジーズのロックには欠けていたスピード感が備わるようになってきた。正直、コーラスのメロディ以外は、たいした出来でもないように思えるが、「ウィング・アンド・プレア」とどちらが、オリンピック・アルバムに相応しかったかは、・・・まあ、好き好きでしょう。

 

[i] J. Brennan, Gibb songs, version2, 1989.

[ii] ビー・ジーズ『ONE』(1989年)。

[iii] Gibb songs, version2, 1989.

[iv] Ibid.

[v] Bee Gees Australian Tour 1989 (Immortal, 2009).

[vi] Ibid.

[vii] Ibid.

[viii] 『ONE』(1989年)。

[ix] 同。

[x] Gibb songs, version2, 1989.

[xi] Bee Gees, The Warner Bros. Years 1987-1991 (Warner Music Group Company, 2014).